第14話 梅雨とレモンティー
ついこの間、春が来て新しい気持ちになったと思っていたのに、もう重苦しい梅雨の季節。
今日は朝から雨。部屋にいてもザーザー聞こえるほど降っている。
「こんな日は寝るに限るよ。ねぇー、タマ」
快適に調節された空間、ふかふかのベッド、心地よく響く雨の音、休日のゴロゴロにこれほどうってつけの環境はないって思う。
「寝るのもいいけどなんかやることないの? はるちゃん、ずーっとゴロゴロしてるよ」
タマに指摘される。
「べつに……やることなんかないも~ん」
「この間、買った本読まないの? 」
「う~ん、それはまた今度」
「じゃあ、メイクの練習するって言ってなかった? 」
「それもまた今度。今日はそんな気分じゃないの」
今日の私は、驚くほどやる気が起きない。樹梨亜も夢瑠も、働きながら自分の幸せに向かって生きているのに。
私だって、やりたいことを始めようと思えば出来る環境で、仕事と両立する時間の余裕だってある。
でも目標がない……やりたいことってなんだろう。まだ結婚したいのか、仕事に生きたいのか……なんだかよくわからない。
未来なんて想像もつかない。
はぁ……ぐるるる……
ため息と一緒に鳴くお腹。
「お腹減ったからお昼食べてくるね」
タマにそう言ってキッチンへと降りると、物音と共に美味しそうな匂い。
お母さん、いるのかな?
ドアを開けてリビングに入る。
ジュージューと、お腹の#空__す__#く音。
この匂い……炒飯……かな。
キッチンを覗くと、そこに居たのは意外にも兄貴だった。
「兄貴、休み? 」
「あぁ……休まされた」
「へぇ~……私の分もある? 」
「は!? これは俺の昼飯。食べたいなら自分で作れよ」
「え~、やだ。料理できないの知ってんじゃんよ~」
「チャーハンぐらい作れるだろ」
「無理。覚えてない? 前に炒飯作ろうとして爆発したの」
「あれ、炒飯作ろうとしてたのか!? しょうがねーな……先にこれ食え」
私の目の前に置かれる炒飯。
香ばしい湯気が立っていて、前に私が作ったのと大違い。卵の黄色とネギの緑、ハムのピンクが彩りよく盛られて……とにかくおいしそう。
「えへへっ、さっすが兄貴。いっただきま~す」
一口食べてみる。
驚くほどおいしい!
「うまっっ!! これすごい、どうやって作ったの? 」
「普通だろ、炒飯なんて切って炒めて卵混ぜて終わりなんだからまずくなるとか、爆発するとか有り得ないんだよ」
「私だってわかんないよ、なんで爆発したのかなんて……」
それにしてもおいしくて、手が止まらない。キッチンに戻ろうとした兄貴が、私をじーっと見る。
「なに? 」
「いや……なんでもない。まぁ、これからの時代はそれでもなんとか……」
兄貴は何かぶつぶつ言いながらキッチンに戻っていく。
「何? きこえな~い」
「なんでもねぇよ」
「気持ち悪いじゃん、ちゃんと言ってよ」
「はぁ……お前、仕事だけはちゃんとしとけよ」
「は? なにそれ? 」
「料理が出来なくても、色気がなくても、働いてさえいればロボも買えるし、結婚だってロイドとできるしな」
「ちょっと!! 料理ができないのはわかるけど色気がないって何! 」
「いや、だってそんなガツガツ食べてる奴を女性として意識しないだろ。母さんがそんなガツガツ親父の前で食べるか? 」
「食べない……でも、ほら、おいしそうに食べる子って思ってもらえるかもしれないじゃん」
「おいしそう……ねぇ……ま、そんな物好きがいたら会ってみたいもんだけどな」
ははっと笑って自分の炒飯を作り始めた。ほんっと、嫌な兄貴。
「ごちそうさまでした! 」
なんで兄貴にまでそんなこと言われなきゃいけないの……さらに気分が悪くなって、洗い物もせずに部屋に戻ってやった。色気がないとか料理出来ないとかほんと失礼だし、私の事がいいって言ってくれる人だっているかもしれないのに。
“おいしそうに食べるなぁと思って”
そう言ってくれた草野君の笑顔を思い出す。笑ってたけどまさか……私の食べ方が汚いのを見てたのかな。
「お昼なに食べたの? 美味しかった? 」
部屋に入るなり、タマが話しかけてくる。なんだかタマにまで無性にイライラする。
「もー、タマまでうるさい! 今度こそほんとに寝るから話しかけないで!! 」
もう何も考えたくなくてベッドに入って顔をうずめる。働く、やりたいこと見つける、結婚……今は何もしたくない。
決めたくない。
ずっと今のままじゃ、ダメなのかな。
次の日もその次の日も、気持ちは晴れないままだった。
いつも通り暮らしてはいるけど、考えても将来なんてすぐ決まるわけでもなければ、親友の幸せを祝福できない自分が嫌になってくる。
「はぁ……」
こういう時っていつもと同じ仕事でも倍疲れる気がして……ため息が漏れる。
雨が上がったと聞いて屋上に来たのにまだ空は暗くて、雲が立ち込めていて……これじゃあ、少しも気分が晴れない。
眺めているうちに飲み込まれてしまいそうな雲。
せめて……レモンティー買って来ればよかったな。
「笹山さん! 」
いきなり大きな声で呼ばれて、身体がビクッと反応してしまう。振り返るとそこには、笑顔の草野君。
「草野君!? びっくりしたぁ~」
「すみません、驚かせて」
私の反応が面白いのか、私の方へ歩きながらも笑っている。
こんな草野君の反応でさえも、苛ついてしまう私は相当嫌な奴だと、また自分が嫌になる。
「草野君っていつも笑ってるよね。私、そんなに面白い? 」
口から出た後で自分でもびっくりした。なんで関係ない草野君にこんな嫌みを言っちゃうんだろう……ほんとに嫌い、自分が。
「ごめんなさい。そういうつもりじゃないんですけど、ここに居てくれて良かったと思って。どうぞ」
「え……ありがとう」
草野君が差し出してくれたのは、ちょうど飲みたいと思ったレモンティー。
生レモンが入っていて近くのカフェにしか置いてないのに……わざわざ、外に出て買ってきてくれたのかな。
ちょうど飲みたいって思っていた……こんな偶然って……。
「いつも飲んでるのそれでしたよね? 俺も……どうしても飲みたくなっちゃって。ここで一緒に休憩していいですか? 」
草野君はそう言うと、私の隣に立って一緒に空を眺め始める。
手には同じレモンティー。
「まだ、曇ってますね……」
「うん……」
返事をして一口飲むと、爽やかな酸味と甘味が口の中に広がった。
おいしい……。
「山田さん、辞めちゃったって聞きました? 」
「え!? 聞いてないよ、なんで? 」
「ずっとやりたいことがあったみたいで、独立するらしいです」
「そうなんだ……」
やりたいこと、またそれか。
「困っちゃいますよね」
「ね……そしたら巻さんとかが教えてくれるの? 」
「いえ、山田さん担当の仕事が割り振られるから忙しくなるみたいで……まだ保留だそうです」
草野君はレモンティーをごくっと飲んで、ため息をつく。
「困っちゃうね……」
「仕方ないですけど……ちょっと急過ぎますよね」
さっきまで笑っていたはずの草野君、心なしか横顔が少し曇って見える。笑ってるから……それだけで私は彼の気持ちに気づけなかった。
なんて……馬鹿なんだろう。
「さっきはごめん……大丈夫? 」
「はい、やっと慣れてきた所だったんですけどね。あと少しなんで、ここからスピード上げないと」
「そう……だよね」
インターンの最終試験に受からないと延長されるかもしれないし、内容次第では今後の就職にも影響がある。
「でも、山田さんには感謝してますよ。色々教えてもらいましたし。仕事もしながらやりたいことできるってすごいですよね」
「やりたいことかぁ……やっぱりみんなあるんだねぇ」
「笹山さんはあるんですか? 」
「私はないかな……そういうの。友達はね、やりたいことがあったり、将来に向けて考えたりしていてね……そういうの見ててすごいなって思ってるだけ。だめだね、私」
「やりたいこと、ないとだめなんですか? 」
草野君の視線が真っ直ぐ私を刺す。
「え? 」
「やりたいことがなくても、やるべきことに一生懸命取り組むのも大事だと思います。俺も……まだやりたい事わからないですけど、経験してみて初めて見えてくることもあるから、できるだけ頑張ってみようって思ってます」
返す言葉が見つからない。
「すみません、ムキになって。生意気言いました」
固まる私を見て、草野君はしまったと言う風に付け足した。
“笹山遥さん、至急オフィスにお戻りください”
“草野海斗さん、至急オフィスにお戻りください”
ほぼ同時に、呼び出しがかかる。
「まだ残ってるのに戻らなきゃですね」
「ほんとに……しょうがないね、戻ろっか」
草野君の残念そうな表情がなんだかおかしくて、いつの間にか笑っている自分に気付く。
経験して初めて見えてくること。
ぐずぐず悩んでいた私の心に残ったその言葉が、気持ちを少しだけ軽くしてくれる。
目の前にある仕事を頑張るのも大事……だよね。
前を歩く草野君の背中は、いつもより大きく見えて何だか……男の人みたい。
私……やっぱり……。
「ありがとう……」
「何か言いました? 」
「ううん……何でもない」
振り返る草野君にまた跳ねる鼓動。
好きなんて、まだ言えないけど私……惹かれているのかもしれない、草野君に。
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