第13話 それぞれの道


「おいしい! 」

「よかった」


 仕事の時とは違う、ほっとした表情で笑う草野君。やっぱりワンコみたいな眼をくりくりと輝かせている。


「近くにこんなお店があるの知らなかったなぁ、よく来るの? 」

「2回目かな、初めて仕事来た日に見つけたんです。雰囲気が好きだったから入ってみたら、すっごいうまくて」


 草野君が連れてきてくれたのは、驚くほどパスタが美味しくて、おしゃれな雰囲気のお店だった。


 好きだな……こういうお店。


 同じ空間を好きって思える事が何だか嬉しくて、恥ずかしくて、ドキドキをごまかそうとパスタに集中する。


「うん、ほんっとに美味しい」


 水を飲もうとしてふと気づくと、草野君が私を見て笑っている。


「どうかした? 」

「いや……おいしそうに食べるなぁと思って」


 夢中で食べてる姿を見られるなんて、恥ずかしすぎて顔から火が出そう。


「恥ずかしいから見ないで……ほら進んでないじゃん、冷めちゃうよ」

「冷製なんで冷めないですよ、それよりちょっと交換しません? 」


 いたずらっ子のような顔をして私のパスタを見ている草野君……私じゃなくてパスタがおいしそうに見えたのね。


 でも、確かにそっちもおいしそう。


「しょうがないなぁ。いいよ、私もそっち食べてみたい」


 私がそう言うと、草野君は器用にトマトの冷製パスタを分けてくれた。私もそれと同じくらいの量を取り分けて草野君に渡す。


『うまっっ!! 』


 二人ともほぼ同時に一口食べて、同じように声を出す。大きな声、近くの席の人達が私達を見てる。それがちょっと照れくさくて恥ずかしくて、ふたりで顔を見合わせたりして。


「なんか、恥ずかしいっすね」

「ね」


 仕事終わりのランチ……ただそれだけのはずなのに、心が躍っている。


 楽しい。


 ずっと、この時間が続けばいいのになぁ……目の前のニコニコ笑顔を見ながらそんな事を思う。


 でも、パスタを食べ終えて、ゆっくりアイスティーを飲んでも、終わりの時間はやってきてしまう。


「おいしかったね」

「うん」


 食事を終えて外に出ると、夏のような痛い陽射しが照りつけてきた。


「暑いな」

「もう夏みたいだね、まだ5月なのに」

「そうですね……」


 たわいもない会話の途中、ふいに顔をのぞき込まれてドキッとする。


「な、なに? 」


 きっと今、顔が真っ赤になってる……耐えきれなくて俯く私。でも草野君はまだ、じっと私を見ている。


「最近、走りに行ってます? 」

「えっ……あ、あんまり行ってないかな、暑くなってくるとやめちゃうんだ」


 まただ……意味ありげに見つめられたと思ったら何でもない普通の会話。


 私、草野君に翻弄されてる。


「最近いないからどうしたのかなって思ってたんです」

「うん……」

「もしかして、俺と会うから? 」

「そ、そんなんじゃないって。ほんとに暑いからだって、それに休みも草野君と合わないし」

「ん? 」

「あ……」


 緊張してつい口走ってしまった。恥ずかしすぎる。どこかに隠れてしまいたい気分。


「休み、チェックしてくれてたんですね」


 嬉しそうに笑う草野君。


「この間ね、ほんとにちょっとちらっと気になっただけなんだって、そんな、全然気になんてしてないからね」

「嬉しいです、笹山さんが俺のこと考えてくれてて」

「あ~もう……からかうのやめて」


 いつもより少し意地悪なワンコの瞳に翻弄されて、手のひらでコロコロと転がされているみたい。


「じゃあまた、涼しくなったらですね」

「うん……」

「楽しみにしてます」

「私も、楽しみにしてる」


 これから梅雨が来て、暑くなって、夏を越えた私達はどうなっているんだろう。インターンが終わっても、こんな風にいられるのかな。


 胸の高鳴りも赤らむ顔も、恥ずかしさだけじゃない何かを、感じずにはいられなかった。







 別れた後もどこかふわふわした気持ちの私が、山のような樹梨亜からの着信に気付いたのは、家に着いてからだった。


「樹梨、ごめん!! 着信気づかなくて。何かあった? 」

「遥、お祝いするよ!! 」

「お祝い? なんの? 」

「夢瑠がね、作家デビューすることになったんだって! 」 

「さっか……? さっかって……あの作家さん? 」

「うん、そう! その作家だよ! ママが仕事で新人賞の担当してるんだけど、連絡したら夢瑠だったんだって! 夢瑠ったら内緒にしてるんだもん、ビックリだよ! 」


 いきなりそんな事言われてもピンとこない私は、何だかぼーっとしてしまう。そこに聴こえてきたのは夢瑠の声。


「ごめんねぇ、恥ずかしくて言えなかったんだぁ」

「あれ? 夢瑠もそこにいるの? 」

「うん、樹梨ちゃんとこに呼んでもらったのー! まさか出版社の人から“ごちそう用意するから家に来て”なんて言われると思ってなくてびっくりしたんだけどねぇ、樹梨ママだったの。お祝いなんて恥ずかしいけど、ハルちゃんにも来てほしいなぁ」


 いつになく弾んだ夢瑠の声に、私まで嬉しくなって、慌てて樹梨亜の家に飛んでいった。







「夢瑠ちゃんの大賞受賞とデビューを祝してカンパーイ!! 」

『カンパーイ!! 』


 樹梨ママの合図で始まる賑やかなパーティー。テーブルには、ピザに唐揚げやポテト、サラダ、パスタなどなど急いで準備したとは思えない量のごちそうが並んでいる。


「夢瑠、作家目指してたんだね。全然知らなかったよ」


 恥ずかしそうに俯く夢瑠。


「うん……いつかね、ほんとにいつかなれたらいいなぁって思ってたの、でも恥ずかしくて……黙っててごめんね」

「じゃあ、夢が叶ったんだね。おめでとう」

「へへ。ありがとハルちゃん」


 ほっぺがほんのりピンクに色づいて、照れながらはにかむ夢瑠。

 

「でも、いつから書いてたの? 」


 樹梨亜も話に入ってくる。


「初めて書いたのは……高校2年の頃かなぁ、誰にも見られたくなくて捨てちゃった」

「捨てちゃったの!? もったいないじゃない、寝かしておいたらいい作品になったかもしれないのに~」


 そう言う樹梨ママは、本当に勿体無さそうにしている。樹梨亜のママ、沙緒里さおりさんによると、夢瑠は編集部で既に期待の大型新人だと噂になっているらしい。


「夢瑠ちゃんは日本の文学界を代表する存在になるんだから!! 」


 そう力説する沙緒里さおりさん、いつも一緒にいる夢瑠がそんなにすごい人だった事を、私は全然知らなかった。


「どんな小説を書いてるの? 」

「うん。タイムトラベルと恋愛をテーマにしてみたの。ハルちゃんが過去や未来に飛んじゃうんだよ! 」

「うそ、遥出てくるの!? 」

「うん! モデルがハルちゃんなの」

「やだぁ~」

「遥が過去や未来に飛んでどうなるの? 」

「それはひみつなんだぁ~」


 夢瑠はおとなしくて、口数も少なくて、いつも優しい笑顔でみんなの話を聞いている……そんな子だった。


 でも今の夢瑠は、目を輝かせて活き活きと話をしている。


 たまにする天然発言が面白くて、本が好きで……ふんわりした雰囲気の可愛くて優しい私の友達は、知らない所で夢に向かって頑張っていた。


「樹梨亜、手伝ってよ! 」

「はぁーい、しょうがないなぁ」


 樹梨亜がママに呼ばれてキッチンへ行ってしまい、夢瑠と二人きりになる。


「なんか自分の事みたいに嬉しいよ」


 私の言葉に夢瑠は照れながらも、本当に嬉しそうにニコッと微笑む。


「ありがとう。でもね……不安で怖い気持ちもあるんだぁ」

「どうして? 」

「なんかね、まだ……実感がなくて。いっぱいの人に読んでもらえるのはとっても嬉しいんだけど、私なんかでいいのかなぁ……とか思ったりもして」

「いいんだよ! だって大勢の中から選ばれた大賞だよ! 自信持ったらいいんだよ、夢瑠。とってもすごいことなんだからね! 」 


 評価されてのデビューなんて、私だったら嬉しくて舞い上がるのに、まだ自信なさそうな夢瑠に、つい力説してしまう。


「ふふ……ハルちゃん、ありがと。これから頑張らないとね」


 照れたようにはにかむ夢瑠は、なんだかとても大人びて見えた。


 キッチンに居る樹梨亜も、もうすぐパートナーロイドを迎えて、幸せな家庭を築く夢を叶えようとしている。


 二人ともすごい。


 嬉しくて楽しくて……みんなで騒いだ帰り道、静かになった車内でふと夢瑠と樹梨亜の幸せそうな顔が浮かぶ。


 私の夢……お気に入りの曲が流れ出す。昔、よく聴いていた懐かしいメロディ。


 あの頃の私は……今の私より、輝いていた気がする。


 結局、夢は諦めてしまった。


 私、なにやってんだろう……。



 HRのみんなを思い出す。今の私はあの子達に、偉そうなこと言えるのかな。何か教えるなんて、してていいのかな。


 進路を選んで就職しても、その先にはまだ道が続いてる。働きながらも夢瑠みたいに、夢は叶えられるのに私……何をやっているんだろう。


 人生って……なんだか長い。


「お疲れさまでした。これより駐車を開始します。完全に停車してからお降りください」


 物思いに耽るうちに自宅に着く。車が完全に停まっても降りる気持ちになれなくて、ぼーっとしていると、コンコンと誰かが窓を叩いた。


「勝手に車使うなよ! 」


 うるさくて車から降りると、兄貴が怒って文句をいってきた。


「いいでしょ、二人で使うために買ってもらったんだから」


 適当に言い返して部屋へ向かう。


 そういえば兄貴も……夢、叶えたんだったな。急に自分が小さく思える。


「はるちゃん、おかえり」

「タマ……ただいま」


 いつもより優しいたまの声に、今日は少し甘えてしまいそうな気がした。

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