第2話 新しい風
外に出ると、タマの言う通り気持ちいい天気だった。よく晴れて暖かいし、時折吹く風でさわさわと葉が揺れて心地いい。
バスを降りて少し歩くと、街路樹に包まれたオフィスビルが見えてくる。この街は植物好きな人が多くて、ビルが多いこの駅前もチューリップやポピーで春色に彩られている。
まるで春が来たよって教えてくれているみたい。
冬の間、出勤していなかった久しぶりのオフィスは緊張する。深呼吸をして春の匂いを吸い込むと、太陽光に照らされてそびえ立つビルに入った。
「おはようございます」
オフィスに入ると、予想とは違ってまだ静かでフロア内をロイドさんが掃除をしてくれている。
「おはようさん。お早い出勤ですなぁ」
「あれ……? ちょっと早く来すぎちゃいました」
清掃担当のロイドさんがいるということはまだ始業までにかなりの時間がありそう。予想通り、時計を見るとまだ8時半、始業は9時だからまだ30分もある。せっかちなタマに早く起こされすぎたんだ。
「私も手伝っていいですか? 」
「いいんですか? ありがとうさま」
ロイドさんが床掃除をしている間に私はデスクを拭く。朝、仕事を始める時にオフィスがきれいだと嬉しい。
制服を着たロイドさんをちらりと見る。最近はロイドさんが増えてきて街の色んな所で働いている姿を見掛けるようになった。私達の出来ないこと、やらない事を助けてくれるロイドさんには感謝しかない。
機械だから当たり前とか、疲れたりしないからとか言って酷い対応をする人がいたり、大変な量の仕事をさせる人がいるって聞いたこともあるけれど、人間と同じでそんな事をされたらとっても辛いはず……デスクを拭いてゴミを集めながらそんな事を思う。
「おはよう」
「おはようございます」
今日は年度初めの全員出勤日。だんだんと賑やかくなってきて始業時間を迎えた。
「皆様おはようございます。只今から新年度ミーティングを始めます」
始業の9時を迎えて全員が揃ったオフィスでミーティングが始まる。普段は10人ぐらいなのに、全員揃うと圧迫感があって酸素が薄い。
「さっそく新しく加わるメンバーを紹介します」
「本年度より入社致しました
最初に始まった新入社員の自己紹介。大勢の視線を前にしても堂々と熱弁する姿に圧倒されてしまう。私がここに来たときは緊張しっぱなしでちゃんと話せなかったのに……なんて考えていると、怒涛のスピードでいつの間にか最後の人が挨拶していた。
「次は半期インターンの紹介です」
メモから目を離して前を見ると、5人のインターン生が立っている。自分にもあんな頃があったな……遠くて顔はよく見えないけれど緊張しているように感じた。
「
長身の男性から順番に簡単な挨拶が始まっていく。三年前は私もあそこに立っていたのに、必死に働いていたらあっという間だった。
ここにインターンに来る人達ってどういうとこに就職するんだろう。前を眺めながら、ふとそんな事を思う。
インターン……私は学校でのインターンだったから一般企業に就職してみて違いに驚いた事を思い出す。
あれからもう三年か……。
「続きまして、本年度スケジュールは……」
つい、頭の中で他の事を考えていたらミーティングが先に進んでしまう。ここからは業務に必要なことも多くて聴き逃がせない。必死にメモをとりながら聞こえてくる言葉に集中した。
ミーティングが終わった頃には眼も脳もヘトヘトになっていた。10分の休憩を挟んで、またすぐに班別ミーティングが始まる。
「班別ミーティング始めます、手元の資料を見てください。今年の主なスケジュールですが、配信が10講座分、学生とのオンラインミーティングが2回増えています。担当は資料の通りに割り振っていますので各自、締切までの提出を必ず守ってください。また社員が一名、インターン一名、配属になっていますが……」
眠たくなってきたけれど、私の前に座るリーダーの坂野さんが一生懸命話しているし、寝るわけにはいかない。
アイスティーを一口飲んで眠気を覚ます。
「笹山さん」
「はい! 」
急に呼ばれてびっくりし、反射的に返事をしてしまった……何かまずいことでもしたかとギクリとしてしまう。
「大変だと思うけどよろしくお願いしますね」
「は、はい……」
何がだろう……話はどんどん進んでいってしまって、結局なんだか分からないまま終わってしまった。
もう一度資料を見返して復習する。
確かに配信が増えた分、私の受け持ちも増えているけど、わざわざ呼び掛けられる程大変でもないし、眠そうにしていたのがバレたのかと冷や冷やしていると、坂野さんが向こうの席から手招きしているのが見えた。
「笹山さん、ちょっといい? 」
「はい」
「さっきの件、改めて説明したいんだけどね」
「はい」
「本来、スタッフの教育は管理職がやるんだけど今年は2人受け持つことになったからちょっと大変でね、笹山さんにも手伝ってもらいたくて、カリキュラムに名前を入れたんだけど大丈夫よね? 」
えっ! 私が教えるの? 思わず心の中で叫んでしまう。
「最初の導入部分の10項目かな、社内のルールから動画配信見学まで。後は山田さんとか巻さんがやってくれると思うから」
なんで気づかなかったのか、よく見るとちゃんと私の名前が書かれている。
「はい、頑張ってみます」
教育といっても私が受け持つのは、ほんの一部分。社内のルールとか業務内容の説明といった部分。急な話だからちょっと不安だけど、このくらいなら大丈夫かな。
「草野君は……あぁ、社長室か……紹介出来ないな。海外で暮らしていたからまだ大学生だけど歳は笹山さんの一つ下だから話は合うんじゃないかな」
「海外にいたんですか? 」
「そうみたいよ? 私も詳しくは聞いていないんだけどね……本人に聞いてみたらいいんじゃない? 」
「はい……そうですね」
「じゃあ、私はリーダーミーティングに行かなきゃ。しばらく笹山さんとは出勤被らないけど、何かあったらメールしてね」
「はい、ありがとうございました」
慌ただしくミーティングに向かう坂野さんの背中を大変そうだと思いながら見送る。リーダーになるとミーティングだらけ……私は、2つでいっぱいいっぱいなのに。
デスクに戻ってもう一度、復習する。割り振られた仕事はなるべく納期の3日前には終わるようにスケジュールを組む。
配信が増えた分、仕事は増えるけれど無理しなくてもこなせる程度だし、草野君に関しても、そんなに時間かからないかな。
私達の仕事は、学校と連携して講義動画の配信やオンライン指導をすること。
今は国が教育を重視しているから、全ての学生が学校と動画での自主学習の二重構造で勉強する決まりになっている。学生は大変だけれど、最近人気の天文学や宇宙史のような分野も好きに選んで勉強できるから将来の可能性が広がる、とてもいい制度だと思う。
「お疲れ様でしたー」
「お疲れ様でした」
そういえば私は……自分の説明で理解してもらえるのが嬉しくて、それでこの道を選んだんだったな。
何気なく、初めて先生になりたいと思った時の情景を思い出す。
約束を思い出して時計を見ると既に12時を過ぎている。慌てて帰り支度をし、私はオフィスを飛び出した。
「あっ! ごめんなさい」
「お疲れ様です。巻さんはまだいらっしゃいますか? 」
「中に居ましたよ」
「ありがとうございます。お気をつけて」
オフィスを出たところでぶつかりそうになったのは、とてもキレイな顔立ちのマネキンみたいなロイドさん。
整った彫りの深い顔立ちに電子的な声がロイドさんの特徴。そういえばいつの間にか、清掃のロイドさんだけじゃなくて、事務や経理の分野にもロイドさんがいて、うちの会社でも活躍している。
最近、ロイドさん増えたなぁ……ふと思ったけれど、特に気にもせず急いでエレベーターに飛び乗った。
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