第10話 日常 その①

 魔王討伐という目標を掲げた日から幾日かの夜が明け、何度目が覚めてもそれは夢ではなかったと諦め始めた頃、僕の筋肉痛は治っていた。

 そりゃあ、普段ロクに運動もしないのにいきなりあんなに走ったりして動いたら筋肉の一つや二つ、痛みで悲鳴をあげるってもんだ。

 これからは街の中だけでも転移は控えて歩くべきかな。


 さてこの日、僕はある試験を受けにギルドに来ていた。

 僕はよく運搬系の依頼を受注するのだが、中には少しの衝撃で爆破する鉱石や引火しやすい液体など、運搬するのに資格を持っていないと受注出来ない危険物を扱う依頼があるのだ。

 僕の場合『オーバー・ザ・ワールド』と『ベネフィット・スターズ』のコンボで運ぶから運搬過程での危険なんて有るわけもないし、別に資格を持っていない普通のブレイブの人でも運べると言えば運べるが、ギルドや国でも法として定められているから仕方がない。

 もっとも能力で転移して運びますなんて、口が裂けても言わないが。

 ちなみにそういう資格や免許を必要とする依頼は他のに比べると報酬が高い。

 そういう訳でちょいと面倒だが金のため、受注出来る依頼の幅を広げようと試験に申し込みをした次第である。


「よし、到着だ」


 試験開始十分前。

 『オーバー・ザ・ワールド』で自宅からノータイムでやって来た。

 やっぱり歩くのは面倒だったからだ。

 それにしても早く来すぎたかな。

 まあいい。

 自分の席を探すとかしてればあっという間だろ。

 それにしても他の試験を受ける人か知らないが随分と眠たそうにフラフラ歩いてる奴がちらほら見受けられる。

 きっと昨日、遅くまで試験勉強していたのだろう。

 睡眠不足は健康の敵だというのに。

 ちなみに僕は試験を受けると決まってから一カ月ほど時間があったが、一秒も勉強していない。

 時間が無かった訳でもなく、ただ勉強するのが面倒だったので適当に時を過ごしていただけだ。

 この試験、聞いた話だと筆記問題のみだが割と難しいらしく合格率は低いらしい。

 アティナに「そんな舐めっぷりで受かるわけないじゃないの」と言われたが、ところがどっこい。

 この僕がなんの勝算もなく、ただ真正面から戦いを挑むなんて愚行を犯す訳がない。

 秘策はある。

 そしてその仕込みは既に昨夜完成している。


 そう、カンニングだ。

 問題集や過去問の解答を紙にまとめ挙げたカンニングペーパーを大量に用意してやった。

 しかし試験では筆記用具は用意されたものを使わなければならないので紙を鉛筆に巻き付けたり、消しゴムに書いたりするなどの細工は不可能。

 かといって服や靴に仕込むには限界がある。


 ならばどうするか?


 そこで『アイズ・オブ・ヘブン』の出番だ。

 その能力で自分の部屋に敷き詰めておいたカンニングペーパーを見ればいいって寸法。

 さらに他に受験を受けている奴の解答用紙をカンニングすることも出来るという二段構え。

 バレることも百パーセントあり得ないし、まさに完璧。

 勉強なんて馬鹿のすることだ。

 天才は勉強しなくても高得点をとれるからなんだよな。


「さて、ここか」


 ギルドの二階。

 僕は自分の受ける試験会場の部屋を見つけた。

 まあ強いて一つだけ気がかりを言うなら僕の受験番号が一番ということだ。

 もし席順が受験番号順なら受験番号が一番だと最前列の席に座ることになり試験管の人の近くになってしまう。

 カンニングをする上でそれは精神的不安になる。

 カンニングで最も必要になるのは実際に行う度胸だからな。

 仮にカンニングを疑われても僕からは証拠は出ないのだから本来は気にかけることないのだが。

 うん、そう考えればノープロブレムだナ。

 もはや確定した合格に笑みがこぼれるちまう。

 

 しかし、僕が余裕の面持ちで部屋の扉を開けると、すぐ異常に気が付いた。

 

「あれ?」

 

 開始十分前、いやもう五分前だというのにがらんとしていて誰もいないのだ。

 部屋を間違えたかと思って何度も確認したが、受験表に書かれた部屋で間違いなかった。

 どういうことかと首を傾げていると、後ろから声をかけられる。


「ん、君が受験番号一番のスターレットだな。そこの前の席に着きたまえ。あと筆記用具はこれを使ってくれ」


「あ、はい」


 そういかにも試験官という雰囲気の女の人に言われ、鉛筆と消しゴムを渡され席に着く。 

 ここで合っていたと安心するが他に誰も居ないのはどういうことかと思い、それとなく聞いてみる。


「いやぁそれにしても他に受験を受ける方はまだ来てないみたいですね」

 

 それに試験官の女の人が答える。


「ん、何だ知らないのか。今回危険物取り扱いの試験の申し込み者は君一人だけだ。まあ気にせず頑張ってくれ」


「え」


 その言葉に僕、さっきまでの余裕が凍りついた。


 な、何ぃぃ…………!?

 そんな馬鹿な……?

 聞いてないよ、そんなこと。

 あり得ない……どうしてこんなことに……?


 思わず心が悲鳴をあげる。

 他の奴の解答用紙をカンニングするという手を潰されるという不足の事態に、心中穏やかじゃなくなってしまったが……。

 いやまて、落ち着け。

 まだ慌てる段階じゃない。

 僕には大量のカンニングペーパーが味方についているじゃないか。

 大丈夫、全然まだ大丈夫。

 ノープロブレムだ。

 僕の栄光の合格は揺るがない……!


「時間だ、スターレット。制限時間は一時間、早く終わった場合はその場で用紙を提出し、帰宅して貰ってかまわない。一人だからな」


「わ、分かりました」


 一時間……くっ、カンニングペーパーだけだと間に合うかどうか微妙だな。

 カンニングペーパーは用意したのはいいが、その量故に肝心の探したい部分を見つけるのに時間がかかってしまう恐れがある。

 だから他の奴の解答をカンニングすることに少し頼っていたのだが……こうなっては仕方がない、自分の力だけでなんとか乗り切るしかない。

 確か七割以上正解で合格だったはずだから全部埋めなくてもいいが、それでもそこまで間に合うかどうかは問題次第だな。

 ちっ、何でこんな理不尽な目に。


「ところで釘を刺しておくがカンニングが発覚した時は即、試験は中止。場合いによっては何らかの罰則があるからそのつもりで。君は大丈夫だな?」


「は、はは、も、もちろんっすよ……」


 気にするな……!

 絶対にバレない、バレる由も無い……!

 大丈夫だ、心配するな……!


 そう自分に言い聞かせる僕だが、試験管と向かい合うというこの状況に今の脅し。

 多分、試験官の女の人は冗談で言ったのだろうが思わず動揺が声に出てしまう。

 くそっ、急に緊張してきやがった。

 心臓が早く動いているのを感じるぜ。


「それでは……初め」


 その言葉を合図に配られた用紙をめくる。

 まずは慌てず、しっかり自分の名前を記入。

 名前を書き忘れて不合格じゃ笑えないからな。

 そして第一問に目を通す。


 …………よし、見覚えのある字面だ。

 この問題の答えの書いてる場所には心当たりがある。

 僕は幸先いいと思いながら『アイズ・オブ・ヘブン』を発動させ自分の部屋の紙の大群から目当ての部分を探し出す。

 この調子ならいける、いけるぞ……!









 一方。

 留守番を任せてたアティナは。


「ひっ……!? 何これ、文字がびっしり書いてある紙が壁や床に大量に敷き詰められている……? クズゴミったら昨日ごそごそなんかやってると思ったら、とんだ呪術を試していたのね。陰湿な奴だと思っていたけど、まさかここまでやるとは……。これは放って置けないわ」

 








 な……?

 

 アティナの馬鹿野郎がカンニングペーパーを次々とくしゃくしゃに丸めてゴミ箱に捨て始めたのを見て、僕は血を吐き出しそうになった。

 

 う、うわぁぁぁぁーー!!?


 あまりのことに一瞬思考停止してしまった脳が動き出し事を理解した瞬間、僕の中で理性が発狂した。


 ああ、あぁぁぁぁぁぁーー!!


 アティナは僕の血と涙の結晶を無慈悲にもゴミのように破り捨てていく。


 やめてぇぇーー! やめてぇぇーー! ああ、うあぁぁ!


 僕がいくらそう懇願したところでアティナに届くはずもなく、カンニングペーパーはどんどん片付けられてゆく。

 

 あ、あ、あぁぁぁ…………。


 ひとしきり掃除を終え僕のカンニングペーパー群を全滅させると、アティナは満足したのかスッキリとした表情でどこかへ行ってしまった。

 僕が絶望感と焦燥感に打ちのめされていることなど知らずに。


 …………なんてこったい。

 酷い、あんまりだ。


「お、おいスターレット、どうした大丈夫か? 何をそんな泣きそうな顔をしているんだ。それに顔色も悪いし汗の出かたも普通じゃない。調子が悪いのなら医務室へーー」

 

「あ、いえ、僕なら大丈夫です。どうかお構いなく……」


 平静を装おうとするが心のショックが大きすぎて試験官に心配される始末。


 もうダメだ。

 おしまいだ。

 どうしてこうなった。

 余裕だったはずだろ、ちくしょう。

 何故ほんの数分でここまで追い詰められなきゃならないんだ。

 僕としたことが、完璧なプランを立てたつもりがあの野郎のことを計算にいれていなかったのは迂闊だった。

 こんなことになるなら、アティナは簀巻きにしてトイレか押入れにでも閉じ込めてから出掛けるべきだったんだ。


 悔やんでも悔やみきれず後悔に身体を震わせ、悪気は無かったとは思うがアティナには何らかの形で復讐することを決意する僕を、試験官の女の人は心配そうに見つめてた。

 しかしそんなこと気にしていられない。

 もうこうなってしまった今となっては僕の能力ではどうしようもなく、出来ることといえば正攻法に解答を書いていくことだ。

 くそっ、こんなことになるならカンニングペーパーなんか作ってないで少しでも勉強しておけば良かった。

 

 僕はなんとかこの状況を打開する策を考える……が、時間が足りない。

 諦めの境地に立たされた僕は思った。


 …………後悔先に立たずだ。

 今のうちにアティナへの嫌がらせでも考えておくか。

 でも白紙で提出するのはみっともないから分かる範囲でなんか書いとこう。











 そして後日。


 カンニングペーパーにまとめたことを割と覚えてたおかげか。


 なんか合格しました。

 

 

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