Chapter 11 私の愛しいあなた
40 真実の夜
そのまま巫女たちに付き添われて馬車に乗り、私は無事自宅へと戻ってきた。まだあと片付けがあるらしく、マルテスは父の元に残った。
すでに連絡を受けていた母と侍女たちが待ち構えていて、びしょ濡れで帰宅した私を甲斐甲斐しく面倒みてくれる。数人の侍女によって身体を清められ、綺麗な部屋ぎに着替えさせてもらってやっと一息付けた。
そのまま退室を告げてトボトボと部屋に戻ってみれば、やはりマルテスがそこで待っていた。私はその横を通り過ぎて窓べりの長椅子に身体を横たえる。
疲れた。ほんとに。
だって死にかけたんだもの。
それまでどんなに気を張ってやり取りしてても、ひと息ついた途端、一気に疲れが襲ってきた。
「大丈夫か?」
心配そうに私のあとを追ってすぐ横に腰かけた先輩マルテスが、私の頭を自分の膝に乗せて近くに置かれていたひざ掛けをかけてくれる。
「大丈夫です。問題ありません」
もう、本当に何も問題はないのだろう。祭祀は成功したし、私たちは死ななかった。
私の祭祀を邪魔しようとした者は全て捕まることになったし、街の人々も改めて祝福の恩恵に感謝するだろう。
だけど。
私にはまだ納得のいっていないことがいくつかある。
「ところで先輩、私まだどうしてもに落ちないことがいくつかあるんです。私の質問に答えてくださいますか?」
私は寝かされた膝の上から先輩を見あげて問いかけた。
「答えられることならばな」
慎重にそう返事をした先輩の顔には、言葉の割に私への
「先輩、私を
「騙していたなどと人聞きの悪い」
それまで少し心配そうに見下ろしていた先輩がムッと顔をしかめる。
「じゃあ、なんで今回も先輩の乗船が遅れたんですか?」
「それはさっきも説明した通り、今回の祭祀に少しでも関わる者の保護と捕縛に駆けずり回ってたからだ。おかげであの蕾になにかしら細工があるのは最初っから分かっていた」
「どうして前もって知らせてくれなかったんですか!」
「そんなことをしたら祭祀が取りやめられてしまうだろう。それにあれはいい機会だった」
きっぱりとそう言い切られてしまって二の句が
確かに祭祀を止められちゃ困るし、さっきのお父様のスピーチはメチャクチャ皆の心に届きやすかった。
それにしたって私が知ってても問題ないじゃない。
「それじゃあ全部、お父様と二人で計画してたんですよね?」
私の恨みのこもった視線に先輩がムッとしたままそっぽを向いた。
「否定はしない。だが君が溺れかけるなんてことはむろん計算外だった」
やっぱり。
「だがお陰で想定以上に効果的ではあったがな」
「だったら私にも最初っから教えて下さればいいのに!」
またも文句を言う私にマルテスがムスッとしたまま返事を返す。
「あれは神殿騎士の職分で知りえたことだ。僕の一存で君に伝えるべきことではない」
視線を私に戻した先輩は、口にチャックをするまねをしてそれ以上話す気がないことを無言で主張する。
そんな先輩の子供っぽい態度に呆れながらも、ほんのちょっとだけ、可愛いなんて思ってしまった。
いけないいけない。聞きたいことはまだまだあるんだから。
今さら気づいたけどマルテスとお父様ってホントこういうところがよく似てる。この二人を組ませちゃった時点で、私は
とりあえずこれはもう諦めて次の質問に移る。
「ではあのお茶の件は? 先輩は襲ってくる刺客が誰だか知ってたのでしょう? なんで最初から取り押さえなかったの?」
「転移する前に言ったはずだ。君はお茶を飲まなければそれでいいって」
私の質問に今度は先輩マルテスが眉を吊りあげて私を睨んだ。
「なのに君ときたら勝手にお茶を持ってテントから出てきてしまった。挙句その場で毒のデモンストレーションまで始めた時には、こっちのほうが胃の痛い思いをさせられたぞ」
あれ?
そう言えばそんなことを言ってたような気もする?
なんだか雲行の悪い話の流れに身じろぎすると、先輩が大きなため息をつきつつ私の上半身を起こしあげ、そのまま腕に囲い込むように自分の膝の上に座らせた。
「本来なら僕が君のお茶の出所を追求しながら刺客を捕縛するはずだったのに、君が勝手に飛び出してくるから仕方なくそれに合わせたまでだ。全く、なんとか上手くいったからいいようなものの、一歩間違えればとハラハラさせられたのはこっちのほうだ」
そう文句を言いつつも、先輩マルテスの目は私の無事を再度確認するように
「まあこれで皇太子殿下は当分自由の利かない身になるだろうし、メルクリに至っては牢屋行き、下手したら極刑もありえるだろう。これ以上君に無駄なちょっかいを出す余裕のある者はいなくなる」
「そ、そこまでしなくても」
流石にメルクリ総督がちょっとかわいそう。そう思ってついこぼした私の言葉を聞きとがめた先輩がギロリとこちらを睨む。
「祭女の祭祀を軽んじ、
え、今聞き逃せないことを聞いた気がする!
「ま、待って下さい。今、
先輩に睨まれながらも、ここはひるまず聞き返した。すると先輩が少し眼を光らせながら説明してくれる。
「あれは厳密には毒ではない。単なる痺れ薬だ。あの量ならばしばらく意識を失ったとしても死ぬようなことはなかっただろう。だが祭祀は中断される」
「じゃあメルクリ総督は私に祭祀をさせないために……」
「そういうことだ」
じゃあ、結局メルクリ総督も私を殺すつもりじゃなかったのね。
あれ、でもそれじゃあ
「ならばなんであの兵士は私を襲ったんですか?」
最初から私を殺す気がなかったのなら、なんでメルクリ総督は刺客を仕込んだのだろう。
そんな当たり前の私の疑問にマルテスが苦笑いしながら説明してくれた。
「あれはメルクリにしても計算外だったそうだ。僕の命を狙うために雇った兵士が、
「え? じゃあ私は単なる巻き添えだったんですか?」
「あの兵士を尋問した神殿騎士によればそういうことになる。本当の依頼は船上のどさくさに紛れて僕を殺害することだけだったらしい」
そう言って先輩は肩をすくめた。
え、じゃあなに?
結局私を殺害する動機はあの二人にはなかったってことなの!?
「そんな馬鹿らしい理由で私たち、前世で命を落としたんですか……」
「まあ僕は普通に暗殺だが、君は単なる僕の道づれだな」
苦笑いしてそう言うけど、それ全然笑えることじゃない。
笑えることじゃないんだけど。
それでも、私も無理やり一緒になってちょっとだけ笑ってみた。
聞きたいけど聞きたくない。だけど聞かない訳にはいかない。
そんな最後の問を口にするだけの心の余裕を、先輩と笑みを交わしてなんとかかき集める。震えそうになる自分の手をもう一方の手で掴みながら、私は覚悟を決めて口を開く。
「先輩。それじゃあ最後の質問です。あの時、私を船から突き落としたのは一体……?」
「ジュディスだ」
結局最後まで自分では言い切れなかった私の質問を、先輩が引き取ってはっきりと答えてくれた。
やっぱり……
私にも落ちたあと一瞬だけ、悲痛に顔を歪ませた彼の顔が見えた気がしていた。
「でもなぜ……?」
聞くのが怖い。
自分の信頼していた友人が突然私を襲ってきた。
見てしまったし、確認してもまだ信じたくなかった。信じるのが辛かった。
そんな私を
「追い詰められたそうだ」
「え?」
「もうこれ以上耐えられなかったと言っていた」
「…………」
よく、分からない。
彼がいつもお父さんのことで悩んでるのは知ってた。この前会った時も、祭祀を取りやめにして欲しいとは言っていた。
だけどだからってなんで私を殺そうとするの?
私の戸惑いを少し悲しそうに眺めて先輩が私の疑問に答えてくれる。
「君に謝りつつも、君が、君さえソリス皇太子とメルクリ総督を天秤にかけたりしなければ父もあそこまで追い込まれなかっただろう、そう言っていたよ」
「そ、そんな、だってジュディスは私にいつもお父さんのことを謝ってくれてたんですよ?」
どうしてもいつものジュディスがそんなことを言うのが想像つかない。
私の態度が
一瞬そんなことが頭をよぎる。
でもすぐに私の顔色を読んだ先輩が首を振って断言する。
「パトロンの話を長引かせたのは君じゃない。だけど、残念ながら彼はそんなことを知る立場にはいなかった。そして今回の件で君は祭祀の中、証拠を積みあげてメルクリを見事に追い込んでくれた。だが、その結果に追い込まれてしまったのはメルクリだけではなかったということだ」
「で、でもジュディスはいつもお父さんのこと色ボケしてるとか色々ってたのに……」
「自分でそう言い続けるのと、実際にその事実を公衆の面前で突きつけられるのでは違うだろう。皆の目の前で父親の凶行をさらけだした君が祭祀を失敗したのを見て、発作的に突き飛ばしたのだそうだ。……君の失敗を、君がすでに他の者にその身を委ねた証だと思ったのだろうな」
それって、結局私が彼を追い詰めてしまったってことではないだろうか。
あんなに気が弱くて、いつもビクビク怯えていたジュディスが、衝動的にでも私を突き落とすところまで、私は彼を追い詰めてしまったのだろうか。
「……ジュディスは、彼はどうなるの?」
「刑罰に問われるのは致し方あるまい。国の財産たる祭女を殺そうとしたのだからその刑罰は決して軽くはないだろう」
やりきれない想いで俯きそうになる私を、先輩が優しく膝から押し出してしっかりと立たせ、真っすぐに向き合って
「襲われた君自身が正式に彼の状況を
そう……なのかもしれない。
胸に残るやりきれない想いに無言になってしまった私を、しばらくの間先輩マルテスが静かに見守ってくれていた。
でも、そこでふと自分を奮い立たせるように大きく一つ深呼吸する。
「山之内君。……いえ、フレイヤ様」
先輩が絞り出すようにして私の名を呼ぶ。なんだろう、先輩がやけに緊張してる気がする。
「これで貴方の未来を脅かす者は誰もいなくなりました。祭女を
ドクンっと心臓が鳴った。
私が、フレイヤが自分で自分の自由を選択しても許される……ってこと?
私の思考を遮って、マルテスが先を続ける。
「貴方がこのまま祭女の日常にお戻りになってしまう前に、僕はどうしても貴方に伝えておきたい……ことがあります」
硬い口調でそこまで私に続けた先輩マルテスが、突然私の目の前で深く跪いた。
「せ、先輩?」
突然跪いてしまった先輩に戸惑いながら声を掛けると、先輩マルテスが上目遣いにこちらを見あげる。
「……フレイヤ様、お願いがございます」
先輩マルテスが私の手を取り、その紫の瞳に静かな情熱の火をしてじっと私を見つめながら言葉を続けた。
「私をお選びください」
「え?」
「私を、マルテスを貴方のパトロンとしてどうぞお選びください」
静かにそういったマルテスは、私の手の甲に優しく口づける。
一瞬驚愕と歓喜が沸き起こり、衝動的な答えが私の胸を駆けのぼった。
それが喉元まで来たところで、私は突然首を絞められたように言葉を出せなくなった。
「……いけません」
私の絞り出した否定の言葉を悲壮な顔で受け止めたマルテスが愛おしい。
優しいマルテス。
この件で、私がまたいつか同じような目に会わないように、私のパトロンとして祭女の役割が終わるまでずっと付き合ってくれる気らしい。
でもお相手の女性はそんなに待てるのだろうか。
無理だと思う。
私は自分の答えを飲み込んで胸にしまい込み、いつものように笑顔を作ってマルテスに答えた。
「マルテス、それはいけません。私への忠誠のために自分の幸せを犠牲にする必要はないのですよ」
私の答えにマルテスが驚いた顔をする。そうやって私を気遣いつづけるマルテスに苦笑しながら、私はそれを無視して先を続けた。
「聞いています。貴方には『運命』の想い人がいるのでしょう。この一件が片付いたらすぐに向かいなさい。待ってらっしゃるはずですよ」
私の
もっと早くこういってあげられれば良かったのに。
今まではっきりとそう言ってあげられなかったのは、ただただ私が彼を失いたくなかったから。全ては私のわがまま。
だけど私だってもう祭女として胸を張って人生を続けられるのだから、今度こそ彼を本当の運命の相手の元に返してあげなければならない。
私がそう決心して彼に告げようとしたその瞬間、マルテスが唐突に立ち上がった。
「ひぎゃ!!」
立ち上がったマルテスはそのまま私を抱えあげ、私の額に自分の額を思いっきりぶつけた。
「このすっとぼけ娘が。その悲劇脳をなんとかしろ。いつ、僕が他に想い人がいるなんて言った?」
痛みに目がかすむ私に先輩マルテスがはっきりとそう言い放ち、抱えあげた私を腰のところできつく抱きしめ、無理やり視線を合わせてくる。
さ、さっきまでの紳士的なマルテスはどこ行った?
「え? だ、だって巫女たちがずっと話してましたよ、貴方に告白した娘たちに、貴方がはっきり『運命』の想い人がいると言って断られたと──」
私の言い訳に先輩マルテスがかぶせるように反論する。
「ああ言ったさ。確かに言った。それで頭の硬いフレイヤ様は、それを一体どこの誰だと
あ、あれ?
マルテスがすごく怒ってる。
こんなマルテスも今まで見たことなかったけど、こっちは知らないままで良かったのに!
「何度も何度も繰り返し言ってきたと思いますが? 貴方一人に忠誠を誓ったと。それで一体どうして他の者に目が行くはずがありましょうか?」
それはだって忠誠と愛情は別物でしょ?
違う? 違うの?
……もしかするとこの人にとっては、それは同じことなの……かしら?
でもちょっと待ってそれじゃあ──
「じゃ、じゃあマルテスの想い人って……?」
「貴方に決まってるでしょうが!」
「じゃあどこかで待ってる『運命』の想い人さんは?」
「そんな奴いるか! 君はまだ疑うのかい? 僕がずっと守ってきたのは貴方ただ一人だ」
頭が爆発するかと思った。
マルテス、の、想い人は私だった。
私だけじゃなく、この人も私をずっと想ってくれていたらしい。
そんなことを突然言われても、私にはまだどうしても信じられない。
だって侍女たちは一度だってそんなことは匂わせていなかった。
そんな気持ちが顔に現れてたんだろう、先輩マルテスが真っすぐに私の顔を覗き込みながら、言い聞かせるようにゆっくりと言葉を重ねた。
「また単細胞なフレイヤ様は貴方を取り巻く口さがない侍女たちの噂話をそっくりそのまま信じ込まれましたね。彼女たちがあなたに嫉妬していることなど、まるっきりご存じないでしょう?」
「た、単細胞って、マルテス貴方いつもそんなふうに私のこと見てたのですか!?」
「見てましたとも。そりゃそうでしょう、こんなにいつもはっきり目の前で告白し続けてきてるのに、貴方ときたらほんの少しの想像力も働かせてくださらない。祭女の騎士として貴方に仕える僕に『貴方一人に忠誠を誓う』以上、一体なにを言わせたかったんですか?」
「そ、そんなこと言ったって、そんなの分かるわけないじゃないの!」
それまで驚愕と困惑でいっぱいだった胸の中に、徐々に喜びが広がっていき、文句を言いつつも頬が緩んでしまいそうになる。
それでもマルテスに好き放題に言われたのがやっぱり悔しくて、どうしても素直に頷けない。
そんな私を見るマルテスの瞳が徐々に興奮に輝き始め、私をしっかりと抱えたままゆうゆうと歩き出した。
どこへ向かうのかと思えばすぐ隣の私の寝室の入り口を抜けて、迷いもなくそこに置かれている私の寝台へと進んでいく。
「まったく強情ですね。選ぶのが難しいと言うのなら、僕が許さざるを得なくして差しあげましょうか?」
ゾクリとするような情熱のこもった目を私に向けるマルテスが、あの時のように私の身体を優しく寝台に押し倒す。
「思い出しませんか? 僕を愛していると言ってくれた夜のことを」
え?
「ここに残した僕の証はもう消えてしまいましたか?」
あ……
目を見開く私を見るマルテスの顔が嬉しそうに綻ぶ。
「思い出しましたか? 貴方は一度僕に触れることを許して下さった……」
言葉と共に唇が重ねられ、熱が私に流れ込み、フレイヤの身体が中心からジクジクと熱くなる。
それは懐かしい熱。すでに知っている熱。
そう、フレイヤの私はとうの昔にマルテスへの愛情を受け入れていた。
あの日、私はマルテスに告白をした。自分の中に芽生えた愛情を受け入れ、そして終わらすために。
なのにこの人は代わりに私に愛を教えてくれた。
『マルテス、ごめんなさい。私、どうして貴方のくれたあの夜を忘れていられたんでしょう』
言葉が勝手に口から
『フレイヤ、どうか僕の申し出を今度こそ受け入れて』
もう一度繰り返したマルテスに、フレイヤが口元を綻ばせながら続ける。
『マルテス。私の純正の騎士。私のただ一人愛する人。貴方の申し出を受けさせて──』
そして。
私の喜びに満ちた
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