38 今日という日

 三十分近くかかる前半の祝詞のりとを終わらせても、結局蕾は開花しなかった。

 ただ、分かっていて見ていた私には一つ気づいたことがある。水面の水は私の祝福を受けて間違いなく澄み輝いていた。


 祝福が止まってるわけじゃない。

 ならばあの蕾にこそ問題があるんじゃないだろうか?


 そう思いつつも祭祀を中断するわけにも行かないので、なにも言わずに参列者に一礼して祭女用のテントに入った。


「祭女様!」

「祭女様どうなさったんですか? なぜ花が咲かなかったのです?」


 先ほど付き添ってくれた巫女たちが夢の中と全く同じように私に駆け寄ってきた。


「なんでもありません。まだ祭祀は半分しか終わってませんもの。これからです」


 夢と同じように二人を安心させるようにそう答える。

 一つ違うのは、あの夢の時と違って私が本当に落ち着いているってこと。

 このあとに出されるお茶を飲まなければ祭祀はそのまま滞りなく続くはずなのだ。

 夢で見た通り巫女の一人がすぐにお茶を入れて持ってきてくれた。私はそれを受け取ってまじまじとその中身を見てしまう。


「……まあ、珍しい。こんな時期にフィネルのお茶なんて」

「ソリス皇太子殿下からの献上品けんじょうひんです」


 私が口をつけずにその香りだけを吸ってそう尋ねると、お茶を入れてくれた巫女が少し嬉しそうに返した。


「……ソリス皇太子殿下がここにお持ちくださったのですか?」

「いいえ、兵士の一人がこちらにお持ちくださいました」


 やっぱりそんな簡単にはいかないか。

 これじゃあ誰が犯人かはっきりしない。

 どうしよう、このままだと折角ここまで来て犯人が分からずじまいだ。


 私はちょっと考えてからその巫女に尋ねてみる。


「その方にもお礼を言いたわ。どの方か貴方覚えてらっしゃる?」


 私の問いかけに巫女がちょっと困った顔で俯いた。


「どうでしょう。兵士の皆様は甲冑と被り物をされていてよく似てらっしゃるから……」

「そうですか。それではちょっとだけテントの外に行って見つけられるか見て来てくださる? 声は掛けなくて結構です。そっと教えて下されば私からあとでお礼を申し上げますからね」


 そう言って私が片目を瞑ると、若い巫女はパッと顔を輝かせそそくさとテントの外に出ていった。


 チャンスはこの一回きりだ。ならば迷ってる暇なんてない。

 マルテスがどこにいるのか分からない今、私も自分に出来る限りのことをしてみよう。


 すぐに戻ってきた巫女の報告を受けた私は、意を決してお茶のカップを持ったままテントの外へ踏み出した。


「ソリス皇太子殿下」


 テントのすぐ外に座っていたソリス皇太子殿下に声を掛けると、パッと顔を輝かせてこちらを振り向いた。


 やっぱりソリス皇太子殿下が送ったわけではないのだわ。そうでなければ、テントから茶器を持ったまま出てきた私に、こんなにも無邪気な笑顔は向けられないだろう。


 私は一息吸ってニッコリと微笑みながら続けた。


「ソリス皇太子殿下。このような貴重なお茶を献上けんじょう頂きありがとうございます。祭事の最中に私が先に手を付けるにはあまりにも恐れ多いので、最初の一杯は神に捧げさせていただきます」

「え? お茶……ですか? 僕はそのような物は──」


 私の言葉に虚を突かれて、ポケっとした声でそう返したソリス殿下を素通りして、私は真っすぐに左舷さげんに向かう。船べりでカップを傾けると薄い色のお茶が水に混じり、フィネルの爽やかな香りが周囲に広がった。


「おい、なんだ、魚が浮かんで来たぞ」


 突然、私の川下に立っていた一人の兵士がそう叫ぶと、ざわざわと船上が騒がしくなる。


「こ、これはどういうことですかソリス皇太子殿下!」

「なんのことだ、僕は知らないぞ! 一体誰の仕業だ、僕の名をめようとするのはどこの誰だ!」

「そんなことを言っても無駄です、今祭女様がおっしゃられたではありませんか」

「知らん! 僕は知らん!」

「お鎮まりください!!!」


 騒ぎの広がる一方の船上で、私は普段から祝詞のりとで鍛えた声を最大限に活かして一括した。船上のざわめきが私の一括でスッと鎮まる。


「これを入れてくれた巫女はこの茶葉を一人の兵士から受け取ったそうです。……貴方ではありませんか?」


 私はすぐ近くに立っていた兵士の顔を見あげながらそう尋ねた。


「私がお茶を川面に流す時、貴方だけがジッと私とこの巫女を見ていました」


 正直言ってこれは賭けだった。

 彼女は多分そうだろうとこの兵士を指さした。そして私も彼の反応を観察してた。

 八割がた黒だ、そう思ってたけど確信はなかった。

 でも、私に指摘された兵士はその顔を一気に怒りと憎しみに歪め、真っ赤になって喚き始めた。


「……祝福もろくにできないエセ巫女の癖に!」

「キャッ!」


 私を罵るその言葉は彼の行動を裏付けていた。それは間違いなく私の指摘が正しかったことを示していた。

 けれど、彼の取った行動は私の予想を大きく上回っていた。


 叫びながら振りあげられた大ぶりの剣は、陽の光を受けて頭上でギラギラと輝き、私の目前へと真っ直ぐに迫ってくる。船上の沢山の人たちが茫然ぼうぜんと成り行きを見守っているのが目の端に映った。


 それは多分ほんの数秒の出来事。

 剣がきらめき、刃がかち合って、火花が私に飛んで彼の剣が後ろに弾かれた。


「マ、マルテス! あなた一体どこに……?」

「フレイヤ様、ご無事ですか」


 兵士に突き飛ばされ、倒れそうになっていた私の身体をいつの間にかマルテスの腕が受け止めてくれていた。

 驚きとともに見上げる私の顔を、厳しい顔つきのマルテスが覗き込む。片膝をついた私がマルテスの姿を斜め上に見あげて、もう一度問いかけようとした、その時。

 マルテスのすぐ後ろに人影が立ち、握られた剣が日光を反射してキラリと輝いた。


「あ──」


 危ない!


 私の忠告は間に合わなかった。だってその瞬間、襲ってきた兵士がマルテスのすぐ後ろでバタリと倒れたから。


 え、今なにが起きたの?


「ううっ!」


 パニックにおちいってる私をマルテスの腕が強く抱きしめてくれている。

 その腕の感触に、私もやっと少し落ち着いて倒れこんだ兵士を見ることができた。よく見れば、倒れた彼の太腿には短剣がグッサリと深く突き立っていた。後ろでうめき声をあげる兵士を冷酷な目で一瞥したマルテスが、参列者のほうに向かって叫ぶ。


「この者の身柄はこちらで預かります。神殿騎士前へ!」

「はあ? 神殿騎士など乗せた覚えはない──」


 文句を言おうとしたメルクリ総督のすぐ横で、ザっと数人の参列者が立ち上がった。そのままマルテスの前まで進み出て床に倒れた兵士を拘束する。


「証人を殺されてはたまらないですからね。船を降りるまでそこで確実に守り抜いてください」

「はっ!」


 マルテスの指示に参列者の間から進み出た人たちが一斉に頷いた。


「さて皇太子殿下。こちらの兵士に見覚えはございますか?」


 マルテスの詰問口調にムッとしながらも、皇太子殿下が首を振る。


「僕の兵ではない。百人隊長を呼べ、彼に証言させろ」

「確認するまでもありません、殿下の騎士は全て把握しておりますがこんな者はおりません」


 進み出た隊長格の兵士がすぐに返答する。


「ではメルクリ総督、貴殿はいかがですか? 貴方も私兵しへいをお連れになったと思いますが?」

「し、知らん、そんな者ワシは知らん」

「くっ、裏切るのかこの卑怯者! 俺を捨てごまにする気か」


 メルクリの叫びを聞いた兵士がももに短剣の突き刺さったまま苦しげにそう叫ぶと、船上の全ての視線がメルクリに集まった。


「殿下、申し訳ありませんが神殿騎士はここにいるだけです。殿下の兵を使ってメルクリ総督を捕縛ほばくしていただけますか」

「言われるまでもない」


 ソリス皇太子の言葉も終わらないうちに百人隊長と数人の兵士が騒ぎ立てるメルクリを縛りあげ、船下へ引きずっていった。


「フレイヤ様、これで邪魔者は全て片付きました。どうぞ心置きなく祭祀をお続けくださいませ」


 ただ呆然ぼうぜんとことの成りゆきを見守っていた私の目の前にマルテスがスッとひざまずき、私の衣のすそうやうやしく口づけを落とした。そのまま頭を垂れて私の返事を待っている。


 全く。

 隠れてたくせに、肝心の時には飛び出してきて全部片付けるとか、ずる過ぎるでしょ。


「皆様ありがとうございました。それでは祭祀を再開いたしましょう」


 文句はあとで言うことにして、私は一息大きく吸って周りを見回した。

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