魔法

 異常なほど広い彼女の住まい。その総面積の半分を占めていたのが、彼女専用の鍛錬場だった。



「うわぁ……見たことない機材がいっぱい……」

「身体能力を向上させるだけなら、この部屋に一か月も通えばかなり成長できると思うよ」



 恐らく最新鋭のトレーニング機材を所狭しと設置しており、その全てが新しいものである筈なのに考えられないほどの摩耗と消耗をしており、どれだけ使われていたのか伺える。


 隣に立つ少女は、己の細身の肉体に、どれほどの重責と修練を課したのだろう。


 ──才能はある。天才もいる。常人には届かない存在は必ず居る。しかし忘れてはいけないのは、天才もまた努力しなければ勝てないという事実だ。


 毎晩恒例のコロシアム鑑賞会の時、父さんがシェラさんを見て呟いた言葉だった。身をもって体験した。



「……さてと、それじゃ早速始めよっか」



 そんな鍛錬場の、開けた場所。広いホテルの一室位の面積位の範囲。その部分のみが絨毯ではなく土になっていた。


 本格的な戦闘訓練はここで行っているのだろう。所々に踏ん張ったかのような跡が見られる。彼女はその中にスタスタと入っていく。



「準備運動はとりあえずまだいいから、こっちに来て」

「……失礼します」



 僕は荷物を置き、刀に左手を添えて戦場の前に立ち、軽く一礼してから入る。その様子を、シェラさんは物珍しそうな目で見ていた。



「……試合の時も思ったけどさ。凄い礼儀正しいよね。コートに挨拶する人なんて初めて見たよ」

「……? だって、これから自分の血やら体液やらで穢す場所ですよ? 失礼します、の一言は当然かと」

「……蒼天は一体どんな教えしてるさ」



 引いてた。普段周りをドン引きさせてる『流星』がドン引きしてた。顔色が若干悪くなるレベルでドン引きしてた。


 そうか、これは普通の感覚じゃないのか。いいこと知った、今度から他人には言わないでおこう。


 僕は若干僕との間に距離を感じる彼女の前に立つ。物理的な距離は先程から中々近いが、精神的には一枚も二枚も壁ができてそうだ。



「よ、よし……それじゃあこれから、『フィジカルブースト』について説明するね……さて、問題です。これはなんでしょうか」



 そういったシェラさんは、何もない手のひらの上に、ボッっと小さな火の玉を出して見せる。見るのはいつ以来だろうか。確か、母さんが得意だったっけな。



「魔法使えるんですか。珍しいですね」

「……やっぱり、深刻だなぁ」



 お伽噺の心強い味方、オカルトの代名詞、種も仕掛けも無い手品。


 散々な言われようだが、事実この世界における『魔法』なんて精々そよ風を起こしたり火種を作ったりする程度の活躍しかできない。おまけに、最近急激な普及を見せている『機械』のせいで、更に活躍の機会を奪われまくっている可哀想な子。


 あったら便利といえば便利だけど無くても困らないし、それなら使えるようになる必要もないよね。


 それが、今の主流の考え方の筈だ。


 だからこそ、彼女の発した『深刻』という言葉が耳につく。



「最初に結論を言っちゃうと、『フィジカルブースト』の正体は魔法。それ以上でもそれ以下でもないよ」

「……いやいやいやいや。それは流石に無茶がありますって。そんなこと魔法にできる訳が──」

「うん、深刻だ」



 会話にもならない、彼女の突き放したような物言いに、流石にムッとする。しかし、彼女の表情を見て、その感情は困惑の方向に変化した。


 ……なんだ、あの可哀想なものを見るような目。


 向けられてあまり気持ちの良いものではない目線に、ぶるりと震える。



「この国での魔法はかなり研究が進んでいてね。原理の解明や使用されているエネルギー源……果ては新しい魔法の開発。学問と言っていいレベルの領域まで、既に昇華されている」

「……でも、街中ではそんな様子見られませんでしたけど」

「君がこれまでこの国で見てきたもの……街頭であったりテレビであったり、何ならその辺にあるトレーニング機材、果てはエレベーター……それらが一部の例外を除いて魔法を動力源にして動いているよ」

「そうなんですか!?」



 頭をガツンと殴られたような衝撃だった。さも当然、と言わんばかりに告げられた事実は、僕にとっては突拍子もない非常識。


 自然と口角が上がっていく。



「凄い凄い凄い! そんなに発展してたんですね!」



 何度も夢見た、魔法がそこらへんに溢れている世界。


 機械が溢れかえり始めた時も、『まるで魔法みたいだ!』と喜んでいた僕。それが本当に魔法のおかげと聞いて、舞い上がらない訳が無い。


 そんな僕に、再び引き気味の女の子。先程よりは引かれていないが、そう何度も何度も引かれると傷つくものがある。



「そ、そうなんだよ! この世界は魔法に溢れてるのさ! ……ま、知らなくても無理はないよ。世の中には魔法の発展をよく思わない人も居るし……それはさておき、つまり君にはこれから魔法を使えるようになってもらう必要があるんだけど……多分君、すぐ使えるようになるよ」



 さらり、何でもないように捲し立てるシェラさん。いくつか気になる単語があったような気もしたが、最後の『多分君、すぐ使えるようになるよ』に全て持っていかれてしまった。


 僕も、魔法。


 今まであった嫌なことが大体吹き飛んだ。さっきのエレベーターとか。



「本当ですか!?」

「うん。あの店でボクが手を握ったでしょ? あの時は君の手に少しだけ『フィジカルブースト』を掛けたんだけど……才能無い人は何にも感じないんだよね。逆に才能ある人は、その辺の機械にとんでもない違和感を覚えるらしいよ」



 話しながら、手遊びをするように掌の上で色々なものを出し遊ぶシェラさん。氷の粒を出したかと思えば、それにぱちりと小さな雷を流して光らせ、小さな竜巻の中に閉じ込めて見せる。


 ……さらりとやってるけど、多分難しいよねあれ。



「で、その方法だけど……時間が無いからかなり荒っぽくやるね」



 小さな竜巻を消したシェラさんは、僕の左手を両手でぎゅっと握る。いきなりのことでドキリとしたが、彼女の浮かべている笑みを見て、別の意味でドキリとする。


 なんだろう、彼女のあの獲物を見つけた肉食の獣のような眼は。明らかに良からぬことを考えている眼だ。


 前にもあったな、この感覚。確か、父さんと三日三晩寝ずの立ち合いをすることになって、それを朝一番に伝えられた時だったっけな。



「これから君の全身に滅茶苦茶強い『フィジカルブースト』を掛けるから、それでまずは魔法に慣れよう!」

「……え」

「まず間違いなくとんでもない衝撃で意識がぶっ飛ぶと思うけど、君なら起きたら完全に魔法に目覚めているから!」

「ちょっと」

「前例は一切ないけど、多分大丈夫!」

「まって」

「それじゃ行くよー! さーん、にーい、いーち」

「大丈夫じゃ──」

「ぜーろ!」

「ま……ごぎゅん」



 人間が出しちゃいけない音が、自分の喉から鳴る。頭に処理しきれないほどの情報量がいっぺんに流れ込んでくる。


 最終的に僕の頭が撮った選択は、意識を飛ばすことによる自己防衛だった。


 闇に染まる意識の中、最後に聞いたのは「……凄い顔」というシェラさんの小さな小さな呟きだった。

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