高いところ
過去最高峰に様々な出来事で彩られた僕のデビュー戦の日。午前中だけで全ての予定が済むはずが、午前中の予定全てが霞かねない出来事が起きている。
相変わらず多くの人が行き交う大通り。僕とシェラさんは彼女の自宅があるという場所へ向けて並んで歩いていた。
店を出る直前、何故か彼女から男物の帽子を渡されたのだが、今になってその理由が分かった。
当然、超有名人であるシェラさんは自分の顔を隠していないとあっという間に人だかりに囲まれてしまうし、それに付き添っている男がいたとなると、割と真面目に身の危険がある。
しかし、彼女が如何にその目立つ髪を帽子の中に隠していても、今の彼女の代名詞ともいえるものが更に一つ増えた。
右手の杖。
これが無ければ満足に歩くことができない彼女は、当然肌身離さず持ち歩いている。しかし、パッと見で若そうな女の子が杖を使っているというのは、一般的に考えるとどうしても目立ってしまう。
もしかして……と目線を投げかけてくる人が圧倒的に多かった。それらから何とか耐え忍び、僕らがやってきたのは彼女の自宅。
「このビルの屋上がボクの家だね」
「いえ……?」
おかしいな。僕の知っている家は、五角形の上に屋根が付いているもののはずだ。
目の前にあるのは、巨大すぎる長方形。石のような素材の壁で作られたこの建物は、兎に角大きい。一番上を見上げようとして、首が大変な角度になってしまっている。
なんだこれ、なんなんだこれ、なんだこれ。
初めてこの国に来た時からずっと感じていたが、いくら何でも技術が発展しすぎではないだろうか。僕の地元と比べても文明レベルが一つ二つ違う気がする。
「さ、さっさと入るよ。セキュリティ厳しいけど、ボクと一緒に入れば大丈夫だから」
「せきゅりてぃ……?」
「あー……防犯機能のこと」
防犯機能。地元にそんな機能を持つ建物は無かった気がする。あって出入り口の戸締り程度だ。それすらも行わない家も多数あったが、そもそも空き巣に入るような人が居なかった。
なんだ防犯機能って。そんなものが必要なほど治安がよろしくないのか。
戦々恐々している僕を他所に、シェラさんはガラスでできた扉の横に設置してある機械の前に立ち、ポケットから取り出した革製の薄い入れ物をそれにかざす。
ピピッ、という音が鳴ったかと思うと、ガラスの扉がうぃーん、と誰も触っていないのに横に開く。
「えぇ……」
「あいたよー……あ、もしかして自動ドアに驚いちゃった?」
「見るもの全てが常識の範囲外なので……」
完全に田舎者の感想だな、と苦笑い。実際問題田舎から来たのだけど。
「まぁ、そのうち慣れるよ……エレベーター、大丈夫かな……」
「えれ……?」
またもや聞き慣れない単語が出てきた。技術が成長すると言語も成長するのだろうか。成長する言語なんて聞いたことないけど。
なにやら心配という言葉を顔面に貼り付けたかのような表情を浮かべる世界最強。本当に表情豊かな人だ。コロシアムでの試合やテレビでの取材の様子からは想像もできない。
「……ま、乗れば分かるか」
「乗る……? 建物の中に乗り物が!?」
「……ソウダネ。ノリモノダネ」
何故かカタコトになっている彼女に首を傾げる。目線も完全に明後日の方向を向いてしまっているし、何やら隠し事のようなものでもあるのだろうか。
しかし、建物の中に存在する乗り物とは一体どんなものなんだろう。と言うか、何故建物の中に乗り物が存在するのだろうか。
どんな乗り物だろうか。建物の中だから、外で使うような大きなものでは無さそうだが……なんにせよ、楽しみだ。
──そんなことを思っていた、数分前の自分を助走を付けてブン殴りたい。
「無理無理無理無理! 高い! 小さい! 落ちる! 落ちる!!」
「落ちないよ……怖いなら目を閉じれば?」
「見てない間に落ちたらどうするんですか!」
「無茶苦茶な……」
僕の絶叫を無視して、ぐんぐん上昇するエレベーター。誰が設計したのか、壁の一面がガラス張りになっており、外が一望できるようになっていた。
高いところがかなり苦手な僕は、一切外を見ることができず、エレベーターの入り口側を向いてしゃがみ込み、何があってもいいように、両手で頭を押さえる。しかし、何があっても目は閉じない。
なんで落ちないって言い切れるんだろう。人が作ったものなら、壊れたり変な動きをするのが当たり前なのに。そんなに信用に値するものなのだろうか。仕組みが知りたい。
「父さん母さん……どうやらここが僕の入る墓場のようです。先立つ不幸をお許しください……あぁ、段々お天道様が近付いてきた……」
「そりゃあ昇ってるからね……それに、君が入る墓場はカンパネルラ家の墓場だよ」
「あぁ、段々寒くなってきた……もうすぐ僕の命も終わりか……」
「冷房だよ。そこ、思い切りエアコンの風当たるところだよ」
──なんて変な会話をしていたら、チンッ、という音がする。次の瞬間、目の前の扉がゆっくり開く。
僕はその開いた僅かな隙間に体を滑り込ませ、エレベーターから脱出する。どうやら僕はまだ天には昇りきっていないらしい。
生きている。その実感が僕の全てを包み込んでいた。目の前がぼやける。おかしいな、霧かな。
「ほ、本気で泣いてる……ごめんね? そんなに怖かったの?」
「こわかった」
情けないと言われても仕方ない。思われても仕方ない。
僕、高いとこ、ほんとに駄目。
ようやく体の震えが治まってくる。この程度で動けなくなってしまっていたら、コロシアムで勝てる訳もない。
お腹に力を入れて、勢いよく立ち上がる。わっ、と背後の彼女が声を上げる。
「……無様な所を見せました。もう大丈夫です」
「あ、そ、そう……」
格好がつかないが、このままゴリ押そう。シェラさんが完全に引き攣った笑みを浮かべていたが、それも無視。
今回の本題は僕のエレベーター嫌いなんかではない。時間は有限、テキパキ行こう。
「所で、シェラさんの家はどの部屋ですか?」
「ん? もう部屋だよ?」
「……………………ん?」
何やら会話が噛み合っていない二人。そもそも生きている次元が違うからか、ここに来るまでも会話が噛み合わないことは何度かあった。
しかし、流石に今回のはおかしい。
彼女の言い分だと、エレベーターを出たらもう自分の家、ということになる。
「……冗談は戦績だけにしてくださいよ。もう家って……エレベーターが玄関なんですか?」
「そうだよ? このカードキーじゃないと、そもそもこの階へ移動することもできないし、扉も開かないよ」
「……え? それってどういうことですか?」
未だに理解の追いつかない僕に、彼女はばつが悪そうにしながら口を開く。
「どうもこうも……このビルの最上階丸々ボクの家だよ。って、さっき言わなかったっけ?」
さらりと言ってのけたそのセリフで、僕の思考回路は完全に停止した。
ぴしり、固まる僕の顔をシェラさんは心配そうに覗き込んでくる。いちいち仕草可愛いなこの人。
「まるまる……?」
「まるまる」
「……掃除できるんですか?」
「まず最初に出る言葉がそれかー」
おかしいな。このビルとかいう建物の面積、道場の面積込みでの僕の家の総面積の倍はある気がする。それ全部、目の前の一人で使ってるの?
そんなにお金持ちなのか、コロシアムの最上位勢は。
生きてる世界の違いにくらくらする。家賃いくらなんだろう。
「掃除に関してはハウスキーパーさんを雇ってるから」
「はうすきーぱー?」
「……家政婦さん? でいいのかな……家事を代行してくれる人の事」
「はえー……」
感心しきっている僕を尻目に、シェラさんは家の中をずんずん進んでいく。慌てて後を追う。
広大な面積の彼女の家だが、やはりその居住スペースは全体の十分の一以下。その全てを一人ではとてもではないが使いきれないとのことで、ハウスキーパーさん用の宿泊室もあるのだとか。
規模の違う発想に度肝を抜かれながら、僕は大人しく彼女の後を付いていく。ただし、絶対に窓の外は見ないように注意しながら。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます