新しい世界の扉

「誰だってあの程度のことはできるようになる。勿論、君だって」

「……クスリ、ですか?」



 僕が思いついた人間の身体能力を飛躍的に上昇させる方法は、違法薬物の使用だった。実際、僕はこの国に来るまでの間に、違法薬物を載せた馬車の護衛をした。出回っているのは確かなのだろう。しかし、確かに使用することで身体能力の向上は期待できるが、それでも常識の範囲内でしか強化されない。


 コロシアムの最上位勢の強さは、そんな常識の外にいる。一般人は彼らのことを理外の化け物だと思っている。たかがクスリの摂取ごときで到達できるものではない。


 僕の返答は予想通りだったのか、シェラさんは「違うよー」と言いながら軽く微笑んでいた。



「クスリなんかよりももっと効果的で……もっと簡単に強くなれるよ」

「……それだけ聞いたら、とてもじゃないけど喰い付く人は居ないと思いますけど」



 綺麗な薔薇には毒がある、とはよく言ったもの。美味しい話には必ずと言っていいほど裏がある。それを信じて騙されたり裏切られた人は後を絶たないし、騙して裏切る人も後を絶たない。


 シェラさんは確かに華のある人だが、咲いてる花が薔薇だとは思わなかった。



「信じてないねー……じゃ、ちょっと手を出して」



 そう言って差し出された、小さな右手。小柄な彼女に見合った大きさだ。掌には僕で言うところの剣タコ。かなりボロボロで荒れている掌だ。


 その事実に少しだけ安心しつつ、僕もそれにならって右手を机の上に出す。


 その瞬間、僕の右手を彼女は勢いよく掴み、握手のような格好になる。


 急なことで驚いた、次の瞬間だった。



「────!」

「……へぇ、感じるの早いね」



 彼女と繋げた、右手。


 その全ての神経が敏感になったような感覚。筋肉の全てが自在に動かせそうな感覚。脈々と流れる血潮の感覚。


 それら全てが僕の頭に流れてくる。右手が燃えるように熱い。



「こ、れは……」

「これがその秘密の技術。コロシアムで勝つために必須の技術……『フィジカルブースト』だよ」



 手を握られただけだ。手を握られただけで、この情報量。今まで生きてきた中で、まず間違いなく遭遇することのない体験。


 す、と彼女が手を離す。敏感になっていた右手に溜まっていた熱が、徐々に無くなっていった。掌を見てみても、何の変哲もない見飽きた掌。


 掌だけで、これほどの高揚感。



「……これを、全身に?」

「そう。最初は頭がパンクしそうになるけど……使いこなせば、自分の身体能力の限界を容易に超えられる」



 惚けていた僕に、シェラさんは相も変わらずな笑顔を浮かべてみせる。イタズラが上手くいった子供のような、無邪気な笑顔。年相応に見えた。


 してやったり、といったところか。そうだね、してやられたね。


 そして、ここまで知ってしまえば、嫌でも真実に辿り着く。結局、この力も『美味しい話』だった。

 その犠牲者なのだ。シェラさん自身も例外なく。



「……つまり、これを使い過ぎたせいで、シェラさんは……」



 立てかけられた杖が答えだ。ファイター達が引退する要因は様々だが、怪我による引退はその中でもありふれているもの。


 自分の肉体の限界を超えてしまった反動のようなものだろう。なるほど確かに納得できる。あれだけの身体能力を生身の人間が発揮するのだ。その代償も当然大きなものに決まっている。


 目の前の彼女も、僕の言わんとすることを察したのか、少しだけ寂しそうに目を伏せる。



「……そうかもしれない。確かに無茶した自覚は大いにあるよ。でも、これを使っていなかったら、ボクはその辺の一般人と変わらないよ」

「それで一生モノの怪我をしたら……意味が無いでしょう?」

「あるよ」



 顔を上げた彼女と、目が合う。


 ──その翠眼は、実に澄んでいた。そして、ここに来てから何度も見てきた色に染まっている。


 国王が、グランくんが、フェルムさんが。

 皆が見ていたものと、同じものを彼女は見ている。


 僕が見れなくなったものを、まじまじと見ていた。その瞳で、僕を真っ直ぐ見据えていた。



「ボクはこの二年間で沢山のモノを手に入れた。名誉、賞金、名声、技術、知識、経験……普通の人が一生かけて手に入れるようなものを、たった二年で手に入れた……当然無くしたものもあるけど、意味ないなんてことは絶対ない」



 この怪我だって、ボクの糧になる。


 そう締めたシェラさんは、喋り続けたせいで喉が渇いたのか、お冷の残りをグイっと一気に飲み干す。


 ……何も、言い返せない。


 決意を抱いた人間は、いい意味でも悪い意味でも変わらないし、変えられない。そして、その生きざまで他人に大きな影響を与えてしまう。

 無論、僕にも。



「……一つだけ、いいですか」

「何?」

「どうして、僕なんですか?」



 ずっと……ずっと思っていた。どうして彼女が話しかけてきたのが僕だったのか。言ってしまえば、僕以外にも初戦を勝ち上がる人間は二百人以上いる。

 僕でなくてもいい筈だ。僕以外にも才能のある人間は居るだろう。それこそ、グランくんなんか丁度いいのではないだろうか。



「君がカンパネルラだから。君はあまり知らないかもしれないけど、この国のコロシアムマニアの間では、最強論争に必ずと言っていいほど名前が挙がるんだ。その血を引いていて、蒼天一刀流皆伝。しかも、優勝候補だったフェルム・リーズリーを『フィジカルブースト』無しで圧倒……『夢』見るに決まってるよね」

「……!」



 疑問だった。彼女が何の『夢』を見ているのか。これからの人生か、それとも別の何かか。


 ──もう一度、彼女の目を見る。先程と同じ、『夢』を見る目だ。

 その目線の先にあるものは……言うまでもない。


 僕が、彼女の、『夢』?



「……僕は、そんなに凄い人間じゃないです。凄いのは父さんで、蒼天一刀流です。僕はまだ……たった一回勝っただけの人間です」

「じゃあ、これから凄くなればいい。カンパネルラだからじゃなく、蒼天一刀流だからじゃなく、君自身が。勝手なこと言ってるとは思う。だけど、できれば、ボクにそのお手伝いをさせて欲しい……お願いします」



 そう言ってシェラさんは、机に両手を揃えて置き、机にぶつける位頭を深々と下げる。僕と同い年の女の子が、懇切丁寧に説明をした上で、あくまでお願いする形で頭を下げた。

 それほど……本気なのか。本気で思っているのか。


 ここまでされて、ノーと言えるほど図太い性格はしていない。



「……頭を上げてください……分かりました。不束者ですが、こちらこそ何卒よろしくお願い申し上げます」



 こちらも彼女と同じように机の上に手を置き、深々と頭を下げる。


 たっぷり頭を下げている間、何も喋らない彼女に疑問を抱き、恐る恐る顔を上げてみる。

 ──顔を上げていた彼女と、視線が交わる。


 大きく、まんまるに見開かれた瞳。ぱちくり、何度か瞬きをしたかと思うと……まるで花が咲いたかのように、ぱあっと色付く。



「……うん! これからよろしくね!」



 ……そう笑う彼女に、あまりにもまぶしい彼女に、僕は暫く見惚れていて、目が眩んでしまっていた。

 頼んでいた親子丼は、場の空気や僕の頬とは裏腹に、すっかり冷めてしまっていた。



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