流星
「…………はぁー…………疲れた」
扉に背を預け、ズルズルと崩れ落ちる。無骨な廊下の無骨な天井を見上げる。何故か知らないけど、酷く安心した。どっと来た疲労感。かなり気を張っていたらしい。
完全に頭に血が上っていたな、と反省。あそこまで彼をこき下ろす必要は間違いなく無かった。後で係員さんを通して謝罪しておくのが良いだろうか?
そんな意図は無かったが、結果としてリーズリー家を貶したというのは事実な訳だし。
「お疲れ様。随分カッコよかったじゃない」
「……ありがとうございます。色々と必死すぎて、少し恥ずかしいですよ」
崩れ落ちている僕に笑いかけてくる、先程案内してくれた係員の男性。僕も彼にならって笑ってみるが、間違いなく疲れた笑みになっている。口角が上手く上がらない。
見慣れたものなのか、彼は手に持っていた水筒を手渡してくる。僕の物じゃ無いよな、とまじまじと見ていたら、参加賞だよ、と教えてくれた。そういえばそんな物もあった気がする。
「いやいや。あれだけ誠実に真っ直ぐ戦った君が、恥ずかしがる必要なんてないよ。爪の垢を煎じてあの貴族の子に飲ませたいくらいさ」
「それはどうも……あ、そうだり彼に申し訳ないって伝えておいてくれませんか? 彼の誇りであった家名に泥を塗ってしまったので……」
「辞めておいた方がいいよ。敗者に情けをかける方が、よっぽど泥を塗る行為さ」
そういう彼の目に、敵意や悪意といったものは感じられない。相手を思いやっているという風でもないので、何の気なしに事実を口にしているだけ、と言ったところか。
口では優しいことを言っているが、本当に冷たい。
「……分かりました。それで、この後僕はどうすれば?」
「あー……今日はもう帰っていいよ。君の次の試合は明後日だから、間違えないようにね。あ、そうそう。この後色んなメディアからインタビューを受けると思うけど、当たり障りないようにね」
「めでぃあ……?」
「あー……テレビ会社や新聞社の総称だよ」
この国に来てから、聞く言葉の意味が分からないことが度々ある。パエリアもスイーツも、中々聞きなれなかった。七日間で大分頭の中に叩き込んだつもりだったが、まだまだ知らない単語が多いようだ。
日々勉強である。
「成程……次の試合も頑張りますの一言じゃダメですかね?」
「うーん……ダメじゃないかな多分」
「ダメですかね多分」
「……僕がしこたま怒られるからやめて欲しい」
「……めでぃあ、の皆さん探してきます」
前々から感じていたが、どうやら僕は普通の人より、他人に迷惑をかける行為が嫌いらしい。目の焦点が完全にどこか遠くに合ってしまっている係員さんを見て、僕はすっと立ち上がる。
疲れた、とは言ってもそれは精神的なものだ。肉体的には全く疲れていないので、その位は頑張って見せよう。
しかし、たった一戦。しかもかなり動いていない試合だというのにここまでの疲労感。今からこれでは、先が思いやられる。
「ははは……とりあえず、初戦突破おめでとう。次の試合も頑張ってくれ」
「……あ、りがとうございます」
そういえばまだ言ってなかったね、と笑う彼を他所に、僕は今、ようやく今の状況を正しく認識することが出来ていた。
──そっか。僕、勝ったんだ。コロシアムで。
長らく待ち焦がれていたそれは、案外あっけなく、そして、案外大したことのないものだった。だから、だろうか。実感もなければ、達成感もないのは。
虚しさとは違う。悲しくもないし、絶望もしていない。しかし、そこに本来あるはずの嬉しさや高揚感は、どこにも感じられない。 おかしいな。『夢』って、こんなにあっけないものだっけ。
「……? 嬉しくないの?」
「……嬉しい、筈なんですけど……なんでだろ……」
「まぁ、実感が無いって人もいるし、気にしなくていいよ」
良いように解釈してくれた係員さんは、勝手に一人納得していた。その方が話が拗れなくて済むし、丁度いい。
僕は最後に係員さんにお礼を言い、控室に向かう。一度来た道なので、特に迷うことなく控室に辿り着く。
「お! 『ヒーロー』サマのお帰りだぜ!」
部屋に入った瞬間、野太い声が部屋に響く。何のことやらと疑問を抱いていたら、あっという間に控室に居た戦士の半分程の人数が、僕を取り囲むように集まってきた。
「え、っと……ひーろー?」
「おうよ! いやー、見てて痛快だったぜ?」
「そうそう! あのいけ好かない貴族の坊ちゃんの真っ赤にした顔! 傑作だったよ!」
「よくぞガツンと言ってくれた! 見かけによらず男らしいとこあるじゃねぇか!」
などなど。僕の周りを取り囲む彼らは、皆口々に僕のことを持ち上げていた。
悪い気はしない。が、何か違う。こんな称賛のされ方は全くもって予想外だし、僕が本当にして欲しい賞賛のされ方でもない。
しかし、それを彼らに言っても仕方が無い。
「あ、ありがとうござ」
「アノン選手! お客様がお目見えです」
お礼を一言口にしようとしたところで、先程僕を案内してくれた人とは違う、中年くらいの係員さんが、僕の背後からそれなりの大声で僕を呼んだ。目の前に居るのに。
若干物理的に耳が痛いが、何とか平然を装って振り返る。係員さんは何事もなかったかのように僕のことを視認すると、こちらです、と粛々と歩くように促す。
僕は僕を取り囲んでいた戦士さんたちに一度頭を下げ、係員さんの後ろをついていく。
「お客さん……ですか?」
「はい。何でも、先程の試合について詳しく聞きたいとか」
先程の若い係員さんとは打って変わって、話しかけにくそうな雰囲気を纏わせた彼。気まずさを感じながらも、流石に質問せずにはいられなかった。
しかし、お客さん。
めでぃあの人のことだろうか。それとも、僕がこの国に来てから知り合った人だろうか。
ランスさん……は、普通にお店だろうし、グランくん……は、別会場で試合だ。
「どなたですか?」
「……それは、彼女の口から直接聞いてくれ」
彼女。彼女……彼女?
つまり、これから僕が会うのは女性。女性の知り合いは、僕の記憶が確かなら、ランスさんの奥さんと、一緒の宿屋に宿泊している貴族の婦人しか居ない。その二人が僕に会いに態々やってくるとは、とてもじゃないが思えない。
これは、やはりめでぃあの人だろう。と、勝手に結論を出す。
それからめっきり会話が無くなってしまった。息苦しい雰囲気の中、僕らは廊下を歩き続ける。途中階段を上がったり、『コロシアム職員以外立ち入り禁止』と書かれた扉の中に入ったり。
……いや、流石におかしい。コロシアム職員にめでぃあの人がカウントされているとは思えない。事実、コロシアム内には『関係者以外立ち入り禁止』と書かれた扉がある。区別されているということはつまり、前者の扉は本当にコロシアム職員しか入れない扉、ということでは無いのだろうか。
段々とコロシアムの喧騒が遠くなりつつある中、先を歩いていた係員さんが一つの扉の前で立ち止まる。扉には、『小会議室』という札が掛けられていた。
「この中です……本当に、幸運ですね」
「へ?」
「……なんでもありません。それでは、私はこれで」
何やら非常に気になる言葉を言い残し、係員さんはその場から立ち去って行ってしまった。取り残された、少年一人。
……えっと、この部屋でいい……んだよね? ノックしたほうがいいよね? ノックって三回だったっけ?
混乱したまま、僕は待ち人をこれ以上待たせないために、こんこんこん、と三回扉を叩く。扉越しに聞こえる、若い……いや、若すぎる女の子の声に疑問を抱きつつ、僕はゆっくり扉を開く。
「失礼します……え、は、え」
「あ、お疲れ様ー。ごめんね急に呼び出しちゃって」
小会議室の中は、かなり簡素な造りをしていた。長方形になるよう並べられた長机と椅子。壁に設置された黒板に、見やすい位置に設置されたテレビと、一般的な会議室の設備を一通り備え付けられていた。
その中で、僕から見て一番遠い場所に座っている人物を目にしたとき、僕は頭の中が真っ白になってしまった。呼吸することすることすら忘れ、ただただ彼女を見ることしか出来ない。
その淡い空色の髪を。そのあどけなさの残る顔を。その背格好を。僕が見間違える筈がない。
「はじめまして、アノン君。多分ボクのことは知ってると思うけど……ボクはシェラ・バーンズ。ちょっと君に聞きたいことがあるんだけど、お話良いかな?」
そう屈託のない笑顔で語りかけてくる彼女は、僕の知っている孤高の天才ではない。
しかし、その特徴的な髪の毛や容姿、そして背格好は、どこからどう見ても最強の名を欲しいがままにし、たった一人でコロシアムの常識や歴史を塗り替えてしまった張本人であることに間違いはない。
「へ、あ、え……ほ、んもの?」
「本物だよー。ほら、ファイターチケット」
「……なんで? まって、ホント、ちょっと、え? え? え?」
だからこそ僕は盛大に混乱する。
なぜ、シェラさんが僕の目の前にいるの?
なぜ、シェラさんが僕を呼び出したの?
なぜ、僕はシェラさんと会話しているの?
なぜ、なぜ、なぜ、なぜ。
沢山のなぜに頭を埋め尽くされた僕は、壊れた人形のように疑問の声を出し続けることしかできない。
「っ、よっと……」
そんな僕が目にしたのが、両手を机に置き、まるで持ち上げるかのように立ち上がるシェラさん。机に立てかけていた杖を握る。
「あ……」
その光景を見て、何故か僕は冷静さを取り戻し始めた。急速に冷える感情。冷えすぎて、冷や汗が吹き出る位。
「だ、大丈夫です! 座っててください!」
「あー、大丈夫大丈夫。確かに痛いけど、だからって歩けないわけじゃない」
「で、でも!」
「気を使わないで……とは言いにくいけどさ、あんまり世話されるのも好きじゃないんだよね」
不貞腐れたように唇を尖らせてみせる。仕草の一つ一つは完全に同い年の少女なのに、この女の子がしばらく世界の話題をかっさらっていたのだから、恐ろしい話だ。
いつの間にやら目の前に立っていたシェラさん。他の同年代の女の子と比べて、一回りは小さなその身体。普段の物静かで固い印象とは裏腹な、動きやすそうなショートパンツと薄手のシャツ。
これだけならどこにでも居る少女だが、左膝に巻かれた痛々しい包帯と固く握られた四本足の杖が、あまりにも不自然。
「……すいません、でした」
「いいよいいよー。最近どこに行ってもそんな感じの反応だから、こっちも慣れてるし」
緩く笑うシェラさん。一つも笑えない僕。時計の針は、未だに昼前だった。
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