誰も居ない玉座の前で
「え!」
思わぬところで出てきた、憧れの名前に目を丸くする。普段なら彼女に関連する情報は逃さないように情報収集に余念がない僕だが、ここ最近は野宿野宿また野宿という、中々に酷い生活。そんな暇一切存在しなかった。
鼻足かけた男の人は、ほれ、とガラスの箱に展示されているテレビを指差す。商品用に展示されていたそれには、背景にコロシアムの公式の印があしらわれた板、長机の上に置かれた書類と、よく見る記者会見の光景だった。
「記者会見って……何なんですかね?」
「さぁな。最近シェラちゃんテレビとかに出てなかったからなぁ……結婚の報告とか?」
「あはは……まだ彼女十五歳ですよ?」
あれだけ容姿がいい彼女だ。恋人位は居てもおかしくないが、確かこの国での成人は十八歳からだったはず。
もしそうだとしても……彼女の選択だ。僕に止める権利は無い。素直に祝福させてもらおう。
「今年は、シェラちゃんを止める人間が現れるといいなぁ……」
テレビの画面を見る男性は、少し諦めたように笑ってみせる。それもそのはず、彼女の戦いっぷりを見ていたら、『そんな存在が現れるわけが無い』と思わざるを得なくなる。
事実、歴代でも実力者が桁外れに多いと言われていたここ五年のコロシアム最高峰のトーナメント。その全てを完膚無きまでに叩きのめした彼女。丸々二年間、傷一つ付けられていない。
次元が違う。時代が違う。天災。厄災。事件。化け物。人外。
散々な言われようだが、全て事実。
「……彼女が負けるところ、見たくないです」
「おっと。君はシェラちゃんのファンだったか」
「はい! 僕、彼女に憧れてここまで来ました!」
だけど、僕はそんな圧倒的な彼女に憧れてしまった。
興行的にはつまらないだとか、圧倒的すぎて面白くないとか、色々なことを言われている。
──だけど、その強さに僕は『夢』を見た。
彼女はいつまで最強であり続けてくれるのだろう。彼女は何処まで強いままなのだろう。彼女はこれからどれだけ凄いことを成し遂げてみせるのだろう。
そして、いつかはそんな彼女と、大歓声に包まれたコロシアムで対面することができたら──。
そんな『夢』を、僕は見た。
「そうか! いつか戦えるといいな!」
「はい! ……あ! シェラさん…………え」
誰とも知らない男の人に『夢』を語り追えると同時に、会場に入ってきた世界最強のファイター、『流星』シェラ・バーンズ。
最初こそ、僕は彼女の姿が現れた瞬間喜んだが……画角が下に移った時、思わず息を飲んだ。
──左膝と左足首に、痛々しく巻かれた包帯。
──安定感がありそうな、四本足になっている杖。
──引き摺られる、左脚。
その場に居た全員が、想像しなかった彼女の現状に驚愕し、声すら出せなかった。
遅れて入ってきたコロシアムの支配人に支えられながら、ゆっくりと椅子に座るシェラさん。
思い詰めたような表情の彼女は、会場の人間を一瞥し、ぽつりぽつりと話し始める。
『皆様。本日は私、シェラ・バーンズの記者会見に来て頂き、誠にありがとうございます。昨シーズン最終戦である『クラウンオブグローリー』終了から三ヶ月経ち……これから新しいシーズンが始まる直前という所で、突然ではありますが、私からご報告がございます』
同い年とは思えない程落ち着き払った、彼女の声色。人生で何度聞けるか分からない、決意が宿った声色。
──テレビの中の彼女と、目が合う。
いい加減『夢』を見るのは止めろと、言われた気がした。
「本日を持ちまして、私シェラ・バーンズは……競技人生を終了し、ファイターを引退致します」
世界が、また変わった。
彼女によって散々無茶苦茶にされた世界は、彼女が居なくなることによってまた変わった……最悪な方向に。
「理由と致しましては、昨シーズンずっと悩まされ続けてきた左脚の故障……何とか誤魔化し誤魔化し戦い続けていましたが、『クラウンオブグローリー』終了後、歩く事すら出来なくなってしまいました」
動くことすら出来ない僕らに、現実は自分をひたすらに主張してくる。
目を逸らすなと。聞き入れろと。受け入れろと。絶望しろと。
記者会見の会場も、異常なまでのざわめきに包まれている。テレビを囲む僕らも、あるものは固まり、あるものは受け入れられないと叫び、あるものは何度も頬を叩いている。
僕らだけじゃない。街中のありとあらゆる人間が、先程まで過ごしていた日常を満足に過ごせなくなっている。
「何とか今シーズン開始までに回復させようと全力を尽くしましたが……現時点で痛み止めと杖を持って漸くゆっくり歩くことしかできません。以前のように走ることも、相手を攻撃するために踏ん張ることもできません」
今でも、痛すぎて夜寝ることもままなりませんと、少女は語る。よく見てみれば、多少化粧によって見にくくなっているとはいえ、目の下には薄らとクマが浮かんでいた。
白状して少し気が抜けたのか、彼女は強ばっていた表情を緩める。十五歳の少女とは思えない、達観した笑み。
折り合いを付けてしまった者が浮かべる、諦めの笑顔。
彼女に、そんな笑顔を浮かべて欲しくなかったと思うのは、僕だけだろうか。
「──以前のように走ろうと、左脚を強く踏み込んだ瞬間、痛みで気を失いました。次に目を覚ました時、丸一日経っていました……その瞬間、引退を決意しました」
玉座から立ち、マントを脱ぎ捨て、冠を放り投げる。
そこに立っていたのは、僕が夢見た絶対王者なんかでは無く、『夢』の終わりを目の当たりにしてしまい、絶望しきった少女が一人。
誰も座っていない玉座の前で、彼女は笑う。
『……僅か二年という短い間ではありましたが、コロシアム関係者の皆様や怪我の治療をして下さった医療関係者の皆様。そして、私を応援して下さったファンの皆様方。ここまで本当にありがとうございました』
そう言って頭を下げる彼女。
彼女からの言葉をひとしきり聞き終えた周りの人間は、ざわざわと様々なことを口にする。
僕は、そんな彼らの言葉が全く入ってこなかった。
未だに頭を下げ続ける彼女から、目が離せない。目を逸らせない。
嘘だろう? だって貴女は、去年もそんな素振りを全く見せていなかったじゃないか。いつものようにようやっと目で追えるくらいの速さでフィールド中を駆け巡っていたじゃないか。
有り得ない。あんな大怪我を背負った人間が。コロシアムで勝ち続けていたなんて、有り得ない。
怪我なんて、していないのではないか? 僕に都合の悪い、夢なのではないか?
「……おい! 坊主!」
思い切り肩を揺さぶられ、僕は漸く世界に帰ってきた。
肩に置かれた手を辿っていくと、先程僕が『夢』を語った男性の姿。
もう二度と叶うことが無くなった『夢』を語った相手。
「……大丈夫じゃ、無いよな」
「……嘘、ですよね?」
確認作業に入る。これが夢なのだという確認作業。
お願いだから、夢であってよ。
「だって……ずっと強くて、誰も勝てなくって」
「坊主……」
「怪我してるのに、あんな動き出来るわけなくって……そんな話、ちっとも聞かなかったのに」
「……坊主」
「だって、まだ二年しか戦ってないんだよ? まだまだこれからなのに」
「坊主っ!」
頭が痛くなるほどの大声だ。寝ている時に起きたら、一発で目が覚めそうな大声。
ここで僕は、ようやく目の前の男性に目を向けた。酷い顔だ。そんなに泣きそうな顔をしなくてもいいじゃないか。
「……取り敢えず、落ち着ける場所に行こう……俺、こう見えても宿屋の主人やってるんだ。今日の宿代はまけといてやるから、うちに来い」
「…………」
「今のお前さんには、ちょっと時間が必要だ。美味いモンご馳走してやるから、な?」
この時ばかりは、旅立つ前に父さんに口酸っぱく言われていた『知らない人には着いて行くな』という約束が頭の中から完全に抜け落ちていた。
思考能力の無くなった僕には、力なく頷くことしか出来なかった。
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