第17話 初めての口げんか 後編

 俺から何を言っても唯花は返事を返してもくれず、お互いに無言のままでマンションにたどり着いた。


 ここからの問題は、唯花が俺を部屋に入れてくれるかどうかだ。もし入れてくれなければ、ネットカフェ生活に逆戻りになってしまう。


 そうならない為にも何が彼女を怒らせたのかについて、答えを絞り出す必要がある。可能性は何となく分かっているが、恐らく秋葉さんが関係しているはずだ。


 秋葉さんは同じキッチンの担当で先輩の女子。もしかしたら、その女子に対する接し方に問題があったとしか考えられない。


 ここは人目を気にしないで土下座をするか。その前に正解をもらって一息つける必要が――


 ――そう思っているうちに部屋の前に着いた。そして唯花はドアの前に仁王立ちとなり、俺の目を真っすぐ見つめて俺の言葉を待っている。


 ここで追い出されるわけには行かないという弱みがある以上、唯花が求めていそうな言葉を放つしかない。


「ゆ、唯花……えーと――」

「迷う答えなら出て行ってもらうけど?」

「そ、そうじゃなくて!」


 唯花に出会った当初のことを思い出すと、確か唯花は青春に付き合ってもらう的なことを言っていた。そうなると答えはこれしかない。


「返事は?」


 唯花は俺の返事に対し。時計を気にしている。ということは、部屋から追い出すタイムリミットが近いということだ。綺麗ごとを言っても多分この子には通用しない。


 告白と取ってくれないことを祈りつつ、出した答えは――


「俺の中では、ゆ……唯花しか考えられない!」

「……どういう意味で?」


 唯花の整えられた眉がぴくっと動いた。正解に近いような気がしないでもない。しかし声のトーンは、いつもよりも低くて妙な迫力がある。


 何が正しいのか不明ではあるものの、押せ押せで行くしかない。


「俺には唯花が絶対必要で、いないと生きていけない。だから、誰かに対して特別な意識とかそういうのは無くて……つまり――」


 仁王立ちな唯花の顔をまともに見られないまま、必死な答えを絞り出した。


「――カズキはそうなんだ?」

「ああ、そうだよ! その通りだ。ここが俺の居場所で、俺の帰れる場所なんだよ!! 文句あるのか?」


 何という苦し紛れな言い訳なんだろうか。ネットカフェ生活に戻りたくないとはいえ、俺の居場所というのは何となく意味合いが違うような。


 半ば強引な物言いになってしまったし、強気な口調で言い捨てたが果たして。


「なぁんだ……やっぱり寂しかったんだ! いないと困るもんね? カズキって、弱いし頼り癖があるし、誰かに依存しまくり! 学校が始まるまで我慢出来なかったわけか~。納得納得!」


 どうやら正解だったらしい。うつむいていた顔を上げると、そこには唯花の満足気な笑顔があった。拳に力を込めていたことは気になるが、そこまで俺の返事に緊張していたという表れに違いない。


「じゃ、じゃあ……」

「ヤー! カズキに免じて許す! そうだよね、カズキにはわたししかいないもんね! うんうん、許す許す!」

「そ、そっか。はぁ~……良かった~」


 すっかり上機嫌になった唯花は丁寧にドアを開けてくれたうえ、俺の手を取って部屋へと導いてくれた。脱いだ靴も唯花が揃え直している。


 自分の部屋が無い俺は、着替えるでもなくとりあえずソファベッドに腰掛けた。追い出される心配も無くなったのでそのまま横になって寝そべったところで、何故か真横に唯花の顔があることにすぐ気付いた。


 いつ着替えたのか分からないが、唯花だけちゃっかりと軽めの服装に変わっている。それはともかく、慌てて起き上がろうとするも力強い圧が背中にかかっていて起き上がれない。まさかここから締め技でもかけられるのか。


「カズキに忠告~!」

「えっ? な、何……?」


 とてつもなくふわっとしたいい香りをさせてはいるものの、笑顔が恐ろしく感じる。やはり怒りは収まっていないのか。

 

「バイト先ではいちゃつくの禁止!! 愛称で呼ぶのもやめてね」

「んあっ!? い、いや、あれは研修ので――」

「仕事は一人で覚える! 覚えられるよ? 違う?」


 もしかしなくてもこれは、大いなる誤解と嫉妬によるものなのでは。愛称というかあだ名を勝手に付けられてそれで呼ばれただけで、秋葉さん自身にそんな感情は存在しないはず。


「ち、違わない……です。で、でも、彼女が俺の先輩になるわけで……」

「彼女? じゃあカズキに仕事教えるのはわたしにする。担当が違うとか、そういうの無いってショウに聞いたし問題無し!!」

「え、そうなの?」

「あの店暇だから、結局全部覚えることになるって言ってたし! オーケー?」

「いえす、いえす」


 ――などとようやく機嫌が完全に直ったのか、唯花は立ち上がって自分の部屋に戻って行ってしまった。


 それにしても唯花はもしかして俺のことが――なんて考えると危険なので、とにかく着替えを済ませて落ち着くことにしよう。

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