第16話 初めての口げんか 前編

「はい、次これね」

「え、全部……!?」

「別に今すぐ覚えろなんて言ってないけど、一人でやれる仕事だから覚えないと後々きっついよ? まっつーなら出来そうな気がするけど」


 すっかりまっつー呼びして来るのは、同じキッチン担当の女の子だ。軽い自己紹介の後、年下のJKということが分かり今に至る。


 年が下でもバイト未経験の自分の方が圧倒的に不利な状況で、かなり甘めにレクチャーされている状況だ。


 これがフロアだと、レジ打ちやテーブル拭きなど目につくところ全てをやらなければいけないとかで大変らしい。そこをいくとキッチンは覚えてしまえば後は慣れだとか。


「え、えーと……」


 質問する時は遠慮するなと言われているといえ、人見知りな自分にはハードルが高いことを実感してしまう。そういう意味で接客じゃなくて良かった。


「まっつー、どしたの?」

「秋葉さん、……マニュアルってコピーしてもいいですか?」


 身近に唯花という年下JKがいるとはいえ、仕事という立場では言葉遣いがいまいち分からない。唯花以外の子に対して、まるで分からないのが現状だ。


「縮小ならいいと思うよ。まぁでも、すぐ覚えるから大丈夫! というか、硬くない?」

「な、何が?」

「まっつーが! 一応、年上なんだよね? だったら、似た感じで呼んでくれていいし。そうしてくれた方が仕事しやすくなると思うよー」


 一応も何も年上なのは事実なんだが。しかし年齢は仕事では関係無いはず。それにさすがに初日から気安くするのはどうなんだろうか。


「あ、えー……」


 似た感じと言われてすぐに親しく出来たら苦労はしない。この辺りは唯花に対する接し方とは変わるし、変えなければ駄目だ。


 そう思っていたのに、からかいが入ってるのか彼女が急に距離を縮めて来た。


「名前でいいよ。ミーアで! あと、店長は店長じゃなくてマスターね。知ってると思うけど、ウチの店って個人店だから! 大手チェーンは厳しいけど、ウチの店は仕事さえしてくれれば気楽にしてていいよ」


 駅近のカフェとはいえ、確かに駅前のカフェに比べれば、出入りが激しい感じではなく常連がゆっくり居座る感じだった。


 そう考えれば、店員同士の雰囲気も緩い感じになるのかもしれない。仕事を早く覚える為にも、彼女にならって気楽に呼んでみた。


「ミ、ミーアさん、これはどういう意味か聞いても?」

「ん~……とね」


 「さん」付けで妥協しておいたのはいいとして、マニュアル片手に理解出来ない用語を聞こうとすると、秋葉さんは肩がくっつくくらいに密着して来た。


 呼び方はともかく、妙に距離が近い彼女に何の抵抗も示さずにいた俺だったが――


「――カズキ。初日から同僚に手を出すとか、あり得ないんだけど?」


 物音も無く全く気付けずにいたが、唯花がこっちをじっと見ていたことに気付く。しかも何かの誤解をしているようだ。


「だ、出してないって! 彼女は同じキッチン担当で、マニュアルを聞いていたっていうか」


「ふーん……?」


 嘘は言ってないし間違ってもいない。それなのに、唯花は何故か相当怒っている。お店の営業はまだ始まってもいなく、店内はかなり静かだ。


 芝山の姿は見えず、ここには唯花しか見えない。そもそもフロアの方でも唯花と芝山の話し声が途中まで聞こえていたわけだが、何で俺のことをそんなに怒っているのだろうか。


「そっちこそどうなんだよ? フロアだってさっきまで話し声――」

「あっ! フロアの新人さんですよね? 秋葉未亜です! まっつーともどもよろしくお願いしますねー!」


 怒りを露わにしている唯花に気付いた秋葉さんは、俺の言葉を遮るようにして、何も気にすることなく自己紹介を始めた。


 何となく言い方が気になったが、秋葉さんの言葉を聞いて唯花は淡々と名前を名乗り、すぐにフロアに戻って行ってしまった。


「……えーと、そろそろ開店準備かな?」

「ですです。まっつーは、今日は短時間ですよね?」

「あ、です」


 初日ということで、俺に関しては数時間で仕事を終えることになった。その後は黙々とマニュアルを読み漁り、簡単なことをやるに留まってその日を終えることが出来た。


「まっつー、お疲れ様でした! 次も一緒なのでよろしくー」

「お、お疲れさまでした」


 唯花との関係やら何やらについて秋葉さんは一切触れて来ないものの、芝山に何か話しかけていたようで、何かを察したらしい。


 ――とはいえ、いちいち聞いても来ないのでその辺は楽と言える。しかし問題はこれからだった。


 半同棲な状態ではあるが、鍵を持っているのは唯花で俺は持たされていない。その意味でもうかつに機嫌を損ねてしまえば、ネットカフェ生活に戻ってしまう。


 それなのに少し遅れて外に出て来た唯花は、歩き出してからも全然口を聞いてくれない状態にある。一体何が唯花の機嫌を損ねさせたのだろうか。


 一言も口を開かないまま帰るのも厳しいので、俺から話しかけることにした。


「何かあった? あいつに何か言われて機嫌悪いのか?」


 もしかすれば、いとこである芝山に何か言われた可能性がある。

 しかし――


「はぁ? カズキが悪いに決まってるんだけど? 気付いて無くてそんなこと言ってる?」

「え、俺!? え、だって仕事中に話とかしてないよね? どこにそんな要素があったんだ?」

「ばかっ!! 自分で気づくまで口利かない! マンションに着くまで気付け、ばか!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る