第9話 シュレーダーさんは始めたい

 カフェの面接は何とか終わり、唯花と俺はマンションに向かって歩いている。

 

 あの場所で再会した唯花のいとこは、昼時で忙しかったこともあって面接を終えた後も、会うことが無かった。


 何となく気になったこともありそのことを唯花に聞こうとしたら、予想に反して彼女は俺に別の言葉をかけて来た。


「カズキ。ヘルツリッヒ・グリュークヴンシュ!」

「えっ? な、何て?」

「本当におめでとう! って言ったの。これでわたしと一緒にバイトが出来るよ! 嬉しいよね」

「あれ? もう結果が分かったの?」

「ヤー!」


 面接にかかった時間は大したことが無く、すぐに終わった。結果は後日になどと言われた気がしたのに、唯花はすぐに結果が出たらしい。


「俺も受かったんだ?」

「ショウが教えてくれたんだー! カズキの方にもすぐ連絡が行くって言ってた。良かったね!」


(あいつ、俺と会わなかっただけで唯花にはこっそり話をしていたのか)


「唯花のいとこだっけ? 何年振りくらいに会った?」

「んんー、カズキよりももっと前かな。小さい頃に遊んでたくらいの? どうして?」

「それにしては……いや、何でも無いけど」

「変なのー」


 気にしすぎかもしれない。それでも自己紹介すらしていないあいつとは、性格的に合わない感じがした。何でか分からないが、何となく気になった。


 唯花と話をしながら歩いていたら、いつの間にかマンションにたどり着いていた。

 ほんの数日だけとはいえ、ネットカフェ生活だったことですっかり遠のいた感じがする。


 そんなことを思いながらも玄関前に着いた。

 

「カズキ。何か気付かない?」

「へ? 何かって、何?」

「鈍いよカズキ。ネームのところ、見て?」


 玄関の扉上部の表札プレートは、以前までは佐倉を示す"S"が付けられていた。


 一緒に住んでいたにもかかわらずに、一目で佐倉の部屋ということが示されていたわけだが、唯花の言うとおりにプレートを見る。


 そこには――【シュレーダーwith K】と書かれている木目調のプレートがあった。


「こ、これって……?」

「わたしとカズキって意味! カズキと一緒に暮らすんだし、間違ってないよね!」

「あれ、でも……唯花のYは?」

「ここに誰が来るか分からないんだよ? オーケー?」


 そう言われれば確かにそうかもしれない。部屋を訪れて来るのは、唯花だけの関係者とは限らないし用心に越したことは無いことが言える。


「オ、オーケー」

「ヤー! じゃあ、入ろ」

「お、お邪魔しま――」

ナイン違う! そうじゃないよ、カズキ。一緒に暮らすのに、それはおかしな言葉。はい、もう一度!」


 言われてみればその通りで、ついつい出た言葉をすぐに引っ込めた。たった数日しただけなのに、急に怖気づいてしまったみたいだ。


 そんな俺に対し、唯花は玄関のドアを片手で押さえ、もう片方の手で部屋の中へおいでおいでをしている。元カノと比べても、比べられないくらいの優しさだ。

 

「た、ただいま」

「ヤー! カズキ、お帰り!」


 何てことは無いはずなのに、何となく嬉しくてたまらない。小悪魔なつり目からは、本当に喜んでいるような感じを受けていて、思わずにやけそうになる。


 嬉しい勢いのまま中に入ると、以前の光景を思い出せないくらいにまで様変わりしていた。玄関から入ってすぐの俺の部屋は、予定通りのお花部屋だ。


 そして元カノの部屋は、以前がどうだったのかを思いだせないくらいのお嬢様風な部屋に変わっている。エレガンスなベッドフレームと椅子は、ピンクとグレーの組み合わせで大人っぽく仕上がっていて、とても可愛い。


 唯花らしく甘すぎず、何とも知的な印象を与えてくれている。シンプルなクッションを置いている辺りが唯花っぽい。


 窓から差し込む光も、レースカーテンで上手く壁に這わせている。


「……す、すごいな」

「変わった? カズキから見て合格?」

「これに文句言う奴なんていないと思うよ」

ダンケありがと! カズキならそう言ってくれると思ってたんだ」


 どうやら喜んでくれているようだ。

 そして残るは――


「俺の部屋はあるのかな?」

「こっち! カズキ、こっち来て」


 佐倉家が借りているマンションの間取りは、3LDK。


 元カノがほとんどを占有していたくらいの広さがあるが、使っていない部屋もあった。それを考えれば、俺の部屋はその部屋ということが予想される。


「――えぇ? ここ!?」


 キッチンがすぐ隣にあるリビングは結構広く、これも二人でいるくらいなら使わないスペースがあるほどだった。そしてリビングに置かれているソファーベッドが俺の新たな場所になるらしい。


「ヤー。でも、カズキを苦痛にするつもりは無いよ。基本的にはどこの部屋も使っていいから!」

「それって、唯花の部屋も?」

「条件を満たせばオーケー! その為にも、今すぐ始めたいかな。始めたいよね?」

「……何を始めるって?」


 これから楽しいことが始まるといった感じで、唯花が目を輝かせている。

 俺の言葉に対し、唯花は腰に手を付けてのけ反り始めた。 


「心機一転! 今日から新たにカズキと始めるんだ! そういうわけだから、シュレーダーは頑張る! カズキも頑張る! オーケー?」

「おぉ、オーケー」


 何だかよく分からないが、シュレーダーさんは何かを始めるらしい。

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