王都とリシテア

神の光

 行き場のない感情と、やるせ無い気持ちが入り乱れ何が起こったのかを改めて把握するには、かなりの時間を要した。

 とは言っても、太陽が真上に昇るまでには、その場を移動して丘の下。

 記憶の中のリシテアが最後にいただろう場所に行こうと思った。


 だが、そこは全く別世界だったと言ってもいい。

 人がいた。活気あふれる、市場があった。

 

 大きな城壁の上には兵士がこちらを観察していて、一定の間隔で並んでいた。

 市場は、そんな城壁に開いた巨人でも通れるくらいの豪華に装飾された門の外で何百という店が規則的に並べられて商売をしているように見えた。

 かなりの規模で売買されているのがわかる。日本の戦後の商店街なんかよりも人が入り乱れている。


 とは言っても、現代の世界のようなビルが立ち並んでいるわけでもない。

 よくいう、中世時代のようなフリーマーケットのように馬車の荷台などに敷物を敷いてその上で売買をしているような、程度のしれた市場であった。


 さっきまで、瓦礫と砂しかない殺風景な世界で生きていた人間なんて存在しなかった。


 そこに紛れるように俺は進んだ。そうして、あまり人がいない商店を見つけた。


「す、すみません」


 話しかけると、かなりの大きさの荷物を棚の上に運ぶ屈強な男が振り向かないまま肩越しに「なに?」と返事をした。

 それに不快に思いながら、しかしこの世界の人間は苛立たせると暴力に訴えてくると知っているので、それを顔に出さないようにして続ける。


「ここは、どこでしょうか?」


「え? ここ? 

 王都だよ、王都。首都だというのに名前も誰も知らないけどね。

 王都で通じない場所でもない」


「そうですか。

 この近くに、ボロボロに崩れた廃墟のような場所ってないですか?」


 訝しげに男が振り返ると、俺を一瞥する。


「あったとしても、王都の中に入るには正式な手続きをしないとな。

 不法入国はバレたら教えた俺が罰を受ける。教えるのはやめておくよ」


「あるんですか?」


「だから、言わないと言ってるだろ」


 男は、俺が王都に忍び込もうと思って入りやすい場所はないかと、聞いたと思ったのだろう。頑なに「教えない」の一点ばりになった。

 

「いや、王都に入ろうとは思ってないんですって。

 この近くでスラムとか、ないかなって。

 知り合いが殺されたから」


「スラム? いや、王都にスラムがあったのは何十年も前だな。

 公共事業? ってやつでな、仕事もなく働く場所もない人間は全て外周へ回されて強制労働さ。だから、スラムはない」


「そうですか」


 満足するような答えなんて得られないまま、俺は会話しながら周囲の市場を観察していく。

 さっきの光景はなんだったんだ。

 確かに死んだような体験をした。場所はここであっているだろう?


 その疑問には、誰も答えを導かない。


「ありがとうございます」


「そう思うなら、なんか買ってけ」


「いえ、お金がないんで」


 そう続けて、俺は門の方へと進む。


「金を払えば中には入れる。

 あんまり汚えことはしないことだ」


 そんな声が聞こえてきた。元より目をつけられるようなことはしないつもりだ。

 俺が生きているとすれば、リシテアもいる…………と思いたいが。

 

 周囲がざわつき始めるのを感じた。

 門の中から兵士が出てきたので、市場の人間はモーゼの波割のように道を開けた。


 気になる。

 というよりは、その原因に紛れて紛れて王都の中には入れないかと考えながら、そっちを向いた。


「ーーーめてっ」


 人間の喉というのは確かに十人十色とはいうが、かなりの音色で声を出す。

 同じような声をしている人間は存在するが、それが近所だったり、すぐ近くにいたとしても聞き分けられてしまうものだ。

 

 だが、聞こえたそれは確かに1人しか知らない声音だった。

 絶対に、間違うわけがないと自信を持って言える一人。


「リシテア!!」


 兵士よりも先に、ざわめきの中心にいる彼女のもとへと走る。

 彼女はさっきと同じ小汚いローブを纏っているが、下に鎧をきていないのか、かなりほっそりしているように見えた。

 野菜売りの商品を散らばせて、いろいろな人が踏み潰した挙句に立ち去ろうとしたリシテアを店番の男が捕まえていた。


「ん? こいつの連れか?」


 名前をよんだ俺に気がついた男は俺に視線を向けた。

 

「ああ。済まない。今は金がない。後から連絡をくれるか?

 取ってる宿屋の連絡先はすぐに届けさせる」


 口から出まかせをいい、緊張せずにその演技を続けながらリシテアの手をとって市場の出口ーーー王都の中へと足を向けた。


「って言って逃げるつもりじゃねえか?」


「生憎、ここに来たばかりで宿の名前も知らなくてね」


 背を向けながら言ったが、


「あ、ああの」


 リシテアが声を出した。


「あ、あなたは誰でしょうか?

 嘘は………ダメだと思います」





 あーあ。と。


 この場の全員が俺に視線を向け、嫌な汗を大量にかく。

 歩く足を止める。瞬時に駆け巡る嫌な思考をかき消しながら。


 リシテアじゃないはずがない? 

 と、手を引く彼女の方を見て無理やりにフードをめくった。


 確かに、俺の知っているリシテアだった。

 だが、髪はかなり汚れて金色には見えないし、火傷の後か、皮膚が壊死しているのか変色してみる人が見るとかなり醜い容姿になっているだろう。


 だが、リシテア本人であることは間違いようもないのだった。


「リシテア」


「はい」


「俺を、忘れたのか?」


 息が詰まるような、経験したこともないような心臓の痛み。

 一晩共にしただけの人間は忘れてしまうものなのか。

 

「わ、わかりません」


 彼女の返答は、冷たいものではなかった。

 親切にしてくれた恩人に向けて、間違っているものを間違っていると、優しく教えてくれるような声音で。


 ただ、知らないふりをしているだけではない。ということがわかってしまった。


「なんか、知らんが兄ちゃん。嘘はいかんな。

 どこまでが嘘なのかは知らんけどな」


「彼女とは、知り合いなはずなんです」


 ゆっくりと近づいて来ていた野菜売りの男が俺に疑いの目を向ける。


「ナンパは場所と時を選びいや」


 いつの間にか、俺たちの周りには兵士が囲っていて、逃げるにも俺の頭はリシテアが俺を認識していない状況を正しく認識できていなかった。

 どうすればいいのか、わからなかった。


「向こうで、話、きこか」


「そ、うですね」


 俺は、なにもわからなかった。

 なにをしていいのかも。今の現状もわからない。

 いつの間にか別の世界に迷い込んで、知っている人が俺のことを知らない。

 

 地獄へ垂らされた蜘蛛の糸を掴んで登り始めた瞬間にちぎれ散った。

 

 兵士に手を拘束され、リシテアと共に詰所へ連行される様をたくさんの人間に見られて、不快だった。

 全てが不愉快に思った。理不尽だった。

 なにをするにも説明しろよと。俺は怒った。

 それも長くは続かないが。なにも考えたくはなかった。




 詰所にはたくさんの人間がいて、俺と同じように拘束された人間や何かを訴えかけている商人風の人間や質素な服を着て慌ただしく動いている首輪が目立つ人間など。

 そこで世界中の人間の種類を見ることができた。

 俺もその見世物になってしまったわけだ。

 階段を上り個人用の独房のような場所がたくさんある階層へきた。その中に犯罪を犯した人間を入れておくのだろう。

 俺のような、なにもしていない人間も含めて。


「人間動物園とはね」


 変な一人事をいう俺とリシテアは、別々の部屋へと入れられて兵士が「こっちも忙しくてね。話を聞くのは後になる。準備ができたら呼びにくるから」と腕の拘束具を外しながら独房へと突き飛ばした。


 中には、壺と水瓶。それに藁があった。

 それだけ。現代のトイレの個室くらいの大きさでしかないので、横になることはまず不可能だろう。立つか座るかしか選択肢はないが、座るにしては、隣の独房から漏れ出て来たよく分からない液体の上になるので、立っていることにした。

 現代の感覚でいる事が間違いなのだろうとは思いながら、普通だったら1時間くらいで戻ってくるだろうな。と、意味の無い想像をしていた。

 リシテアは、また遠くへと行ったのは見ていたので、話すこともできない。


 たった一人になってしまった。




 何時間経ったのか分からないくらい。

 独房の小窓から見える世界が、真っ暗になった時、不意に声が聞こえた。


「なんで入って来たんだ? 何か盗んだか?」


 確か、俺の隣にはかなりの巨体の男が狭苦しく入っていたと思った。


「いや、好きな。

 好きだった娘を助けようと」


 わずかな沈黙。


「なにがあったかは知らんがな。

 法に触れることはしちゃいかん」


「そんなことは、していないつもりです。

 ただ、彼女は俺のことなんて忘れていて」


「好きな女は恩を忘れてても無理やり助けるもんさ」


 がはははと、豪快に笑う男に合わせて部屋が揺れる。

 その力を使えばここから簡単に抜け出せるのではないかと思うが、

 法に触れることをするなという人間がそんなことはしないのだろう。


「一緒に捕まった女か?」


「そう、ですね」


「あれは、俺も知ってる」


「は?」


「亡国の女騎士ってな。

 業界ではかなり有名だぜ?」


「……………」


「知らなかったか? 

 帝国ではゴブリンロードって名前で呼ばれててな。国が揺るぐ不幸には必ずいる女ってな。だから、時期にこの国も滅ぶだろうよ」


「もっと詳しく、教えて、くれませんか?」


「がははは。いい暇つぶしだぜ。

 いいぜ。教えてやる」


 瞬間、爆音。

 一瞬で小窓から見える世界が昼に変わるくらいの光。



「そうかそうか。またか。

 こりゃ逃げられんわな」


 男が笑った。

 ドゴッと壁に穴があいて、隣から剛健な腕が生えた。

 その腕が動けば壁が崩れ去った。


「いや。まさか巻き込まれるなんてな。運がない。

 済まんな。こりゃもう逃げられん」


 そこから出てくる巨体が俺の方を向いて言った。


「なにが、起こったんですか?」


「神の光が降るのさ」


「神の光」


 繰り返して、ピンと来た。

 瓦礫の山の有権者が言っていたのを思い出した。


 全てを破壊した、神の光。

 王都を破壊して、その周辺までも飲み込んだその光。


 つまり、どれだけ走っても俺もこの光に飲み込まれて死んでしまうのだろう。

 それを、隣の男は知っていた。 


 先ほどと同じように、独房の小窓がある方の壁に腕を突っ込んで破壊した。

 ガラララと崩れ去る壁と、全てを照らす神の光。


 ああ、光の球が空から降って来たのか。


 上空に存在するもう一つの太陽とも言える光。ゆっくりと下降しているのがわかる。直視はできないが、その光の強さが、温度として肌身に感じられるからだ。


 眩しくて目を細めながら、周囲を見た。独房が城壁のかなり高い場所にあった事がわかる。眼下には市場がまだあったが、そこにいる人間も全て例外なくその神の光を見ていた。


「ゴブリンロードは不幸の象徴さ。

 不幸によってくる悪魔さ。逆に言えばゴブリンロードがいればそこが破滅する。

 だから帝国は人間兵器として躍起になって探してるって。諜報部が言ってたな。

 オレは違うと思ってる。災を教えるためにそこにいる妖精なんじゃないかってな」


 光は弾けた。周囲に分裂した。

 たくさんのそれらが地上に落ちてくる。


「この十何年かにあった大きな事件を調べると全てに関わっているのがあの女騎士さ。ああ、こんなに近くに来たんだから事実を知りたいよな。知りてぇよ。だからオレはここまで生きたのによ」


 涙まじりの声だった。後悔の声音。

 どさりとその場に腰を下ろしてゆっくりと降る光を見る。


「この光はな。みろ。

 知らずのうちに体を溶かすんだ」


 男の腕を覆っていた剛健な筋肉は、ダルダルに溶けてただの脂肪、いやもう溶けて原型を留めないまま地面に滴っていた。

 そうやって、自分自身の体を見て悟った。


 もう、下半身がなかった。


「うわぁあああああああああ」


「痛みもないまま殺すなんてよ。

 神の光ってのも、あながち間違いじゃないってな

 がはははあああぁぁぁぁぁぁぁぁ…………」


 溺れるように、消えていく声。

 実際その通りに男の首は自身の溶けた体に埋もれるようにしてそのまま一度びくりと動いた後にゆっくりと目を閉じた。いや、溶けてまぶたが落ちたのかもしれない。


 俺の体も溶け落ち、それでも動けないまま意識を保っているのは恐怖でしかなかった。だが、それを表現する術をもうもたない。


 光が落ちた。


 灼熱。爆風。世界が揺れる。


 ここからが本番だぞと言わんばかりの猛威を奮って、神の光は全てを吹き飛ばす。

 市場に広がる馬車が、商品が、人間だった塊が爆散四散して。

 瓦礫になった家屋が何もかも根こそぎ抉り取っていく。


 とてつもない光が何色にも世界を覆って、もはやそこは天国といって差し支えがないほどに痛みもなく、なにもない世界だった。


 そうして、途切れる意識で神に祈る。

 

「(リシテアを、助けてください)」


 一回寝ただけの彼女をもっと知りたいと思ってしまった。


 もう二度と、悲しい思いをさせたくないと思ってしまった。


 俺を知らない顔をして欲しくないと思ってしまった。


 俺は、彼女をーーー独占したいと思った。


 それも、もう叶わない願いだがーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー































「はっ!?」


 覚醒した意識は、すぐさまに体が動くことを確認した。

 下半身があり、腕があり、顔がある。それがはっきりと認識できた。


 体は、地面の上に横たわっており、御体満足で立ち上がった。

 そこは、森と丘との境界線。


 俺の山の洞窟と繋がったそれを通ってすぐの場所。

 つまりは、元の場所。


「夢?」


 あんなはっきりとした夢を、二度もみるとはとんだ奇跡体験だった。

 その丘から見えるのは王都。


 神の光に侵されることもなく、何事もなかったかのようにそこに鎮座していた。


 そうして、世界は繰り返す。

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