東の空に浮かぶ虹

忍野木しか

東の空に浮かぶ虹


「虹が出るよ」

 京都に向かうバスの車内。窓の外の雨を眺めていた久保義弘は、池に浮かぶハスの花を見た。雨雲を映す水の波紋。暗い水面に浮かぶ白い花。

 坂上里香は目を瞑った。窓際の彼の肩に頭を乗せると、乾いた服の匂いにまどろむ里香。

「雨が上がったらの話でしょ?」

「ううん、雨が降る前の話」

「虹って雨の後に出るもんじゃないの?」

「雨の前にも出る事があるんだよ」

「ふーん、でもそれって、雨の良さじゃないと思うけど……」

「雨があるから虹は出るんだ。里香も虹は好きでしょ?」

「うーん、どうかな……」

 小さく欠伸をする里香。微笑む義弘は窓にぶつかる雨を数えた。次第に小さくなる雨粒。灰色の空に見える白い光。

 霧雨が頬を掠める京都の街。土曜日の午前。バスを降りた里香と義弘は喫茶店で一息ついた。

 暖かい抹茶ラテを啜る里香。雲間に見える青い空を喜ぶ。

「晴れてきたね」

「うん、ちょっと残念だな」

「どうして? ひろくん、虹が見たかったんじゃないの?」

「雨の中の金閣寺が見たかったんだ」

「へぇ……そうなんだ? それは残念だね」

 雨に魅力を感じない里香。白いマグカップに浮かぶ湯気に触れると、首を傾げた彼女は空を見上げた。頬を撫でる暖かい光。夏の晴れ間に鳴く蝉。喫茶店を出た二人は街を歩く。

 寺の庭。枯山水に浮かぶ石を数える里香。空を見上げる義弘。西に傾く太陽が木々の青い葉を煌めかせる。

「虹、出ないね?」

 義弘の手を握る里香。涼しい雨上がりの風に揺れる髪。視線を下げた義弘は微笑んだ。

「こっちはそれほど、雨が降らなかったんだろうね」

「ふーん」

「また降れば、出るかもしれない」

「なら、出なくていいや」

 顔を顰める里香。笑う義弘。雨水に揺れる枯山水が見たかった彼は、名残惜しそうに遠くの雲を見つめた。

 金の寺の浮かぶ池。里香の隣で腕を組む義弘。暗い水に浮かぶ白いハスの花を思い出した彼は、青い水面に映る金閣寺の美しさにため息をついた。それでもまだ、雨が恋しい義弘は西の空を睨む。眩い太陽を隠す雲はない。

「あ、虹だ!」

 里香の澄んだ声。振り返る義弘。東の空に七色の輪が輝く。

「本当だ」

「ひろくん、虹が見れて良かったね?」

 晴れた空に笑う里香。アイフォンの電源を入れると虹にカメラを向けた。

 夕焼けに消えていく光の屈折。東の空に浮かぶ雨を呼ばない虹。

 朝の虹が好きな義弘は寂しげに眉を顰める。

「今日はもう、雨の中の金閣寺は見えないな」

「え?」

 振り返った里香は俯く義弘に首を傾げた。

「東の空の虹は、雨上がりの証拠みたいなものなんだ」

「えっと……?」

「虹さえ出なければ、夕立もあるかなって期待してたんだけど」

「ひろくんは、虹が見たくなかったって事なのかな?」

「うん」

「ええ……?」

 虹は見たくなかったと落ち込む彼に呆れる里香。曇り顔の義弘の顔を覗き込んだ彼女は、その固い頬をつねって無理やり笑顔を作らせる。

 苦い笑いを浮かべる義弘に顔を近づける里香。アイフォンのカメラを構えた彼女は、虹を背景に二人の写真を撮った。

 

 

 

 

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