第一章 日常の中の非日常③

 三国は学校に向かいながらサイに尋ねた.

「サイは生まれたときから飛べたの?」

「いや,生まれたときから飛べる人間はそういないと思うよ.僕が飛べるようになったのは今から大体二十年くらい前のことだよ」

「二十年って,どう見たって君は僕と同い年くらいじゃないか.何を言ってるんだ?」

「実は君と僕はだいぶ年が離れてるのさ」

「どういう意味?」

「少し長い話になる.僕は中学生最後の日に家出をした.三月三十一日だった.進学する高校は決まってたんだけど,行きたくなかった.いつまでも中学生のままでいたかった.だから,なんとなく家出をしてどこか自分を知ってる人のいない遠くの街にまで行けば,自分が中学生のままでいられるような気がしたんだ.朝の三時くらいに何も持たずに家を出た.あたりはまだ暗くて,両親は寝たままで僕が出ていったことには気づかなかった.その後に当てもなく歩いた.遠くへ遠くへ,誰も僕のことを知る人のいない町まで,歩いて行こう.その町に着いたら少し休憩しよう.少し休憩したらもしかしたら僕は中学生のままでいたいなんて馬鹿な考えだと思って,何か自分の中にある執着を諦められるかもしれない.そうなれば,家に帰って次の日から高校生になればいい.とにかく今は動くことに意味があるんだ.どこか遠くの場所へ行けば何か答えが待っていて,今,自分が抱えているどうしようもない悩みであるとか,考えに答えが出せるはずなんだ.そう思って黙々と歩いていったんだ.最初は普通の道を歩いていた.灰色のアスファルトの硬い道の上で両側に灰色のビルや,民家がある道をとにかく歩いていた.宛先のない旅だったけど,なにかに向かって前進してるっていう感じがしてたから,不思議と不安はなかった.でも,途中でおかしいことに気づいた.夜が明けなかったんだ.何歩,歩いてもあたりは暗いままだった.そのうち周りの様子が変化し始めた.灰色の道を歩いていたはずが,真黒な道の上を歩いてた.両側にあった,ビルや家はなくなって,ただそこには漆黒の虚空だけが存在していた.それでも僕は歩き続けた.歩き続けるしかなかったんだ.何時間,何日,何十日も歩き続けたかもしれない.完全に時間の感覚が狂っていた.ときどき怖くなって,思いっきり走った時もあった.でも,周りに何もないせいで自分が早く走ってるのかそれとも走ってるつもりで,歩いているような速さで移動してるのか分からなかった.そんな風に時が過ぎていくうちに,僕は自分の名前も,自分がどこにいたのかも,友達の名前も両親の名前も忘れてしまった.思い出せなくなってしまったんだ.必ずそれらは存在してるはずなんだけど,どうしても思い出せない.そう言う風にして歩き続けてる内に,正面にぼんやりと光が見え始めた.僕はその光の方に向かって走った.夜行性の昆虫が街灯に群がるみたいにね.そしてこの街にたどり着いた.それが二十年くらい前のことだった.自分が中学生ということ以外の記憶をなくした僕は途方に暮れてぼんやりしていた.そして,なんとなく空を飛びたいと思ったんだ.どうすればいいか分からなかったから.どこかに飛んでいきたいと思った.そう思ったら宙に浮いていたのさ.そして,空を自由に飛び回った.空を自由に飛び回ると,みんなが僕のことをみて,僕のことを知ってる人が僕のことを見つけてくれるかもしれない.そう思ったんだけど,飛んでるときの僕は透明人間だった.誰も飛んでる僕のことに気づいちゃいないってことに飛んでる時に気づいたんだ.それに何年も月日が経っても,体が変化しなかった.成長が止まった.物理的な意味で僕は中学生のままになってしまったんだ」

 サイは淡々と語った.昔あった事実をなるべく感情を交えずに話そうとしているのが三国には分かった.中学生のままでいたいと思って家出をしたら,記憶をなくし,空を飛べるようになったが,体が中学生のままだった.三国はどんな声をかけていいか分からなかった.今までそんな状況にあった友達はいないから.だから,ちょっとした疑問をサイに投げかけることにした.

「君は自分が中学生以外の記憶は失ったっていうけど,君にはサイっていう名前があるんだろ.それが君の名前なんじゃないかい?」

「サイっていう名前は君みたいに僕の飛んでる姿が見える人間につけてもらった名前だよ.僕が飛んでる姿を見れる人間がいるなんてそれだけで嬉しかったから,その子と友達になったんだ.そうしたらその子が名前を付けてくれた.僕の飛んでる姿が見えるってことはもしかしたら,僕と一緒に飛べるんじゃないかと思って,飛び方を教えたら飛べるようになったんだ.それが今から十五年くらい前の話.だから,五年間くらい僕には名前がなかったんだ」

「その飛べるようになった子はどうなったの?」

「ある日を境に消えてしまった.理由は分からない.毎日,君と会った公園で会っていたんだけど,突然,来なくなった.その後,僕は仲間がほしくて,僕が飛んでる姿が見えない人たちにも飛ぶ方法を教えたんだ.飛べるようになる人がいた一方で飛べない人もいた.だけど,飛べるようになった人間は一度飛ぶと,僕のことも自分が飛んだことも忘れてしまうんだ.僕と飛んで記憶をなくさないのは,僕が飛んでる姿が見える人だけなのさ」

「じゃあ,僕は君の飛んでるところを記憶できる友人二号ってわけだ」

「そんな嫌味な言い方はよしてよ.君は僕の特別な友人の一人だよ」

「そろそろ学校に着く.屋上に降りよう」

 三国とサイは三国の通う中学校の屋上に降り立った

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