第23話 終着、ゲームエンディング

 何故、こんなことになったのだろう。

 冷たい石壁に囲まれた室内で、ただひたすらにそんなことを思う。

 

 こんな結末は知らない。こんな終わり方、有り得ない。

 

 上手く行っていたはずだった。何もかも、上手く展開していたはずだった。

 だって、つい先日までは幸せだったんだから。思っていた通りに全てが進んで、かつての自分とは比べ物にならないぐらい幸せに暮らしていたんだから。

 それは以前、報われない日々を過ごしながらも健気に生きてきた自分への、神様からのご褒美のはずだった。だから、幸せになるのが当たり前のはずだった。

 

 それなのに、何故。

 

 石壁は、固くて冷たい。床も同様で、ぞわりと身体中を震わせるようでもある。

 どうしてこんな目に遭わなくちゃいけないの。

 

 ごごご、と音が響いた。

 石壁に囲まれた室内はやけに音が反響して、耳に障る。外界に繋がる唯一の接点であろう扉もまた重たい石造りで、動かす度に鈍い音を立てるのがひどく不愉快だ。

 そして、その音に身じろぎする度に鳴る、手足の鎖のじゃらりと金属が擦れる音も。

 

「……誰?」


 ゆっくりと開いた重たい扉から現れたのは、見たこともない女だった。

 まだ若い、きっと娘と同じぐらいであろう貴族令嬢。

 

 訝しむ視線に、女はにっこりと微笑んだ。反吐が出るほど大嫌いな、貴族の笑い方で。


「初めまして、ですね。シェリー・ウィルコールさん」


 ほんの少しドレスのスカートを摘んで軽く足を曲げる、その礼の仕方も大嫌いだ。

 この国で、格上の貴族が格下の者に対して、略式どころか「お前には礼を取る必要などない」という侮蔑の意味を込めて行なう礼だ。昔、嫌という程にされたから覚えている。

 

 誰だか知らないけれど、嫌な女。

 一目で、そう感じた。

 

 シェリー・ウィルコール。ウィルコール男爵家の一人娘として生まれた彼女にとって、貴族の女はみんな嫌な女だった。

 淑女だか何だか知らないが、底の見えない微笑を貼り付けて、人を小馬鹿にした目で笑う。

 ひそひそと噂話にばかり華を咲かせて、いつだって誰かの足を引っ張ろうと画策を繰り返して。

 

 男爵家の令嬢だった頃もそうだったし、チャールズと結婚して男爵夫人になった後もそうだった。シェリーは、貴族の女はみんな嫌いだった。

 

 だって、誰も彼もがシェリーを認めなかったから。

 シェリーが認められない世界なんて、おかしいのに。シェリーは愛されて当然で、幸せになるために神様が人生を与えてくれた、選ばれた人間であるはずなのに。

 彼女らは、そんなシェリーを認めなかったから嫌いだった。

 

 目の前の女は、そんな貴族らしい女だった。シェリーの大嫌いなタイプの。

 

「そんなに睨まないで下さる? わたくし、ドリューウェット伯爵家のララと申します」

「続編の悪役令嬢の、ララ・ドリューウェット!?」

「あら、ご存知でした? ちなみに、今もわたくしアストリー様の婚約者ですのよ」


 にこやかな微笑みが、癪にさわる。

 

「アンタが……アンタが邪魔したのねっ!? よくもレリアを……っ!」


 記憶に残る、前世。

 その中で夢中になっていた、恋愛シミュレーションゲーム。

 

 ありきたりと言えばそれまでの、学園で出会う高位貴族の攻略対象たちと、平凡な男爵令嬢が恋に落ち、愛を育んで幸せを掴むストーリーだった。

 よくあるストーリーながら、丁寧に描かれた心理描写と美麗なイラストレーションが気に入って、ヒロインを羨み憧れながら、その世界に浸った。

 

 そのヒロインであるシェリー・ウィルコールに転生したのだと気付いたから、ストーリー通りに攻略対象たちと親しくなった。

 最終的にチャールズ・グラフトンと結ばれて、ちょっとした差異はあったけれどストーリー通りに幸せになった。

 

 だから、シェリーは疑っていなかったのだ。

 自分そっくりな娘のレリアは、続編のヒロインである、と。

 そう思ったから、レリアだけは手元から離さずに育てた。代わりに、もう一人の娘をグラフトン侯爵家に差し出してでも、続編のヒロインは自分の手で大切に育てようと思った。

 

 ゲームでは、レリアは母であるシェリーから愛情を注がれ、素直で可憐な令嬢に育ったはずだったから。

 それなのに。

 

「わたくしは特に何もしていませんわ。リィンと親しくなったのも、兄から話を聞いたからというのが切欠ですし」

「嘘言わないで! アンタがゲームの記憶を利用して、レリアの邪魔をしたんでしょう!? じゃなきゃ、こんな結末有り得ないわ!」


 怒りに任せて叫び、目の前の女に掴みかかろうとしたものの、手足を拘束する鎖が派手な金属音を奏でるだけだった。

 思わず舌打ちしそうになったシェリーに、ララが憐れみのような視線を向ける。それがひどく、屈辱的だ。

 

「それは、自業自得でしょう?」

「私が何したって言うのよ! ふざけないで!」


 シェリーは、ストーリーの通りに生きただけだ。

 幸せな恋をして、幸せな結婚をして、貴族としては質素かもしれないが前世に比べれば充分恵まれた暮らしをして。

 

 何も悪いことなんてしていない。分不相応なことを望んだりもしていない。それなりに慎ましく生きてきただけなのに。

 何もかも、ストーリー通りだったはずだ。

 

「ゲームのヒロインが、婚姻前に他の男の子どもを孕んだり、していたかしら?」


 ……そのこと以外は。



 ***

 

 

 ドリューウェット伯爵家の娘として生を受けたララが、それに気付いたのは、兄から学園の友人であるアルベルク・ウィルコールについて話を聞いた時だった。

 

 幼い頃からうっすらと、自分ではない誰かの記憶が深層心理に沈んでいるような感覚はあったが、それは確かな形を持つものではなかった。

 それが、彼の名前を聞いた時にはっきりとした輪郭を持ち、様々なことをララに理解させたのだ。

 

 ああ、ここは恋愛シミュレーションゲームの世界で、自分は続編の悪役令嬢となるべき攻略対象の婚約者だ、と。

 アルベルク・ウィルコールは続編のヒロインの兄で、ヒロインを溺愛する心優しいサポートキャラだった。

 

 あら、でも何故ウィルコール男爵家なのかしら?

 

 はっきりとした輪郭を描いた記憶の中で、ララはそんな疑問を抱いた。

 前作のヒロインがどのようなエンディングを迎えても、ウィルコール男爵家に相手が婿入りするパターンはなかったはず。

 

 そして兄からアルベルクの事情を、絶対に内密であるという前提の下で聞かされた時、気付いたのだ。

 

「貴女は、別にヒロインなんかじゃないの。だって、ヒロインはそんな不誠実なことしないもの。貴女はただ、シェリー・ウィルコールだっただけ。ゲームの主人公でも何でもないのよ?」


 チャールズ・グラフトンと仲を深める一方で、第二王子と通じて子を孕むような、そんなことをゲームのヒロインがするはずもない。

 ましてや、その子をウィルコール男爵夫妻の子として育てたならば、時期的にも無理がなかったということ。つまり、チャールズとも同時進行で同じような関係を結んでいたということだ。

 

 あのゲームの主人公は、そんなことを出来るような少女ではなかった。もっと純真で真っ直ぐな、だからこそ愛されるヒロインだった。

 

「貴女が破綻させたの、全部。だから、貴女の娘が続編の主人公なんてこともないのよ。わたくしが何もしなくても、最初から成立するはずがなかったんだわ」


 それでも不安だったから、兄の言葉もありリィン・ウィルコールと仲良くなって様子を見守っていたけれど。

 もしリィンに何かあったら全力で守ろう、というぐらいには彼女に友人としての好意を抱いているけれど。

 

 けれどララは、結局は何もしていない。ただレリアが勝手に自滅して行っただけだ。

 ウィルコール男爵家もまた、自業自得で自滅しただけ。

 

「娘に余計なことを吹き込まなければ、まだマシな結末だったでしょうけど。もう手遅れね」


 くすくすと、ララは笑った。蔑みの眼差しを、シェリーに向けながら。彼女もまた、苛立っていた。

 

 グレース・エヴァット侯爵令嬢は、確かに気が強く気位の高い令嬢だったが、決して性根が悪かった訳ではない。貴族令嬢らしい令嬢だったというだけで、しっかりとした令嬢だったはずだ。

 そんな彼女は今、リィンの誘拐に関与したとして数年の修道院生活を送ることが決まっている。

 当人が反省していることと、主導を握っていたのが母親だったことから、数年で済むことになっているが、既に一旦修道院に入る程のことをしてしまった彼女には、これまで通りの未来など望めない。

 

 然程親しかった訳ではないが、同じ貴族令嬢として彼女の境遇と未来に、同情せざるを得ない。

 そして、もしも何かひとつ変わっていたら、アストリーの婚約者であるララがその立場になっていた可能性も、なくはなかった。

 

「ねぇ、シェリーさん? 貴女、ここがどこだか分かってます?」

「どこって……どっかの地下牢でしょ」


 吐き捨てるような口調に、あぁこの人は何も分かっていないのだ、と思う。

 

「ここは、エヴァット侯爵家の別邸。貴女は、エヴァット侯爵に引き渡されたのです」


 数多くの平民の少女たちと、そしてシェリーが認識下にも置いていない娘が監禁された石造りの地下牢。

 妻であるクラーラ・エヴァット侯爵夫人が凶行を繰り返した部屋に、王家からシェリー・ウィルコールの身柄を譲り受けたエヴァット侯爵は彼女を監禁した。

 

「エヴァット侯爵は、奥方をそれはそれは愛してらっしゃいましたから」


 貴女をどう扱われるのでしょうね?

 

 微笑んだララに、シェリーは顔を青褪めさせた。年齢の割に若々しい、愛らしさを残した頬が白くなっていく。

 自らのこれからの処遇について、想像が出来てしまったのだろう。

 

「あぁ、貴女の旦那さまも、この別邸のどこかにいらっしゃるそうですよ。良かったですわね、“真実の愛”のお相手と最期までご一緒出来て」


 大切にしていた年下の後妻が凶行に及び、既に死罪も確定している。妻との間に産まれた娘は、修道院へと送られた。

 その過程に気付けなかったエヴァット侯爵は、自らを責めながら元凶であった男爵夫妻を憎んだ。

 十八年前の件がなければクラーラがエヴァット家に嫁ぐこともなかっただろうが、それでも憎む心を止められなかったらしい。

 

 領地経営の破綻という責任に問うことしか出来なかったものの、ウィルコール男爵夫妻を野放しにしておきたくない王家と、憎しみに染まったエヴァット侯爵の思惑が一致した結果が、この地下牢だ。

 

 青白い顔で震え始めたシェリー・ウィルコールの想像は正しく、彼らはこれから如何ほどの苦しみを負うのだろう。

 

 十八年前の一件は、エヴァット侯爵夫人の事件に合わせて、貴族内に改めて公表された。

 隠匿した過去が元凶であったとされ、グラフトン侯爵家とエイマーズ侯爵家は、今後、厳しい視線に晒されるだろう。

 学園時代に子を為し知らぬ振りをした王弟については、流石にアルベルクの身の安全のために事実を公表はされなかったが、気が強くも立場の弱かった妻に事実を知られ、完全に立場が逆転したという。

 

「全てが完璧という訳ではないけれど、それなりのハッピーエンドじゃないかしら、これって?」

「そんな……私は、私たちはハッピーなんかじゃないじゃない! 待って、助けてよ!」


 にっこりと告げて、立ち去ろうと石の扉に向けて踵を返したララの背に、シェリーからの叫びが飛ぶ。

 ゆるりと振り返ったララは、ほんの一瞬彼女に視線を投げかけ、そして再び背を向けた。

 

「嫌ですわ。だってわたくし、悪役令嬢ですもの」


 世界のヒロインだったはずのシェリー・ウィルコールの絶叫が、冷たい石の壁に響き渡った。

 けれど、それを聞く者はいないまま、重たい石の扉がごとんと音を立てて閉ざされた。

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高位貴族の令息を誑かせと、姉を唆す両親がいるんですが。 みなみまひろ @minami-mahiro

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