第22話 兄、妹に思いを馳せる

 窓の外には、立派なオリーブの木が、風を受けて葉を揺らしている。

 ふとアルベルクは視界の隅で揺れる濃い緑の葉に気を取られ、目を通している最中の書類の束を机の上に放り投げると、窓の近くに歩み寄った。

 

 ウィルコール男爵家が爵位を剥奪される際、アルベルクは王家から報奨を与えられた。

 手続き上では、アルベルクとリィンはウィルコール男爵家が爵位を剥奪されるより前に男爵家を離れ、平民となっている。報奨は、その平民アルベルクに対するものだった。

 

 報奨を与えられた理由は、ウィルコール男爵の領地経営が破綻していることを暴き、王家に陳情したというもの。

 アルベルクは、学園を卒業する前から男爵家の内情と領地の実情を確かめ、証拠を揃えることに尽力していたから、それらを提出したことに対する報奨として、少なくはない現金を与えられた。

 

 その金を遣い、アルベルクはオールボート公爵領内にそこそこの大きさの一軒家を買った。

 オールボート公爵家の領城に程近く、二家族ぐらいであれば暮らせそうな程度の大きさの家を。

 

 そこで、貴族ではなく平民として暮らし始めた。

 

「休憩ですか、アルベルク様?」

「あぁ、マルク。だから、様はいらないって」

「無理です。今さら矯正出来ません」


 笑いながら部屋に入ってきたのは、かつて専属執事だったマルクだ。

 彼も、アルベルクの専属侍従だったニールも、そして妹の専属侍従だったマティスも、アルベルクらが貴族でなくなった時点でグラフトン侯爵家との雇用契約も切れ、主人と使用人という関係性は終わったはずなのだが、今も態度は特に変わらず同じ家に暮らしてくれている。

 

「大体、リィンお嬢様はともかく、アルベルク様は私らがいなければお一人で生活出来ませんでしょうに」

「そりゃまぁ……否定はしないけどさぁ」


 妹のリィンは、専属で侍女やメイドをつけてもらえなかった分、着替えだの何だのの身の回りのことは大体自分で何とでもしてしまう。流石に、異性であるマティスに着替えを手伝ってもらったりなど、出来なかったから。

 

 そういったことを、一人では何ひとつ出来ないのはアルベルクの方だ。

 一人でこの邸に暮らせと言われても、お湯を沸かすことさえ出来ないアルベルクは食事もどうしようもなかっただろうし、何だったら一人で真っ当に着替えられたかどうかも怪しい。

 妹と共に貴族籍を抜けて平民になりたいのだと、ブラットリー王子に嘆願してから初めて、平民になってからの暮らしを想像して絶望したぐらいだ。

 今では何とか、一人で身の回りのことは出来るようになったが。

 

「ところで、アルベルク様。王都の方から連絡があったのですが」

「……ひょっとして、レリアのこと?」


 尋ねれば、マルクが頷く。はぁ、とアルベルクは嘆息した。

 

 リィンと二人、貴族籍を抜けて平民になりたい。ウィルコール男爵家ともグラフトン侯爵家とも、無縁になりたい。

 それは、アルベルクが自らの出自に気付いて以降、リィンと二人、共通で抱いていた望みだった。

 

 王弟の子である、ということが容貌から明らかに伝わるアルベルクは、どのみち貴族籍であるだけでも危険な因子であった。

 情勢は落ち着いているし、第一王子であるブラットリーは優秀で、今はまだ未成年ということで保留されているが次代の国王であることは間違いない。間違いないが、王族の血を引くのが確定的な男爵令息が、社交界をふらふらとすることは余りにも危うい。

 下手をすれば王位継承争いに一石を投じてしまいかねない自分自身の危険性に気付いたアルベルクは、両親の無能さの証拠を売り渡す代わりに、オールボート公爵家の監視と保護を受けた平民になることを願った。

 

 それは叶えられ、アルベルクは平穏に日々を過ごしている。

 自分が買った家から領城へと出仕し、様々な雑務をはじめとする仕事をこなして帰宅し、信の置ける身内と食事する。そんな当たり前の、しかし実家では決して得られなかった、平穏な日々を。

 

 その一方で、心に突き刺さる破片のような、苦々しい思いも残っていた。

 

 レリアは、言い逃れ出来ない。

 高位貴族の令息らに擦り寄っていたのは学園内では有名であったようだし、実際にそれが原因で婚約関係に亀裂が入ったところもあるし、何よりリィンが攫われる切欠となったのは、レリアがスペンサー侯爵令息に擦り寄ったからだ。

 

 だが、それでもふと思う。


「あの子も……あの人たちに育てられなければ、もっと違っていたかもしれないね……」


 何の感慨もないが、グラフトン侯爵に引き取られ教育を受けさせてもらえたことには、感謝している。

 それがなければ、アルベルクは人生に活路を見出だせなかっただろう。

 行き着く先は、両親たちと共に辿り着く、破滅しかなかっただろうと思える。

 

 もし、レリアがアルベルクたちと同様にグラフトン侯爵家に引き取られ、同じように教育を受けさせてもらえていれば。

 

 もしかしたら、元々レリアには素養があって、どうやっても現状に収束していたかもしれない。

 けれどもしかしたら、あのような大それたことは仕出かさず、大人しく学園生活を終えてどこぞの貴族令息と結ばれていたかもしれない。

 

 仮定は無駄だと知っていても、思わずにはいられないのだ。

 レリアもまた、あの両親の被害者であろう、と。

 

「……ノールズ伯爵が引き取るようですよ」

「ノールズって……あの、人材マニアで篤志家っていう、ノールズ伯爵?」

「ええ、そのノールズ伯爵です。施設の職員として働かせながら、教育を受けさせる予定だそうです」


 ノールズ伯爵は、身寄りのない子どもや行き場を無くした子どもなどを引き取り、領地にある孤児院で育てる篤志家として有名である。

 

 だが、それは完全なる慈善事業ではなく、彼は人材を育てることに固執した人材マニアでもあった。

 彼に引き取られた子どもたちは、働きながら様々な知識や技術を身に付け、領内の産業に貢献したり、時には王宮や他領から引き抜かれたりもする人材に育つ者もいる。

 そんな人材を紹介したり派遣したり、といったことも、彼は商売として営んでいるらしい。

 

「そっか……それなら後は、あの子次第か」

「そうですね。ノールズ伯爵のもとであれば、努力次第で道は幾らでも拓けるでしょう」


 ほっと安堵の息を零し、窓の外に改めて視線を向ければ、何やら向こうのオリーブの木の近くに立つ妹と、それに寄り添う彼女のかつての専属侍従の姿が見える。

 火ばさみを握り締めながらオリーブの木に恐る恐る近付くリィンを見る限り、きっと木についた毛虫だか何かを駆除しようと頑張っているのだろう。

 何とか自分でやってみようとするリィンと、その意思を尊重しつつ何かあったらすぐ動けるようにしているマティス、といったところだろうか。

 

「……時間が経てば、色々進展するかもしれないね」

「さぁ……あの二人に関しては、よほど時間が経たないと進展しないでしょうけども」


 アルベルクの後ろから窓の外を覗いたマルクが、呆れたように肩を竦める。

 

「あれに関しては……まぁ、まだしばらくはこのままでいいかな」


 せっかく、ゆったりとした時間を過ごせるようになったのだ。

 初恋に気付いたばかりの妹が、それを叶えて手元から巣立っていくのは、もう少し先の話にして欲しい。

 

 窓の外で、何があったのやら火ばさみを放り出して叫ぶ妹を眺めながら、アルベルクはゆっくりと口元を緩めた。

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