第16話 裁可、婚約破棄の行末 ②

「近頃、平民の少女が行方不明になる事案が急増しているようだ」


 クラーラ・エヴァット侯爵夫人をちらりと見やった後、ブラットリーは唐突にそう切り出した。

 

「左様でございますか。それが、わたくしに何の関係があるのでしょう?」

「まぁ待て、エヴァット侯爵夫人。話は最後まで聞くものだ」


 それまで浮かべていた表情を綺麗に消し去ったクラーラを、ブラットリーは微笑を浮かべたまま制する。

 

「どうやらこれまでは警邏が担当地区ごとに把握していたようで総数が分からなかったのだが、改めて整理してみたところ異常に件数が増えているようなのだ」


 平民の少女が行方不明になった場合、真っ先に疑われるのはやはり自らの意思による駆け落ちや家出だ。


 政略結婚というものは貴族に付き物ではあるが、平民の結婚もまた、自由とは言い難い。

 多くの場合が、親が主導となった見合いで決まるものだし、農村の辺りともなれば親が決めた相手と顔を合わせた数日後に挙式なんてケースも、決して珍しくはない。

 それを嫌がり駆け落ちしたり家出したりする娘は、貴族より平民の方が遥かに多いだろう。

 

 だから、行方不明の届けが出されても警邏隊はそこまで積極的な捜査はしない。

 家出と思しき少女がいれば保護するなり何なりするだろうが、そういった少女を探して動くということは、殆ど無いに等しかった。

 

 ただ届出だけが積み重なっている状況だが、その届出もまた各担当地区ごとで管理されており、国内はおろか王都内であってもどれほどの件数があるのか誰も把握していなかった。

 

 ブラットリーは、それを全て精査させた。

 行方不明の届け出が出ていて、その上で婚姻届を提出している少女らもいたから、そういったものも確認させて本当に行方不明であると思われる少女の総数を、王都内に限ってではあるが確認させたのだ。

 

 結果、この数年でその数は急増していた。

 しかも。

 

「急増し始めた時期が、貴女が別邸に移った時期と一致しているのだよ、エヴァット夫人」

「……だから何だと仰っしゃりますの? そのような偶然で、まさかわたくしを疑っていると?」

「誰もそこまでは言っていない。一致している、と言っただけだ」


 白々しい、というのは嫌疑をかけられた者がしらばっくれる際に使われる表現だと思っていたけれど、その逆もあるのだな……とリィンは思う。

 ブラットリーの態度は、まさしく白々しいものであった。

 

「ただ、少し気になる証言を得て……な」

「証言……ですか?」

「あぁ、平民出身の使用人なのだが、どうやら侯爵家の別邸から脱走して来たようなのだよ」


 ブラットリーの言葉に、リィンはハッとした。

 侯爵家の別邸から脱走した使用人―――それは、ジェレミーとウェズリーの兄弟ことではないだろうか。

 

 リィンは、王子が何をしようとしているのか聞かされていない。先日の件についてとは言われているが、何をどうするのか、リィンは何をすれば良いのかさえも聞いていない。

 だから、ここで彼らの存在が出て来たことに、少しだけ目を見開いた。余り感情を出してはいけないと、必死に自重した末に。

 

「彼らの証言によれば、どうやら定期的に少女が侯爵家の別邸に連れて来られているらしいが?」

「さぁ……平民出の使用人の言うことなど、宛てにはなりませんので……。あぁ、もしかしたら先日、お客さまに無礼を働いた使用人がおりまして。その者たちが、我が家を逆恨みしているのかもしれませんわ……恐ろしいこと」


 ごく自然に、恐怖を双眸に滲ませてクラーラが僅かに身を震わせる。

 本当に恐ろしいことに怯えているような仕種は、憐憫さえも誘いそうだった。

 

 なんてことを……。

 ジェレミーの手のひらの感触を覚えているリィンは、思わず声を上げそうになったが、傍らのアルベルクに引き止められた。

 軽く首を横に振る兄に、内心では渋々と、表面的には何事もなかったかのように引き下がる。

 

「そうか。その者のうち一人は、ひどい怪我を負っていたのだが。明らかに虐待を受けた痕跡もある。侯爵家の使用人と認めるか?」

「分かりませんわ、使用人全てを完璧に覚えてはおりませんもの。名前も聞いておりませんし」

「淑女の鑑と呼ばれた侯爵家の女主人が、使用人を覚えていないと?」

「平民出身の使用人など、流石に覚えられませんわ。下働きに過ぎませんし、わたくしの目には入らない者たちですので」


 問いかけるブラットリーに、クラーラは平然と返答していく。

 返答の内容は、何ら不自然ではなく、どちらかと言えば事情を知らなければブラットリーが不要にクラーラを追い詰めようとしているようにさえ聞こえる。

 

 案の定、居並ぶ重臣らの中から、不意に声が上がった。

 

「殿下、何がなさりたいのですか。これではまるで、本当に十八年前の再現ですぞ!」


 声を上げた男に、周囲でも同調する仕種が見られ、微かに声も聞こえる。

 ブラットリーは、うっそりと笑った。

 

「そうか、貴公らは十八年前のあれを、やってはならぬものだと認識しているのだな?」

「当然でしょう! あのような失態、二度と起こしてはなりませぬ!」


「それでは、貴公らは十八年前のあの日、そしてあの日から今まで、何をした?」


 問いかけに、沈黙が返る。


「貴公らは、第三者だ。何も出来なかっただろう。それは致し方あるまい。王家とて、何も出来なかったのだからな」


 沈黙に、ブラットリーは笑った。うっそりとした、笑い方だった。

 侯爵家同士が内々に片付けた内容を、王家が改めて掘り起こすことなど出来なかった。誰もがそれを、傍観した。致し方ないことだった。

 

「致し方なかった。そうかもしれない。だが、その皺寄せを受けているのは、十八年前、生まれてもいなかった少女らなのだ」


 つかつかと国王の前まで歩み出たブラットリーが、傍らにすっと近付いたアストリー・オールボート公爵令息から書面を受け取る。

 薄くはない束になったそれを、王子は父親でもある国王へと差し出した。

 

「陛下、こちらは人身売買組織から押収した、販売リストです。そして、こちらが平民の少女たちの行方不明者リスト。照合した結果、多くの少女が一人の元から組織に引き渡されていることが判明しました」


 ブラットリーのうっそりとした笑いが、より深く濃く、彼の端整な容貌に刻み込まれる。

 アルベルクと同じペリドットの双眸に、暗い色が灯っているように、リィンには見えた。

 

「人身売買組織に少女を売り渡していた人物は、クラーラ・エヴァット侯爵夫人。更に、その少女らの多くは……酷い虐待の痕もあったようですよ」


 歪だったジェレミーの手のひらと、使用人業務の詳細について言葉を濁したウェズリー。

 リィンは、思い当たった可能性に、それまで何とか感情を出さないよう堪えていた自制も忘れ、青褪めた顔色で身を震わせた。

 

 

 ***

 

 

 平民の少女をかどわかし、虐待を加えた上で人身売買の組織へと売り渡し続けていた。

 王都の外れに構えた別邸はそのために用意され、侯爵夫人は殆どの日々をその別邸で過ごしていた。


「わたくし、存じませんわ。何の言いがかりでしょう。殿下も、彼らのようにわたくしを罪人つみびととしたいのですね……」


 儚く、クラーラ・エヴァット侯爵夫人が瞼を伏せる。

 ふるふると細かく震える長い睫毛が、僅かに濡れているように艶めいていた。

 

「それに、平民の娘ごときに何かあったとて、何故わたくしが咎められるのでしょうか? わたくしは、侯爵家の者でございます」

「それは、貴女が関与していると認めるということか?」

「いいえ? ですが、平民の娘ごときのためにわたくしが咎められようとしているのは不本意ですわ」

「確かに、平民相手であれば高位貴族は、なかったことにされて罪に問われない場合もあるが……な」


 被害者が平民で、加害者が高位貴族であった場合、時には罪がなかったこととして見逃されることもある。

 それは、長らく続いてきた慣例のようなものでもあった。


「だが、なかったことにしたから・・・・・・・・・・・、貴女はそのようになったのだろう?」


 クラーラが、ぴくりと眉を揺らした。

 

 それは、ブラットリーからの言葉にというよりは、その憐れみを含んだ視線に対して、だったからかもしれない。

 

「それでは、平民ではなく貴族に対する件で問うとしよう。リィン・ウィルコール、良いかな?」


 突然話を向けられ、隅に待機していたリィンはハッとして顔を上げる。

 室内にいる人々すべての視線を受け、思わず一歩引きそうなほどに気圧されたが、ふっと背中に感触を感じて踏みとどまる。

 傍らを見上げれば、アルベルクが気遣う視線でリィンを見ていた。

 

 大丈夫。兄にひとつ頷いて、リィンは大きく息を吸って吐き、それから一歩前へ足を踏み出した。

 

「リィン・ウィルコール、君は学園で行方不明になったが、その際に何があったか教えてくれるか?」

「はい……。あの日わたしは、馬車止めに向かおうとしていた際に、グレース・エヴァット様に声を掛けられました」


 大丈夫、大丈夫だ。

 自分を奮い立たせながら、リィンはあの日のことを順を追ってひとつひとつ説明し始める。

 

 地下牢のような部屋に閉じ込められ、ウェズリーに「好きにして良い」とエヴァット侯爵夫人が言い置いて去って行った後の、何がどうなるか分からない恐怖は今でも身を震わせるし、知らず知らずのうちに声が震えて掠れ、指先が冷たく固まっていくようにも思えるが、何とか言葉を絞り出した。

 

「馬車で運び出され、わたしは逃げ出すことが出来ました。荷台で使用人の方にお会いしましたが、その方は確かに手のひらに幾度も鞭打たれた痕がありました。暗闇で見えませんでしたが、お顔も打たれ頬骨が砕け、人前に出られる状態ではない、と、聞き……まし、た……」


 ジェレミーの手のひらを思い出すと、声が詰まりそうになった。

 

 幾度も鞭打たれ、適切な治療を受けることもなく、治り切る前に更に打たれることで、歪に変形して固くなった手のひら。

 そこに積み重なった、長い苦痛と、それを耐え続けなければならない状況。

 

 平民相手であれば高位貴族は確かに罪に問われないままで終わることも多いけれど、その背景には、そうやって苦痛のままに耐える他なかった人々の存在があるのだと、改めて思い知った。

 

 リィンは知らなかったが、エヴァット侯爵夫人が組織へ売り渡したという平民の少女たちは、どれほどの恐怖とどれほどの絶望の中にあったのだろう。それは今も続いているのだろうか。

 ウェズリーが言っていた「エグすぎてお嬢さんには話せない」という内容は、彼女たちに対してのものだったのだろう。

 

 だとすれば、彼女たちはどれほどの悲惨な目に遭ったというのか。

 

「わたしは……我が家は確かに、因果応報であるかもしれません……」


 全ての切欠が、両親が“真実の愛”を貫こうとした十八年前のあの日であったのだとすれば、リィンはそれを甘んじて受けなければいけないのかもしれない。

 エヴァット侯爵夫人を、あのようなことに追い立てたのは、リィンの両親であるのだから。

 

「ですが、他の子たちは悪くないはずです。わたしは罰を受けるべきであるなら、受けます……。だからどうか、彼女たちを……」


 どうか、彼女たちを救ってください。

 

 必死で声を振り絞り、リィンは訴えた。

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