第4話 公爵邸、お茶会は高貴な異次元

 何でこうなった……?

 

 帰宅しようとしたところを侍従であるマティスに迎えられ、自邸ではなく唐突なお誘いという名のお呼び出しに従いル・ナン公爵邸へと出向くこととなったリィンは、遥か彼方に飛んでいきそうな自分の意識を繋ぎ止めるのに必死であった。

 

「そんなに緊張しないでも良いのよ、今は私的なお茶会ですもの」


 艶やかに目の前で笑う美貌の令嬢の言葉に、いやいやいや無理でしょう!と叫び返したい気持ちを堪えるのにも必死である。

 

 私的なお茶会と称されたテーブルについているのはリィンと、呼び出した張本人であるジョゼット・ル・ナン公爵令嬢。

 そして。

 

「そう圧をかけるものじゃないよ、ジョゼット。いきなり公爵家に呼び出されれば、誰だって緊張するだろう」

「まぁ。圧をかけているだなんてそんなことありませんわ、ブラッドリー様」


 優雅にティーカップを傾ける、ブラッドリー・ユナ・ガルト第一王子殿下。

 

「ジョゼットの笑顔には、妙な迫力があるからなぁ」

「失礼なことを言わないでくださるかしら、アストリー?」


 苦笑を滲ませる、アストリー・オールボート公爵令息。


 第一王子殿下と、貴族の中でも筆頭とされる公爵家の令嬢と令息と。その三人に囲まれたお茶会。


 唐突に呼び出され心の準備もなく、この顔ぶれでのお茶会に放り込まれて平常心でいられる男爵令嬢がいるものだろうか。

 いや、時間があったところで心の準備が出来るかと言われれば、それは無理だろうとも思うけれど。

 

 触れている茶器なんて、もし割ってしまったらどれほどの損害になるのか考えたくもない。

 大体、給仕の為に控えている執事も侍女も、使用人であってもリィンと同格もしくは格上の家柄の人たちに違いない。

 公爵家なんて、男爵家の人間からすれば職場としても高嶺の花だ。

 使用人としてでも、余程の嗜みを身に着けていなければ足を踏み入れることすら出来ない。

 

 そんなところに客人として足を踏み入れている、平凡極まりない男爵家の令嬢であるリィンの存在ときたら。

 その場から浮いているとか場違いを通り越して、謎でしかないだろう。

 

 ちなみに馬車に同乗していたマティスは、そのまま馬車にて待機している。

 男爵家の使用人で平民出身である彼にとっては、リィン以上に目の前の三人は雲の上の存在になるからだ。付き添いとして同席することすら、身分的に難しかった。

 

「ところで、レディ・ウィルコール」

「は……はいっ」


 ジョゼットからの呼びかけに、声がひっくり返る。

 くすくすと、笑い声がした。軽やかで、全く嫌味を感じさせない笑い方だった。

 

「そんなに緊張なさらないで。リィンとお呼びしても良いかしら?」

「い、如何ようにでもお呼びください……ッ」


 緊張するなと言われて、リラックス出来る男爵家の人間がいるだろうか。いるわけがない。

 

「いきなりお呼び立てして、ごめんなさいね。実は、アストリーに頼まれたの」

「オールボート様に……?」


 話を振られたアストリーが、にこりと笑う。

 

「正確には、僕からの頼みではなく、僕の婚約者からの頼みなのだけどね」

「婚約者様……でしょうか?」


 はて、オールボート公爵令息に婚約者がいただろうか?

 

 高位貴族は幼い頃に婚約者が決まっていることは、さほど珍しくもない。

 幼い頃は邸から殆ど出ない貴族の令息令嬢であっても、高位貴族ともなれば縁者同士でそれなりに交流を持ったりすることもあるから、政略的な婚約も勿論あるが、交流の中で婚約関係が成立していくこともあるはずだ。

 

 だが、アストリー・オールボート公爵令息に婚約者がいるという話は、聞いたことがない。

 そういった情報は、きちんと学園に入学する前に学ぶものだ。万が一の間違いがないように。

 

 その間違いを引き起こそうとする、とんでもない下位貴族もいたりするけれど。

 それが実家であるとは、リィンも未だ信じたくはないが。


「まだ正式に発表はしていないのだけどね。彼女の兄上からも話を聞いたし、彼女自身からも君の助けになってくれと頼まれて」


 そこまで聞いて、リィンはふと気付く。

 

「ひょっとして……」

「ララ・ドリューウェット伯爵令嬢だよ」


 先ほど学園で別れたばかりのララの顔がリィンの脳裏に浮かんだのと、アストリーが答えを出すのはほぼ同時だった。

 

「ドリューウェット伯爵子息に、君の兄上からの相談の連絡があったそうでね」

「お恥ずかしい限りです……」


 学園時代に親しかったというララの兄に、兄アルベリクがあらかじめ何らかの連絡をしていたのは、ララが話しかけてくれた時から分かっていたが、どの程度の内容を伝えているかは分からない。

 

 ただ、こうやってお呼び出しにまで繋がるということは、少なからず内情についての相談をしているのは間違いなかった。

 つまり、ウィルコール男爵家の恥を晒しているに等しい。リィンは、いたたまれなくなって小さくなる。

 

 何もせずにリィンに全部投げっぱなしにしやがった!と、心の片隅で恨み節でも呟きたい気分になっていた兄に対しては、兄なりに対策取ろうとしてくれていたのだと、感謝と共に申し訳ない気持ちも過りはしたが。

 

「あぁ、そんなに恐縮しないで頂戴な、リィン。大丈夫、アストリーからもララ嬢からも、貴女はきちんとしたご令嬢だと聞いているわ」

「そんな……恐れ多いことで……」


 親しみを込めようとしているのが分かる口調で、ジョゼットが語りかけてくれる。

 

「もしかして、レディ・ウィルコールは姉君の行動によって罰則でも与えられるのではと怯えているのでは?」


 ジョゼットの言葉にも緊張を解けないリィンに、それまで黙って様子を見守っていたブラッドリー王子が軽く首を傾げながら尋ねた。

 

 はい、そのとおりです。

 そう答えたいところだが、まさか馬鹿正直に口に出すことも出来ず、リィンは視線を俯かせるに留めた。

 

 肯定をそれとなく無言で示すリィンに、笑いながら第一王子殿下が返した言葉は。

 

「特にあの程度では罰しないよ。想定内のことだったから」


 ……はい?

 

 予想だにしていなかった、気楽な口調でのお言葉だった。

 

 

 ***

 

 

「巷に流行している恋愛小説って、知っているかな?」


 ゆったりと椅子に腰掛け、隣に寄り添うル・ナン公爵令嬢を軽く抱き寄せるかのような仕種を見せたブラッドリー第一王子は、そう問い掛けながら微笑んだ。

 

 ただそれだけで圧倒されるような、異次元の優雅さがそこにはある。

 ブラッドリー王子の輝かんばかりの美貌もさることながら、隣に寄り添うル・ナン公爵令嬢の人外じみた美貌のせいもあるだろう。

 

 二人が仲睦まじく寄り添う様は、まるで完成されたひとつの絵画であるようにも見えた。

 

「もしかして……下位貴族や平民の娘が、王子殿下に見初められるといった類のものでしょう……か」


 第一王子殿下から直々に声をかけられるなど、生涯の中で有り得るとは思ってもいなかった。

 恐恐としながら答えたリィンに、ブラッドリー王子は「そう、それ」と優雅に微笑んだまま鷹揚に頷く。

 

 まともに正面から向き合って会話するだけでもこれほど緊張するのに、よくもまぁ小説の主人公は臆することなく王子さまと恋になんて落ちられたものだ、なんて思いながら。普通だったら、恋に落ちる前に恐縮しきって会話も成立しないに違いない。

 

 あぁ、でもそれを実現しようとしたのが、実の姉だった。

 そしてそれを唆したのが、実の父と母だった。

 

 何をどうやったら、そんなことが実現可能と思うのか。

 大体、これだけ仲睦まじい婚約者のル・ナン公爵令嬢がいて、これだけ美しく完成された二人であるのに、どうして割って入れるなんて思うのか。

 姉レリアも愛らしい方の令嬢であるとは思うけれど、そもそもの根底からして圧倒的に違うというのに。

 この圧倒的な高貴さと、洗練された優美な雰囲気は、男爵家ごときでは決して醸し出せるものではないというのに……ッ。

 

 身の程知らずにも程がある。

 

「小説にあてられた女子学生が、多少やらかすであろうことはあらかじめ予想されていたんだよ」

「それで……実際にやらかした女子学生というのは……?」

「君の姉君、一人だけだったけれどね」


 うわぁぁぁぁ。

 

 思わず頭を抱えそうになるのを必死で耐えて、リィンはますます俯く。

 それ以外、何が出来ただろう。恥ずかしすぎるし、情けなさすぎた。

 

 これが、まだ裕福な平民であるとか、小説にあるそういったパターンであればまだ良かったのかもしれない。

 だが、ウィルコール男爵家は、末端であるとは言え貴族だ。しかも歴史も中庸ではあるが、それはつまり新興貴族ではない、ということでもある。

 そこそこ歴史はあって、そこそこ家格もあって、けれど特筆すべきところはない。そういう、貴族なのだ。

 

 それなのに、父がああで、母もああで、姉はあれである。

 顔が上げられないのは、仕方ないだろう。余りにも恥ずかしくて、目の前の高貴な方々を見ることも出来ない。

 

「まぁ、そのような状況だから然程支障はないのだけれど、どうにもアストリーが聞いてきた話だと微妙なことがあってね」

「微妙なこと……でございますか?」


 それは、何だろう。恐る恐る顔を上げたリィンは、びくびくしながら王子の言葉の続きを待つ。

 

「その前に何故、レディ・ウィルコールは姉君とそこまで違うのか、教えてくれないかな?」

「姉と違う……と仰いますと……?」

「アストリーから聞いた限りでは、レディ・ウィルコールもまるで小説のような出会い方をしたようじゃないか」

「……あっ」


 言われて、思い出す。

 

 王子殿下に姉レリアが突撃をかまして不興を買い、戦々恐々とする中で考え事をしていたリィンは、確かにアストリー・オールボート公爵令息とまるで小説のような出会い方をした。

 彼がハンカチを落とし、それを拾って差し出す、という。何かどこぞの恋愛小説の冒頭にありそうな出会い方だった。

 

「けれど、君はその後は一度も僕に接触をしていないし、僕の話題を口に出したこともない」


 アストリーがブラッドリー王子の言葉を引き継ぐが、それはそうだろう、と思う。

 

 幾らシチュエーションが小説のような出会いであっても、現実的にはハンカチを落とした人と拾った人、ただそれだけだ。

 それを敢えて切欠にしようとは、普通は思わない。まともな貴族教育を受けていれば。それぐらいの身分差が、公爵家と男爵家の間にはある。

 

「そう、それ。レディ・ウィルコールは普通に身分差を理解している。それが当たり前だ。だが、姉君はどうにも理解していないらしい。同じ男爵家で、年子ならば殆ど同じ教育を受けているはずなのに、何故そこまで二人は違うのか、心当たりはあるかい?」


 あぁ、それならば、恐らくは。

 

 王子殿下の問い掛けに、リィンは思い付いたことを説明すべく、口を開いた。

 もしかしたら兄アルベリクは、ただ単にレリアを止めるだけではなく、これを打開するためにもこんな回りくどい形で対策を考慮したのかもしれない。などと思いながら。

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