第3話 学園生活、お呼び出しは予想外に

 馬車から降りて数歩のところで精神をがっつり消耗させられ、ぐったりとしたまま過ごした入学式から早三日。

 

「え……? 嘘でしょう、また?」

「らしいわよ。さっき、エヴァット侯爵令嬢が怒り心頭って感じだったもの」

「エヴァット侯爵令嬢ってことは……まさか、スペンサー侯爵令息に?」

「そうみたい。すぐ近くで足元がふらついたフリして、抱き着こうとしたとか何とか」


 幸か不幸か。

 姉レリアとはクラスが分かれ、監視は出来ないが精神を磨り減らす必要はないと思っていたリィンだったが、クラスが離れようが何しようがあの姉と血が繋がっている限りは厄介事はなくならず、それぐらいだったら監視出来た方がマシだったんじゃないかと、がっくりと項垂れていた。

 

「それで、エヴァット侯爵令嬢は……?」

「多分、貴女のお姉さまを呼び出されるつもりじゃないかしら。初日のことと言い、早めに注意しておくべきだもの」

「……注意されて、大人しくなってくれたら良いのだけれど……」

「流石に、侯爵令嬢から直々にお言葉頂いたら、大人しくなるんじゃない?」

「だと良い……けれど……」

「え、ちょっとリィン、消えてしまいそうよ? 大丈夫?」


 ずるずると机に突っ伏していくリィンを慌てて揺さぶろうとするのは、同じクラスになったララ・ドリューウェット。

 ドリューウェット伯爵家の次女でリィンとは身分に差がある上位の貴族だが、何やら彼女の兄が学園在籍中にリィンの兄アルベルクと親しかったそうで、その流れから声を掛けてくれて友人となった相手である。

 

 正直、ララが声を掛けてくれたことを、リィンは心の底から感謝している。

 姉の行動が異常すぎるせいで、初日から早くも他の令嬢からは避けられていたからだ。

 リィンが彼女らの立場であっても、あのようなことを仕出かすレリアの身内には関わりたくないと考えるだろうから、ご令嬢方を責められはしないけれど。

 

「昨夜、兄がたしなめようとしたらしいんだけど……」

「効果なかったみたいね」

「ええ……」


 初日の第一王子殿下に対する行動は、リィンから兄に報告されている。

 頭を抱えた兄アルベルクは、何とかレリアに言い聞かせようとしたのだが。

 

「まぁ、お兄さまはそんなデタラメを信じたのですか? わたくし、王子さまに無礼など働いておりません!」

「だが、殿下の目の前で転んで助けを求めたのは事実なのだろう?」

「足元がふらついてしまっただけですわ。リィンがわたくしを妬んで、話を悪いふうに言っているだけです」

「何でリィンがお前を妬むんだよ」

「わたくしが愛らしくて、お父さまからもお母さまからもリィンとは比べ物にならないぐらい愛されているからですわ!」


 レリアはそう言って、彼女を溺愛する父と母に泣き付いた。

 おかげさまでリィンは朝から両親に叱責される羽目になったし、登校中の馬車の中では延々と嫌味を垂れ流すレリアを、存在ごと無視するのに著しく労力を要した。

 

 流石にそこまでの内情を、知り合ったばかりのララに赤裸々に語る訳にはいかない。

 苦く笑っただけのリィンにそれなりに察してくれたララは、困ったように笑って返した。

 

「リィンにとっても、迷惑なことね」

「本当に……。周囲の目が痛いし、いずれわたしにも何か飛び火しそうで怖いし……」


 本来なら、速やかに両親に報告をして、両親から厳しく叱責の上、何らかの対応を取ってもらうのが筋だろう。

 だが、実態はその両親こそが姉の行動を唆す張本人。到底、言える訳がない。

 

 だから兄が何とかしようとしているのだけれど、昨夜の様子からすると何度も兄が口を出すと、リィンが両親から責められる可能性すらある。

 幼い頃から、たとえどんな理由であろうとレリアが泣いて訴えれば両親は必ずレリアの味方になり、リィンが叱られていた。

 兄が仲裁に入ろうとすれば、兄もやはり叱責の対象になっていた。今回は違う、というなんてことはないだろう。そもそも両親が言い始めたことなのだし。

 

 両親が頼れないのならば、他に誰か頼れる人がいないだろうか。

 

 さっさと兄が後を継いで当主になってしまえれば話は簡単なのだが、そうするには父に目に見える瑕疵かしがない。

 娘を唆している事実が明らかになれば十分瑕疵ではあるけれど、それを明らかにしてしまうと、後を継ぐ兄にとっての瑕疵にもなってしまう。

 

「出来るなら、ル・ナン公爵令嬢とエヴァット侯爵令嬢にお詫び申し上げたいのだけれど……」

「リィンからお詫びするの?」

「だって、レリアがお詫びするとは思えないんだもの」

「それはまぁ……そうでしょうけれど」


 せめて、リィンや兄アルベルクは申し訳ないと思っていることを、伝えられれば。

 

 リィンが第一王子殿下やスペンサー侯爵令息に、幾らお詫びの為とは言え話しかけることは出来ない。

 婚約者のいる異性に、みだりに声をかけることは非常にはしたない行為でもある。

 そんなことをしたら、ウィルコール男爵家の姉妹は、揃ってふしだらに高位貴族の子息漁りをしている、なんて言われ方をしてもおかしくない。

 

 けれど、令嬢同士であれば話は別だ。

 ただ、その場合はどうやって公爵令嬢や侯爵令嬢に恙無く話しかけられるか、その機会をどこで得るか、という話になるのだが。

 

「うぅぅ……どうしたら良いんだろう……」

「大変ねぇ……。何とかしてあげれれば良いのだけど」

「気にしないで、ララ。話を聞いてもらえるだけでも有難いから」


 頭を抱え、再び机の上に突っ伏していくリィンは、知らなかった。

 

 その悩みの一端が、授業が終わると同時に解決することになるなんて。

 それも、思わぬ人の手によって。

 

 

 ***

 

 

 学園の授業は、午後過ぎには終わる。

 そこから、学びを重視している者は追加で補講なり自習なりに励み、そうでもない者は社交に励み、もしくは家での教育に励むこととなる。

 

 一概に貴族であるとは言え、その立場によって学ぶことや優先すべきことは大きく異なるものだ。

 家を継ぐ者は、学園での授業に加えて領主として自領を学ぶ必要があるだろう。既に婚約者のいる令嬢などは、邸内での差配について学んだりする時間も必要だろう。

 その一方で社交を通じて結婚相手を探さなければならない者、広く交友を求めなければならない者、官僚としての採用試験に備え試験勉強に励まなければならない者など、家格だけではなく家内での立場によっても大きく変わってくる。

 だから、共通授業は最低限で短めとなっており、その後の空き時間はそれぞれに活用するようになっているのだ。

 

 リィンの場合、行なうべきは「社交を通じて結婚相手を探す」になるのだろう。

 ウィルコール男爵家を継ぐのは長男である兄アルベルクであるのは当然で、リィンの将来としては何処かに嫁ぐというのが最も現実的だ。

 婚約者がいる訳でもない現状、自らの将来の為に社交に精を出すのが正しいのは間違いない。

 

 だが、授業が終わったリィンはそのまま帰路に着くべく馬車止まりへと歩いていた。

 

 社交に励まなければならないのは、分かっている。

 ただ、入学式初日から姉レリアの行動により他の令嬢に遠巻きにされてしまった身では、茶会の誘いなどもある訳もない。

 

 ララが声をかけてくれて救われはしたが、暗雲の立ち込める学園生活の始まりなのは間違いなかった。

 

「あら? どうしたの、マティス?」


 とぼとぼと馬車止まりまで歩いたリィンが見付けた使用人は、送迎を担当してくれている御者の姿ではなく、リィンの侍従であるマティスだった。

 他家の使用人らも送迎の為に出迎える中、頭半分ほど抜け出しているように見える長身と、侍従と呼ぶには些か体格に恵まれすぎた窮屈そうなお仕着せが、やけに目立って見えた。

 

「お帰りなさいませ、お嬢様。本日は、お嬢様へお誘いがありまして。アルベルク様からの指示により、お迎えにあがりました」

「お誘い……どなたから?」


 他所行きの慇懃な態度を見せるマティスに、リィンは首を傾げた。

 悲しいことに、何処からかお誘いがかかる心当たりなど、さっぱりなかった。

 

「詳しくは、移動しながらご説明致します。お時間が差し迫っておりますので」


 そう言うとマティスは馬車へとリィンを誘導し、自らもまた馬車に乗り込むと御者台へと合図した。

 ゆっくりと、馬車が進み始める。


「レリアは良いの?」

「あの方には、お誘いは来ておりません。別途、改めてお迎えが行くでしょう」


 この三日間の学園への往復は、姉レリアと一緒だった。同じ家から同じ学園に通うのだから当然なのだろうが、レリアと一緒だと彼女の専属侍女と同乗しなければならないのがリィンは余り好きではなくて、久しぶりに落ち着いて乗れる馬車の車中にほぅと安堵の息を吐いた。

 

 ちなみにレリアには専属侍女と専属護衛がおり、学園への往復の際には二人とも同行している。侍女が同乗し、護衛は御者台にいるのだ。

 リィンには専属侍従としてマティスがついているが、彼は護衛も兼ねていた。

 何故、姉妹で待遇が違うのかと言えば、マティスがレリアのことを決して「お嬢様」とは呼ばないあたりでお察しである。

 

 両親から虐げられている、とは思わない。兄アルベルクもまた、同様に侍従のみだから。

 ただ単に、姉レリアだけが特別待遇である、というだけだ。

 

「それで、お誘いってどなたからなの?」

「それがですねぇ……お嬢様、驚かないでくれますか?」

「内容によるでしょう、そんなの」

「ですよねぇ……」


 周囲の目がなくなった車内で、マティスが早速、慇懃な侍従の仮面を脱ぎ捨てる。

 たまには、そのまま着け続けてくれても良いのだけれど。

 

「実はですねぇ……ル・ナン公爵令嬢からのお誘いなんです」

「…………は?」


 余りにも予想していなかった名前に、リィンはたっぷりと間を置いてから疑問符だけの答えを返した。

 

 ぽかん、と空いた口は淑女として落第点だろうが、この際無視して欲しい。

 日頃であれば注意のひとつぐらい飛ばしてきそうなマティスも、それについては何も言わずにゆるゆると首を振った。

 

「間違いなく、ル・ナン公爵令嬢からの正式なお誘いの手紙が届きました。配達してきた公爵家の使用人が急ぎだと言っていたので、旦那さまではなくアルベルクさまに指示を仰ぐことにしました」


 ぱかーんと口を開けたままのリィンを、流石に目に余ったのだろう、マティスが対面から手を伸ばして顎に手を当て、かこん、と口を閉じさせる。

 だが、リィンはそれに対する苦情すらも思い浮かばなかった。

 

 ジョゼット・ル・ナン公爵令嬢。

 今年の学園新入生の中で最も高貴な生まれの、ご令嬢である。

 

 王家にも近しい血の尊さを誇りながら、しかし王家に対する忠誠の篤い、貴族の鑑とも言われるル・ナン公爵家の次女。

 第一王子の婚約者として幼い頃から定められ、その待遇は王女のいない現王家にとってそれに近しいものですらあると言われる。

 

 そう、第一王子の婚約者なのだ。ジョゼット・ル・ナン公爵令嬢は。

 あの姉レリアが、入学式初日に運命の出会いを果たそうとし、ものの見事に失敗して不興を買った、あの第一王子の。

 

 かなうことなら、ル・ナン公爵令嬢に何らかの形で接触し、姉の行動に次期当主の兄アルベルクと妹であるリィンは何ら関与していないのだと理解してもらいたい、とは兄と話していたけれど。

 何とかその機会を得られないかと、リィンも必死で頭を悩ませていたけれど。

 

 まさか、当の本人からお呼び出しが掛かるだなんて。

 

「え……もしかして、レリアの件で何かしらお叱りがある、とか……?」

「あの方の件なら、当人呼び出すんじゃないんですか?」

「でも、ル・ナン公爵令嬢に呼び出される心当たりなんて、他にないわよ!?」

「まぁ、そりゃそうなんですけど」


 末端貴族にしか過ぎないウィルコール男爵家の人間が、王国貴族の最上位に君臨するル・ナン公爵家の令嬢から呼び出される。

 しかも、姉はほんの三日前に盛大にやらかし、今日もまた上位貴族への無礼と共に、エヴァット侯爵令嬢からのかなりの不興を買っている。

 

 それの意味するところが喜ばしいこととは、微塵も思えない。

 けれど、顔面を蒼白にしたリィンを乗せた馬車は歩みを緩めることもなく、がたことと音を立てながら容赦なくル・ナン公爵家へと続く道のりを歩み続けるのだった。

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