2.
時は遡ること、数日前。それは秋も半ばの至極晴れ渡った日のことだ。
西暦2×××年、
ここ、からくり城下はこの国・日本国の中心地だ。その為、たくさんの人が集まっては去って行き、また集まり。国内一華がある土地である。
そんなからくり城下は、碁盤の目状に整備されていて、大通りの表には呉服屋に菓子屋、薬種問屋といった大店が並び、その裏側――、大店に隠れているおかげで陽の当たりにくい場所には、質素な作りの長屋がずらりと並んでいる。
そんな長屋の一つに向かって、ばたばたと慌ただしい音が鳴り響いており――。
「ていへんだ、ていへんだ!」
がらりと開かれた戸の先で――、キリッとした眉の下に淀みのない瞳をした少年・リツキは、
「どうしたんだ、
茶碗と箸を手にしたまま、くるりとそちらを振り返る。七五郎はずかずかと六畳間と手狭な家中に上がり込むと、ばんっ! と、畳を掌で強く叩いた。
「のんきに飯なんか食ってる場合じゃないぞ。あの奇天烈薬種問屋が騒ぎになってるんだ。なんでもそこの店で薬を買った客達が、インチキ薬を売りつけられたとかで。それで問屋の旦那を襲っているらしい」
「なにっ、そいつは大変だ!」
リツキは茶碗の中に残っていた白米を一気にかき込み、ついでに沢庵も、ひょいひょいと器用に箸で摘んで口の中へと放り込んだ。
「ごちそうさま! 行くぞ、犬丸!」
リツキは傍らでだし巻き卵に噛り付いていた犬丸へと声をかける。犬丸は、まだ食べかけのだし巻き卵をちらりと眺め、名残惜しげな顔をしたもののリツキの後へと続いた。
だが。
「もう。朝食くらい、ゆっくり食べたいよ。まだ食べ終わってないのにさー」
「んなこと言うなって。飯は帰ってから食べれば良いだろう。事件は待ってはくれないんだから」
ぶつぶつと文句を溢す犬丸をリツキはなだめ、二人は颯爽と町中を駆けて行く。
からくり城下は、たくさんの人で溢れていて大変活気が良い。が。人がたくさんいるということは、色んな人間が集まりやすく、その分、自然とトラブルも増えてしまうものである。
そんな町人達の揉めごとを取り仕切っているのが町奉行なのだが……。こんなご時世、町奉行の役人だけでは手に負えず。そんな人手不足を補う為発足されたのが、罪人改め方である。
罪人改め方は忙しい奉行所の役人達の代わりであり、捜査権を持ち、罪人を捕縛できるが裁く権利までは持ち合わせてはいない。つまりは役人達の手であり足であり、体力仕事の雑用係とも言える。そんな罪人改め方に、この少年・リツキも籍を置いている。
リツキ達は横丁に位置している問題の薬種問屋の前に来ると、今にも一人の男へ襲いかかろうとしている三人組へと向かって行き、
「待て、待て、待てーい! くらえ、八方剣草隠れ!」
リツキは懐から出した、白くて丸い塊――卵を、三人組に向かって投げ付ける。卵が一人の胸元に当たるや、ぱんっ! と盛大に破裂し、中から粉末が弾け飛んだ。その微細な粉は、残りの二人の目の中へも見事に入り、
「ぎゃあー!? 目が、目がーっ!?」
「っと、一丁上がり! 何があったかは知らねえが、暴力はいけねえなあ。詳しい話は奉行所の方でしてもらうからな」
リツキは両手で目を押さえ込んでいる男達を次々に縄で縛り上げていく。
それを終えると、すっかり腰を抜かしていた四角い顔をした男の方を向いた。
「さてと。そんじゃあ、そちらの旦那さんも同行してもらいますよ」
「なぜ私まで行かねばならんのだ! こっちは被害者だぞ」
「何を白々しい! 効きもしない偽薬を俺達に売りつけやがって」
「そうだ、そうだ! いくら飲んでも、全然髪が生えてこなかったぞ。金を返せ!」
「騒ぎの原因って、まさか……」
(毛生え薬か――!)
リツキは思わず縄をかけた罪人達の頭部へと目を向ける。三人とも揃って頭頂部がつるっと光っていた。
「おい、改め方。そやつ等をさっさと奉行所へ連れて行け!」
「もちろん連れて行きますが、あなたにも非があるように思います。なので、ご同行願います」
「なんて無礼なやつだ! この私が罪人だと? そやつ等は金惜しさに薬が効かぬなどと難癖を付けているだけだろう。ウチの薬はよく効くんだ。そのおかげで、あやつ等のハゲはあの程度で済んでいるんだ。
大体、改め方風情が私に命令するな。そんなに私を引っ張りたいなら、きちんと書面を揃えてからにしろ」
確かに効果のない薬か、それをすぐに判断するのは難しい。だが、もし罪人達の話が本当ならば、詐欺を働いた薬種問屋の旦那もまた歴とした罪人だ。
リツキは一筋縄ではいかなそうだと思案顔をさせるが、その刹那。
「何を騒いでおる」
凛とした声が、その場の喧騒さを一瞬の内に鎮めさせた。凍り付いたかのように、その場はぴたりと静止する。
数秒の間を空けさせてから、真っ先に動き出したのは薬種問屋の旦那であった。
「い、
なぜあなた様のようなお方が、このような所にっ……!?」
「なに、偶然通りかかったのだ」
井出のご当主と呼ばれた男――、井出
三右衛門は、真っすぐに薬種問屋を見つめ、
「毛生え薬とは、なかなか興味深い。そんなに効き目がある薬なら私も一ついただこうか」
三右衛門がそう告げると、薬種問屋の顔はますます蒼褪めていく。そして、とうとう、がばりと額を地面に擦り付けた。
「申し訳ありませんでした、井出様!」
「なぜ私に謝るのだ」
「それは、その……」
「謝る相手を間違えてはいないか? 私は貴公から謝られるようなことはされていないぞ。詳しい話は奉行所の方でするように。包み隠さずに、全てな。
それから、そこの者。あとで私の元に来るが良い。褒美をやろう」
そう言い残すと、井出の一団はぞろぞろとその場から去って行く。
その後ろ姿を、薬種問屋につられてつい頭を下げていた町人達も、ゆっくりと顔を上げて見送った。
「へえ、井出のご当主様自ら褒美をくださるなんて。すごいな、リツキ!」
「ああ、なんて光栄なんだ。やったな!」
三右衛門の姿が見えなくなると、周囲からは賞賛の声が、やんや、やんやと上がり出す。
「それにしても。井出様は本当にご立派な方だ」
「ああ。井出様のおかげで、俺達は毎日安心して暮らせているんだ。特に井出様が整備してくださった街灯! まるで昼間みたいに明るいから、夜でも安心して出歩くことができるようになったからな」
「それも便利だが、井出様と言えば、やっぱりテレビだろう。遠くの国の出来事も手に取るように分かるようになったからな。井出様がいる限り、この国は安泰だ」
「けど、井出様と言えば。次期当主様は全然姿をお見せにならないよな。良い年頃になられたと思うに」
町人の一人の言葉に、リツキはぎくりと胸を鳴らした。どぎまぎと己の意思とは無関係に早まる鼓動をどうにか抑え付けようと努める。
が、そんな様子のリツキに、町の人々は全く気に留めてはいない。
「次期当主様なら、すっごく病弱で。布団からも出れず、一日中寝込んでるって噂だぞ」
「俺はすごく問題児な上、手に負えない暴れ者で。だから表舞台に立たせてもらえないって聞いたけどなあ」
「私はとっても信心深いお方で、どこかのお寺で修行なされてると聞いたけどねえ」
町人達は語り出す。噂話は人の数だけあるようで、俺は、私はと、なんともバリエーションに富んでいる。
すっかり井出の次期当主様とやらの話題で盛り上がっている町人とは反対に、リツキの額から……、いや、全身から、だらだらと大量の汗が吹き出していた。
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