第一帖:拝啓ご先祖さま
1.
ずらりと大店が立ち並んでいる大通りを往来している群衆の中から、突然、
「きゃーっ!」
と甲高い悲鳴が起こった。続いて、
「誰か、スリよー! 捕まえてちょうだーい!!」
きゃあきゃあと悲鳴を上げ続けている女性の元から、どたどたと慌ただしく逃げ出す二つの怪しい黒い影。誰もがその影を――、二人の男を目で追った。
そんな騒然としている中、
「おっと。なんだ、なんだ。事件発生か?」
黒の半切れ半纏に黒股引と全身を黒で固めた上にかまわぬ柄の羽織を身に着けた、まだ薄っすらと幼さの残る顔立ちをした少年は、ぴたりと足を止めると袂の中へ右手を突っ込む。何かを――、鉢金を手にすると、ぐるりと額へと巻き着けた。
それから、キリッと締まった眉の下、いたずらっぽく、にっと白い歯を覗かせる。
「このからくり城下で悪事を働くなんざ、そうは問屋が卸さないぜ――!」
瞬間。
少年が履いている草鞋の裏から空気の圧が噴出し、ぴょーんと高く、少年は真横に位置していた建物の屋根の上へと飛び移った。そのまますたすたと器用にも瓦の上を駆けて行く。
そうして先回りすると、少年は男達の前へと躍り出る。腰元に付けられていた長十手を手にすると、それを額の上方へと垂直にかざした。
「盗人達よ、観念しな。この罪人改め方・リツキ様から逃げられると思っているなら、砂糖菓子より甘いなあ。さあ、おとなしくお縄につくんだな」
「なんだ、脅かしやがって。まだガキじゃねえか」
男の一人がふんと鼻で笑うと、胸元から一丁の小刀を取り出した。手元が陽の光を受け、きらりと怪しい瞬きを放つ。
その鋭い光に、リツキは一つ溜息を溢す。
「はあ。おとなしくお縄につけばいいものを」
仕方がないという顔をそのままに、リツキは足を逆八の字に大きく踏み開く。後ろ膝を深く曲げ、前に伸ばした足の膝をよく伸ばして胸を張って、小刀を前に突進して来る男を鋭く見据え――。
カキンッ――! と、甲高い音が空いっぱいに響き渡る。続け様に繰り出される太刀を、リツキは右へ、左へ打ち払う。次第に間合いを詰めていくが、男が大きく突き出した刃が真っすぐにリツキの顔面へと迫り、
「げっ!?」
その手前、リツキはどうにか上半身を捻り、咄嗟に突き出した十手の清目で刃を滑らせ流れを変える。
大きく弾くと、十手の先端――宵の明星で相手の肩先を刺突し、手の内に付いている小さなボタンを押す。すると十手の先から、びりっと閃光が放たれ、男の口から、
「うぎゃあっ!?」
と奇妙な音が漏れた。
「っと、危ない、危ない。こんな時は、ピリッと一発電気ショック! 肩こりには最適……かなあ?」
リツキは得意気に、懐中から取り出した縄を手早く男の肢体に回していく。
「よし、まずは一人。一丁上がり!
お次は……っと」
リツキの瞳が、もう一人の男を捉える。すると片割れの男は、一匹の中型の白い犬に、着物の裾を口で咥えられ足止めさせていた。
「リツキぃ、早くぅ……!」
白犬はぐいと眉間に皺を寄せ、リツキに向かって苦しげな声を上げる。けれど、白犬の努力もむなしく、男は必死の抵抗によって、するりとその刃からすり抜けた。
自由の身となった男は、リツキから視線を外し、
「くそっ、こうなったら……!」
「あっ、そっちは……。ばかっ、そっちにだけは行くな!」
男はリツキの忠告を無視して目敏くも見物人の一人であった、か弱そうな少女に向かって手を伸ばした。
が。
その手が少女へと届く前に、男はまるで見えない透明の壁のような物に盛大にぶつかった。痛みで大きく歪んだ顔をそのままに、へにょへにょと地面へと突っ伏す。
男を見つめる少女の瞳は、ひどく冷やややか氷のような物へと変わっており、
「人間如きが、汚らわしい手でわらわに触れるでない!」
少女の薄紅色の唇から怒声が発せられた。
すっかり不機嫌な顔をさせた少女の元へ、リツキは駆け寄り、
「だから言ったのに……」
すっかり地面とお友達になっている男に向かって、「ご愁傷様」と呆れ顔で呟いた。
「リツキ。このような低俗な輩、生かしておいても価値がないであろう。わらわが滅ぼしてやっても良いぞ」
「だから、やめろって。どうしてお前はこうも物騒なんだよ。
翠乃と呼ばれた少女――、見た目は齢十歳くらいの、漆黒の長い髪を頭の高い位置で一つに結わえた少女は、つんとつり上がり気味の瞳を細めさせる。
ふいとそっぽを向く翠乃の傍らから、今度は先程の白犬・
「ごめんね、リツキ。犯人を逃しちゃって」
「なあに、こうして縄にかけられたんだ。気にするなって」
リツキはがしがしと犬丸の頭を撫でてやる。すると犬丸は元気が出たのか、ふりふりと尻尾を大きく振った。
「リツキ、じゃれてなどおらんで、早うこの罪人どもを奉行所に引き渡しに行かぬか。琥珀糖を買いに行く途中なのを忘れたのか」
「はい、はい。言われなくても分かってるって」
翠乃に急き立てられ、リツキは罪人の縄を手に取ると奉行所目指して歩き出す。
その道中、一連の捕り物劇を観劇していた町人達が、パチパチと拍手の音を響かせた。
「やったな、リツキ!」
「よっ! さすが、からくり城下一の捕り方だ」
「リツキがいれば、この国も安泰だな」
あちこちから飛び交う称賛の声に、リツキはすっかり得意だ。へらへらと締まりのない笑みを振りまいて歩く。
が。
(安泰、か。安泰だと良いんだけどなあ……)
リツキは困惑顔をどうにか作り笑いで取り繕って、ちらりと隣を歩いている仏頂面の少女を憂いのこもった横目で見つめた。
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