第78話 交換条件(1)

 水難事件当日、

信重は母には顛末をありのまま話した。


 「来月には殿が岐阜へ戻られる。

此度の長良川の件では、殿は、若殿はじめ、仙千代や三郎にも、

何らかの御沙汰を下されるやもしれませぬ」


 「はい」


 「若殿はとりなしを望んでおられるのでしょう?」


 「私の味方で居ていただきたいということなのです」


 「私が若殿の味方でなかったことは過去一度もありませぬ」


 「存じております。感謝この上もございません」


 二人は天守の茶室に居た。母が茶を点ててくれている。


 「最も恐れているのは廃嫡なのです」


 「となれば、仙千代や三郎は誅殺でございましょう」


 「はい……」


 廃嫡となれば信重は弟達のように養子へ出され、

他家で大名となる。しかし命はある。

 仙千代達には死が待っていた。


 「困りましたね」


 「困りました」


 「若殿が希望される決着点はどの辺りなのです」


 「現状どおり」


 「それはまた……」


 「希望は高く、で、ございます」


 「確かに」


 ここで茶が点てられたので信重は向きをいったん変え、


 「御手前頂戴致します」


 と言い、黄瀬戸の茶碗の正面を外し、一口づつしっかり飲み、

最後、茶碗を拝見し、置いた。


 「一服されて、少しは落ち着かれましたか」


 「……あまり」


 正直なところを告げると笑われた。


 「若殿の左様なところが好ましい。御人柄が素晴らしい」


 鷺山殿は、

一寺小姓の身から一国を盗った斎藤道三の娘にして、

「いずれ美濃が尾張を呑み込む」と背を押され、

今の信重の年齢で、虚けと呼ばれた信長に、

三度目の婚姻で嫁いできた人だった。

一人目は幼い相手が病死、二人目は道三が毒殺、

三人目が信長だった。

やがて、父と弟二人は兄に殺され、

道三の遺言を守る形で信長が岐阜城を奪い返した。

 はかりごとで名を馳せた斎藤道三の愛娘、

鷺山殿が過度に優しい時は要注意だと信重は知っていた。


 「母上様」


 「はい?」


 「御芝居は結構です故、本題をどうぞ」


 「賢くていらっしゃる。そこが尚、好ましい」


 ここで母は切り替え、真顔になった。


 「殿から若殿の初陣は夏だとお聞きしております。

若殿もそれは御存知」


 「はい。左様に聞き及んでおります」


 「若殿は元服の時、御添い臥しをお断りになられた」


 ああ、そう来たか、そこかと信重は次を読んだ。

つまり信重の手伝いをする条件が、

前回断った添い臥しをせよということだった。

 

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