第22話 鯏浦(3)

 万見家はかつて存在した織田家最南端の城、

鯏浦うぐいうら城に極めて近く、この辺りの眺めを亡き弟、

鯏浦城主であった信興も見ていたかと思うと、

信長の脳裏に、援軍も無く若くして自刃に果てた弟の姿が浮かび、

何とも言えぬ感傷が湧いた。

 

 年齢が離れていたこともあり、

思えば、兄、信長の意志でのみ生きた生涯で、口数が少なく、

ひたすらに従順な弟だった。

 最後、八十柱という殉死者があったことからしても、

信興の人柄が偲ばれ、

弟を孤立させざるを得なかった原因を作りせしめた浅井、

三好三人衆、荒木、比叡山延暦寺、そして直接の仇、

長島一揆衆は百世を経ても許しはできない怨敵だった。


 万見家は海から一里ほど内陸の地にあって、

塩害の影響があるであろうに、庭には実の成る木が多く植えられ、

敷地の一画も相当な広さの畑となっていて、

一家の質素な暮らしぶりが推し量られた。

 二間ふたま城で仙千代の父と会う前に、

他の織田家臣から聞いた話として、

万見家当主は温厚篤実で虚飾のない人物ということだった。

邸宅も人柄を表し、相当な年数を経ているものの、

よく手入れがされていた。

 

 万見家の女子おなご達は、

末の女児を除けば垂髪を背の中央で束ねており、

日ごろ、家事に携わる暮らしをしていることが見て取れた。

 当然ではあるが、養母なる人をはじめ、姉妹全員が、

言葉、所作物腰、一切に於いて仙千代より身を低くしていて、

仙千代がけして不幸な境遇ではなかったことが伝わってくる。


 信長は仙千代を岐阜城へ出仕させることを、

こちらへ来る前、万見家当主に二間城で伝えた。

 噂に聞く通り、穏やかな物腰の聡明そうな男で、

共に暮らすと似るものか、仙千代とよく似た雰囲気があり、

何処がと言われれば、何とも言えない清潔感だった。


 もちろん、承諾され、

勿体なくも大変名誉なことだと返事があった。

 しかし、表情に微かな翳りを見付け、信長が問うと、

仙千代は少々変わったところがあって、

集中力は親から見てさえ優れているが、

熱中すると他が見えなくなってしまい、結果、

周囲に心配をかけることが間々あって、

本人も長じるに従ってそれを気にしており、

当たり前のこと、

文武の二道に達者であることが最良ではあるが、

武門の道に行かせるか、文事の道に行かせるか、

適性に悩むところがあるということで、

そのような仙千代が周囲に迷惑をかけず

つつがなく小姓の勤めが可能か否か、悩むという話なのだった。

 

 有体に言って、半ば、断られかけているという印象を、

信長は抱いた。


 息子を売り込んで小姓に押し込もうとする親も居る中で、

この父親は正直な男で、同時、息子への深い愛が感じられた。

けして名家とはいえないにせよ、代々続いた武門の家で、

わざわざ迎えた養子の男子の適性を慮り、進ませるべき道に悩み、

果たして出仕させても良いのかと迷う、

その親心は真の情けに裏打ちされていた。


 信長は、仙千代をけして不幸せにはすまい、

この手で幸せに……と思っていたが、

仙千代が既に十分幸せであると思い、一度は、

やはりこのまま万見家に居る方が……とも、考えた。

 だが、それは一瞬で、仙千代の姿が脳裏に浮かぶと、

たちまち独占欲、いや、尚はっきり言うのなら、

愛欲が押し寄せてきて、信長は、

最低でも仙千代が十三才になる数か月先までは嫡男の小姓とし、

当代一流の師範に付けて文武を学ばせ、

その頃に本人の意志を確かめ、

ふたたび進路を決めさせようという提案をした。

 

 言うなれば、仙千代を、

兎にも角にも手元に置きたいが為の方便だった。

だが、すべてが嘘というわけではなく、

もし仙千代が望まないのであれば、無理矢理な所業をする気も、

もちろん、なかった。

 仙千代をこの手で幸せにしたい、

自分なら他の誰よりもそれが可能なのだという自負、

信長の中では愛と欲が渦巻いて、

結局、最後は思うがままに事を運んだ。

 このようなやり取り自体、通常なら有り得ない話で、

仙千代の父としては、

信長にそれ以上の何かを言えるものではなかった。

 

 信長は、

仙千代は何も用意はせずとも身ひとつで来れば良いこと、

そして無理せず養生をして脚を大切にせよと伝え、

後日、その方面に優れた医師を差し向けるとも足した。

 仙千代の父はしきりに恐縮したが、


 「礼なら、明朗活発なあの息子に言ってやれ。

あのような者は皆の和の要となる役割がある」


 と締め、会見は終わった。最後は少し嘘が混じった。

仙千代は慎ましい性格で、

自ら前に出る質ではなく見受けられた。

とはいえ、そうとでも言わなければ、

篤実を絵にしたようなあの男が、

信長の過分とも言える申し出を安易に受け取るとも思われなかった。






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