第19話 睦月(3)

 古代から凧は、敵陣との距離を測るための測量器、

のろし代わりの通信手段としてなど、

様々な用途で使われ、形状、素材の発展を遂げてきた。

 戦国の世では、武士階級の男子の遊びとして定着し、

仙千代も冬にはしょちゅう凧揚げをした。


 仙千代は今日も、

近所の彦七郎、彦八郎といういつもの三人組で、

凧をいかに高く長く揚げるか、

水稲を狩り終わった後の田んぼを走り回っていた。

 

 平坦地が何処までも続く尾州の冬の伊吹おろしは強烈で、

時に砂混じりの風が吹こうものなら目も開けていられない。

風の強さに、つい、皆が大きな声になる。


 劣勢の彦七郎が仙千代に言い掛かりをつけてきた。


 「仙、おみゃー、儂の凧にわざと当てやーしたな!卑怯千万」


 「わざと当てるのもわざ!」


 「何だぁ、憎々しい!よう口が減らん」


 「口が減ったらお化けだがね!」


 「ああ、憎い!今日こそ負けん!」


 夢中になって、尾張弁になる。

 彦七郎は凧を気流に乗せるための瞬発力は抜群なのだが、

凧の造りそのものが大味で、総じて成績が振るわない。

 弟の彦八郎は如才なさが凧揚げにもよく表れていて、

凧をそこそこ丁寧に造り、風を読み、安定して良い結果を出す。

 年少の仙千代は二人より小柄なだけに何かと分が悪く、

そこを補うために凧そのものを熱心に工夫していて、

足を長くしてみたり、紙の材質を変えてみたり、

油を塗り込んで風への抵抗を加減してみたり、

つまり根気と努力で彦八郎と好結果を競い合っていた。


 たかが凧揚げとはいえ、白熱して遊び、

今日は珍しく彦七郎が勝ち、一区切りついたところで、

仙千代が帰ると告げた。


 「まだ早いに。もうちょっびっとやろみゃあ」


 と、彦七郎。勝ったので気を良くしている。


 「今から屋根修理なんじゃ。

この間の大雨で天井に染みが出た」


 「万見様は今日も臥せっとるんか」


 「今朝は何とか出仕した」


 「仙千代に屋根が直せるとも思えんが」


 「父上の居ぬ間に兵太達と」


 兵太というのは万見家で数代続いて働いている下男一家の

長男で、彦七郎と似た年齢だった。


 「ほんならええな。ああ、儂らも加勢するわ」


 「おぅ、行くわ。体力がまだ有り余っとる」


 二人の申し出は本当に有り難かった。


 「雨漏りの原因が見付かったら応援頼むわ。ぜひ!」


 「そうか。じゃ、その時は必ず言やーよ」


 「日当、高いに!」


 気の良い二人と別れ、仙千代は冬の田園風景の中、

家に向かい、近道の畔を歩いた。

 海から潮の香り、潮騒が運ばれてくる。

いつもは静かな伊勢湾とはいえ、

風の強い今日のような日は波音が響く。

 この後、時雨でも降るのか、青空の所々に黒い雲があった。

 

 兵太とその弟の兵次は先に取り掛かっていて、

梯子と、何故か鋤や鍬まで持ち出している。


 「凧揚げ、首尾は?」


 喧嘩凧が大好きな兵太が訊いた。

小さな時は兵太や兵次も共に遊んだ。


 「彦七郎が勝った」


 「珍しいことがあるもんじゃ」


 三人で笑った後、直ぐ、作業に入った。

母や姉は仙千代が高所へ上がることに良い顔をしなかったが、

そこで機嫌を取っていたら脚の悪い父が無理をするに決まっている。

また兵太達の父親は去年、亡くなっていた。

この家で若い男子といえばこの三人なのだった。


 最も年少で体重が軽い仙千代が梯子を使い、屋根に上がった。

屋根は板葺きで、数年前に葺き替えてあったが、

風雪で傷みが出ていた。

 室内の雨漏り箇所から想像し、そこへ這うように行くと、

板がずれていて、何やら齧られた痕跡まである。


 「鋤でも鍬でも貸してくれ」


 仙千代が下に居る兵太達に言うと、

母、姉、妹が心配そうにこちらを見上げている。


 「仙千代殿、御無理なさらず!」


 母が声を掛けてきた。


 「大丈夫でござる!」


 齧られた痕を鋤の先で突くと、

目にも止まらぬ速さで鼠が飛び出してきて、

一部は仙千代に向き、突進してくる。


 仙千代が叫ぶ。


 「あーっ!」


 鼠の尻尾が大嫌いだった。

質感、形状、動き、思わず顔が歪んで大声が出る。

 それでも齧られた板の奥に鋤の取っ手をグイグイ押し込み、

ほぼ、鼠は退散させた。


 「やけに鼠が天井裏を走ると思ったら一族で住んでおった!」


 仙千代が兵太達に言うと、


 「そやつらが穴を空けたんじゃなあ」


 と呆れた。


 母や姉妹に、


 「さぁ、母上達は冷えます故、部屋にお戻りください」


 と言うと、女子おなごしは口々に、

くれぐれも気を付けるよう仙千代に言い、屋内へ戻った。

庭に居られても、実際、猫の手以下でしかない。


 庭は桜、柿、栗、桃、杏などの木が植えられていて、

平屋の屋根から敷地の外はほとんど見えない。


 突然、兵太が、


 「仙様!仙様!」


 と、叫ぶ。

仙千代はいったん降りようと、梯子の途中に居た。


 何やら人や馬の姿が見え隠れし、集団が屋敷の前に居て、

よくよく見ると、見知った顔も居る。

 年の瀬に儀長城で餅つきがあった時、

謁見の間の前に詰めていた若侍で、岐阜の殿の近習だった。


 何だろう、殿様も居られるのだろうか……

 鷹狩りにでも足を伸ばされたのか……


 この辺りは平坦地で、罠を多彩に仕掛けたり、

見晴らしが良く鷹も獲物が狙いやすいため、

よく鷹狩りに利用されていた。

 とはいえ、美濃にも鷹狩りの絶好地はある。


 仙千代が木の向こうに首を伸ばすと信長の姿があった。

 屋敷の前で馬を降り、こちらへ近付いてくる。

少しばかり慌てたような様子で、足早だった。





 


 


 


 


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