第18話 睦月(2)

 「観音様の功徳じゃなあ。

仙が転んで、たまたま見ていた殿様の御家来が心配して、

声をかけようとしてくださり、

勘違いした仙千代が恐がって逃げた結果、

殿様が心遣いを見せてくださり、餅をたくさん頂戴し、

まこと、夢のようで、有り難い。

殿様に拝謁が叶うとは、一生の思い出じゃ」


 「また仙が殿様に、

同行の友が居ると言ったというのが気が利く。

いい加減、餅をつき過ぎて、そろそろバテそうだった。

助かったわ」


 彦七郎、彦八郎は、観音様に参ると言った仙千代に、

呆れたような反応だったのに、評価が一変している。


 「それにしても竹丸、ずいぶん変わったなあ」


 「うむ。大人に見えた。仙千代もそう見たか?」


 「ますますしっかりして、一才違いとは思われなかった。

でも、やっぱり親切にしてくれる」


 「仙は竹の気に入りだからな、ずっと。

一人っ子はそこだけは気の毒じゃ。家で遊ぶ相手も無し。

我が家など男子が八人、女子おなごは一人。

養子に行きたいわ、竹丸の家に」


 「それはそうとて竹は仙を弟のように可愛がっておった故、

久々に会えて嬉しかったであろうな」


 「うん、儂も嬉しかった。懐かしかった」


 「皆、良い年の瀬になったな!」


 彦七郎に、年少の二人は大きく首を縦にした。


 しかし、奇妙丸との楽しかった思い出は麻薬のようなもので、

睦月に入り、しばらくは同じ場面を記憶から幾度も取り出し、

反芻しては味わって、それで済んでいたのが、

やがて、次の出逢いを求める心が強くなり、

どうすればまた会えるのか、日々、考えあぐねた。


 謁見の間で、仙千代に最後、

微笑んでくれた時の柔らかな眼差しが忘れられない。

笑顔を向けられ、嬉しさで意味なく頷き、

ちょっと恥ずかしくなって両手で餅をぱくっと食べた。

すると奇妙丸はいっそう優し気な表情を向けてくれ、

ますます強く心に刻まれてしまった。


 父子の間に何か緊張があるのか、奇妙丸は信長の前では

仙千代と居た時と別人のように仏頂面で、

奇妙丸と仙千代は既に会っていたのに、

奇妙丸は初対面だと言った。仙千代も同じ答えを信長に返した。

特に深い理由はなく、さほど何か巡らせたわけでもなく、

単に奇妙丸に合わせただけだった。

あの穏やかな奇妙丸が不機嫌そうで、嘘をつくのだから、

よほど何かあるのだろうと考えるでもなく考え、

仙千代も初めて会ったと言ってしまったのだった。


 奇妙丸様は若殿で、お会いする術がない……

 竹丸のように城で働けば御姿を見ることができる……

 御小姓になれば御傍に行かれる……

 なれど、御小姓になる道が分からない……

 竹丸は、物覚えが良く書に秀でていると、

殿や橋本様の前で誉めていたけど、

そんな者はあちこちに大勢居る……


 万一、何かの縁で、

御小姓となって城へ上がる道が拓けたとして、

この家を今、

後にすることが可能な情況であるのかどうか実は不明だった。


 父は若い頃、

桶狭間の合戦で骨まで達する大きな怪我を脚に負い、

去年の秋あたりから強く痛む日があるようで、

時に痛みが収まらないと勤めを休み、

家で数日、静養することが間々あった。

 医師の診立てでは古傷が悪さをしていて、

脚を庇って不自然な歩行をしていると腰や背中など、

他にも影響を与えかねず、よく静養するようにと言い、

生薬を処方し、今後続けて飲むようにということだった。

 

 十二才の仙千代は、父の容態を見ていると、

万見家の男子として父を助け、

母や姉妹を護らなければならないと思う。

 かといって、何をどうすれば助けることになるのか、

それすら仙千代には分からない。


 子供心に漠然とした不安があった。

父の体調が尚、悪化することでもあれば、

この家はどうなってしまうのか。

二間城ふたまじょうでの父の勤めを若輩である今の仙千代が

代わりにできるとも思われず、縁戚を頼り、援助を受けるのか。

 最も年長の姉は既に嫁したが、

この後、その下の姉二人の祝言が控えていて、

そちらがまた物入りだとちらっと耳に入ってもいる。

早く大人になって、父をはじめ、家族皆の役に立ちたかった。

 

 今の自分を見ると、金食い虫の馬術を習わせてもらい、

姉や妹は一部屋に居るのに、

仙千代だけ南向きの父に次ぐ大きな部屋を与えられ、

すべてに於いて優遇されていて、

罪悪感というのではないが、

皆の期待や愛情にどのように応えてゆけば良いのか、

具体的な道を見付けられず、焦燥を抱く。

 寺小姓になるか、一生部屋住みか、

そんな境遇から救ってくれた万見家に恩を返すことは

朝に陽が上がり夕べには沈む、

自然の道理とまったく変わらぬことだと仙千代は考えていた。

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