第14話 謁見の間(1)

 父、信長と用もなく同室に居ることが苦痛だった奇妙丸は、

三宅川畔で見も知らぬ童子としばし唐土もろこしの天空図、

星官せいかんの話をしたりして時を過ごしていたが、

案の定、直ぐに近習達に見付かってしまい、結局、城内へ帰された。

 それでも父の居場所へ直行する気になれず、

餅つきの様子を眺めるともなく眺め、

知った顔が居れば多少話したりして、ようやく謁見の間に戻った。


 先ほど別れたばかりのギンナン坊主が何故か居た。

奇妙丸を認めると、はじめ、大きく目を見開いて驚愕し、

激しい瞬きを繰り返したかと思うと、

次にはその瞳にはっきりと喜びの色が浮かんで、

奇妙丸も思わず声を掛けそうになった。

 しかし、言葉を飲み込み、何も話し掛けなかった。

共に居て、不思議な安らぎを覚えたギンナンだったが、

腹立たしいこの父の前で自分を晒すことを今はしたくなかった。

この場にギンナンが居るということは、

いずれ、どこかで再会の可能性があるということで、

その時にまた楽しく語らえば良いと考えた。


 奇妙丸から目を離せないでいるらしいギンナンの頭を

父の小姓の竹丸が押さえ、ぐいっと下に向け、


 「若殿に御挨拶をせよ」


と、言った。


 すると、父が意外な一声を発した。


 「お竹、やめよ。若殿がびっくりしておる」


 別段そこまで驚いてはいなかった。

竹丸にしてみればギンナンの態度に無礼なことでもあって

万一父に見咎められでもすれば、それこそ気の毒というもので、

ギンナンを助ける目的でしたに違いなかった。

 息子を出汁に、年端もいかない童子を庇おうとする父に、

奇妙丸はまた珍しい気まぐれだと少々驚いた。


 ギンナンは平伏し、名乗った。

 着物が替えられていて、ギンナンの匂いは消えていた。


 「万見仙千代と申します」


 川辺では「奇妙な名」とまで言ったところで別れとなって、

名乗りそびれていたことを思い出し、こちらも返した。


 「奇妙丸である」


 生まれた時に奇妙な顔をしていたということで、

これが父の名付けた幼名だった。

しかし他の兄弟は茶筅丸、酌、人という案配だから、

奇妙丸はまだマシだった。

 父は合理主義者で、使う期間の短い幼名に拘ることをせず、

単に符号だと考えていた。


 「楽にせよ」


 と仙千代に言うと見上げた顔が紅潮し、いかにも喜色満面で、

奇妙丸は面映ゆかった。


 隣に座るよう、父が促した。奇妙丸は上段の間に上がり、従った。

 父が訊く。


 「若殿は仙千代を知っておるのか?」


 今はとにかくこの人に何も言いたくなかった。

幾つかの出来事が重なって、こちらは腹を立てているのに、

まるで分かっていない。

 石に灸とはこの人の為にあるような諺で、父子関係でいえば、

受容という言葉から最も遠い性分をしていて、

あくまで唯我の人だった。


 「いえ」


 短く済む答え方をした。


 「仙千代の顏はそうは言っておらぬ」


 人の顔色など元来、興味が薄いはずの父にしては、

珍しい物言いだった。


 「知りませぬ」


 ぶっきら棒に短く答える。


 「仙千代は若殿を知っておるのか?」


 仙千代に何やら猫撫で声で話し掛けている。

 幼い仙千代は正直なところを言うのだろうと奇妙丸は思った。

 そうなれば嘘をついたと奇妙丸に雷が落ちるに決まっているが、

落とすなら勝手に落としておけという気分ではある。


 「……存じ上げませぬ」


 奇妙丸は仙千代を凝視した。

何の得も有りはしないのに、嘘をつき、こちらに合わせる。

楽なのは在りのままを言うことだった。

どのような心理の絡繰りか謎ではあるが不快ではなかった。

 やはり、少しばかり毛色の変わった坊主だとあらためて意識し、


 近くに置いたら楽しく過ごせそうだな……

 仙千代こそ、よほど奇妙じゃ……


 と、フッと思いつつ、

胸に温かなものがこみ上げるのを奇妙丸は感じた。


 

 

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