第13話 菩薩の子(3)

 今日はやけに竹丸が積極的に絡んでくる。

普段は何事につけ少々冷めた態度の竹丸が、

仙千代に関しては妙に熱い。

 

 「殿、おうかがいして宜しいでしょうか」


 と割り込んでくる。

 今は私的な場、寛ぎの時で、

それを知った上での竹丸の振舞だった。

 同席している城主の伊賀守いがのかみは信長と幼少時からの仲で、

伊賀守の父から共に砲術を習った同門の友とも言えた。


 「仙千代を、

如何なさるおつもりでお声掛けなさったのです?」


 「親が近くに居らぬのか気になってな。

早朝に童一人は危ない故に。それだけじゃ」


 「殿のお優しさには胸を打たれるばかりでございます」


 見え透いた世辞をさらっと言って嫌味がないのは、

竹丸の長所と言えた。

 涼し気な目元が特徴の端正な顔立ち、整然たる立ち居振る舞い、

頭脳明晰であって、家柄も織田家家臣として申し分がない。

 小姓としてやって来て約一年、たちまち頭抜けた存在となり、

他の小姓から既に一目置かれる存在だった。

 そして、少し前から信長は、

夜伽の相手として竹丸を褥に引き入れていた。

 どういう理由であるのか、たとえ悦楽の極みにあっても、

最後の砦は渡しはしないとでもいうようなある種、

醒めた態度を崩さないのが逆に堪らなかった。

どのようにすれば忘我させ、屈服させることが出来るのか、

駆け引きが興しろい。

事の前後も最中も、潔いと言って良いほど媚が無く、

その恬淡てんてんたんとした様は却って魅力となっていた。


 伊賀守が、思い出したように言う。


 「そういえば、餅をまだ供しておりませんでしたな。

ただいま用意させまする」


 「うむ、つきたての餅か。久しぶりじゃ」


 今日にでも仙千代を連れ帰りたい衝動がありつつも、

いくら何でもそれは人でなしに過ぎる。

 空腹ではなく、餅を食べたいわけではないが、

仙千代とひと時を共にする手段として悪くはなかった。


 「竹丸、仙千代、皆で頂戴しよう」


 竹丸は、


 「有り難き幸せ、是非とも!」


 と如才ない対応をする。

仙千代は事の流れについてゆけないとみえ、

目を屡々しばしばさせている。

 

 気付くと、転んで汚れた着物を着換えたものか、

今の仙千代は目立つ柄の小袖を着ていて、

朝の素朴な味の着物もいかにも純情そうで似合っていたが、

浅葱色の地に淡い紫の葵の模様の装いは一段と美しかった。

 表情により優しくも凛々しくも映る眉、

木の実のような形をしたクリっとした目、

程好い膨らみの艶のある涙袋、

齧りたくなるようなツンとした鼻先、

引き締まった清らかな口元、

すべて、鑑賞物として申し分のないもので、

今は未熟に過ぎる仙千代がこの後どのように変わっていくのか、

楽しみでならない。

 

 仙千代を我がものにという即物的、動物的な欲求を抱く反面、

けして不幸せにはすまいという思いも強くある。

万見という家臣は記憶にないが、記憶にないということは、

暮らしぶりもおよそ察しがつく。

 いつ、どのように、仙千代を手にするか。

与え、満たして、仙千代を幸せにしたい、

信長は浮き立つ心で思案した。


 すると、仙千代が竹丸の着物の袖をそっと引っ張り、

何か言いたそうにしている。

 竹丸が応じるより先に、

信長が緊張を解かせようと冗談交じりに言った。


 「厠か?」


 何度も首を横に振る。


 「何だ?申せ」


 一瞬だけ間を置いた仙千代が、


 「今朝は郷里の村から二人の友と来ております。

橋本様にせっかくお呼びいただいたのに、

遅刻して餅つきの手伝いをせず、遊んでブラブラしていただけで、

何もお役に立っておりません。

友は今の今も汗を流していて、

私だけ餅をいただくことは心苦しく……

ここで御無礼仕り、今からでも友のところに戻ろうと……」


 と、失礼に当たらぬようにと考えるのか、たどたどしい口調で、

目の前の竹丸の背中あたりに視線を集め、

少しばかり冷や汗めいたものを額に滲ませ、話す。


 信長は今度こそ蕩けた。

ただ座しているだけでも緊張の極みという様子の仙千代が

自分の失態を正直に話し、働いている友を差し置き

自分だけ餅を食べているわけにはいかないと言う。

子供じみた小さな正義かもしれないが、

その必死さ、正直さは愛おしかった。


 信長は敢えて軽く応じた。


 「ではその者達も呼べ。

今日は仙千代を怖がらせてしまった詫びじゃ。

皆で楽しく食べようぞ。仙千代、それなら良いか?」


 仙千代はまだいくらか迷いながらも結局、


 「ありがとう存じます」


 と述べた。

 皆が働いている時に……という罪悪感がまだあるのだろうと

信長は察した。

 しかし、それに付き合っていたなら、

こちらの楽しみが消えてしまう。


 伊賀守が、竹丸と仙千代に、


 「彦七郎、彦八郎の兄弟であろう?

竹丸も顔を見知った仲、大勢で食せば一段と味も上がる」


 と信長に呼応した。

 

 そこへ廊下から近習の声がして、


 「若殿がお戻りでございます」


 と言った。

 若殿とは奇妙丸のことで、行き先も告げずふらっと出掛け、

ちょっとした騒ぎになったのを従者達が連れ戻し、

どこで不貞腐れていたのか、

ようやく戻ってきたということだった。





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