第12話 菩薩の子(2)

 清洲城から儀長城に向かう一行が矢合観音まで来た時、

参道で何やら動くものがあり、

信長が馬上から見るともなく見ると、歳の頃、十一、二才か、

百姓など民草の子には見えないものの、

簡素な仕立ての着物の童子が銀杏並木の間に見え隠れし、

時折垣間見えるその姿に信長は息を呑んだ。


 童は御堂を背にして、朝日を浴びていた。

背景の観音堂の菩薩像にも陽が当たり、童を護るように光を放つ。

 明らかに錯覚なのだが、

菩薩の守護を授かって、童は後光がさしていた。

 

 雌雄を超えた愛くるしさ、

無垢としか形容できないあどけなさ、

純朴というものを形にすればこのようなものになるのかという

穏やかな温か味が全身から放たれている。

 もちろん面立ちも際立って美しいのだが、

それよりも童が内包している善美なのか、朴直なのか、

存在自体に引力があって、目が離せなかった。


 信長は瞠目し、今は硬く青い実である童が、

やがて成長した姿を想像すると、心身にいかづちが走った。

 雷が庇護欲なのか父性なのか官能への期待なのか、

または、それらすべてなのか、不明だったが、

どちらでもいいことだった。

為すべきことはひとつで、決まり切っている。

 欲せば必ず手に入れようとし、事実、手に入れてきた。

そうした生き方しかしてこなかった。

 所有でも隷属でも保護でも、どれであっても構わない、

あの童を我がものにし、誰にも触れさせはしない、

この自分以外はと、無意識の内に決めていた。

 それが可能な信長で、おのれの力をどう使おうが、

誰にも何も言わせはしない。

 この力は艱難辛苦の末、信長が手にした結実で、

それを暴虐、横暴といって気に入らぬのなら、

奪えば良いだけのことだった。

 童の生涯はこの朝に決められたと、

信長は当然のように思考した。


 直ちに誰かをそこへ遣り、身分を名乗って家の者に連絡し……

と頭の中で巡らせていると、

童が転び、起き上がらずに仰向いたまま、動かずにいる。

 もしや命に別条がと不安を覚えたと同時、落ち葉で遊び始め、

安心した信長は、

既に自分が虜になりつつあると甘美な危惧をした。

 転倒し、動きが止まった童の姿は信長の呼吸を

いったん止めるほどの衝撃で、

無事であると分かった時の安堵ときたら言葉に尽くせぬ程だった。


 やがて童は立ち上がり、鳥の姿に見入ったものか、

笑顔になって、その純真な表情にはいっそう魅了された。

 童の頬には控え目な笑窪えくぼがあり、

清らかな美しさに親しみを添えた。


 童は年齢に合わず、独り遊びを楽し気にして、

少々変わった質なのかもしれないのだが、

心身共に射貫かれている信長には関係ないことだった。

字を書くことが出来、口をきければそれで良い、

それで十分だとさえ、考えた。

 日ごろ、小姓は、吟味の上、選んでいる。

大名家からの預かりや人質を除けば、

眉目秀麗かつ聡明、そして組織戦略上、家格の高い者、

つまり譜第や重臣の子息を当然、優先している。

信長や信忠に仕え、

背後で刀剣を掲げ持つ者が「何処の馬の骨」では困る。

 菩薩の子、あの童に関しては、

あの童があの童でありさえすれば良かった。


 信長は若く温厚な雰囲気の従者に、

童を怖がらせぬよう気遣ってこちらへ連れてくるよう、命じた。

 結果として、童は走り去り、姿を消した。

多数で境内を探しても、見付けられなかった。


 大いに落胆はした。だが、自身の力をもってすれば、

いずれ見付けることはできると知っていて、

とにかく儀長城へ向かい、

すると、童に逃げられた当の若い従者が

厨房に竹丸と立っている童を発見したという顛末だった。


 「観音堂では恐がらせ、申し訳ないことをした。許せ」


 信長が言うと、事の次第をどのように理解したものか、

仙千代は、ただ頷いた。

 何を言うでもなく、首を縦にこくんとするその様だけで、

いじらしさに胸が締め付けられる。

 見も知らぬ侍に声を掛けられそうになり、

恐怖を覚えたことは今になってもみれば至極当たり前だった。

 生まれたばかりの希少な小動物を愛寵する感覚に似て、

他の誰にも触らせず、誰の目にも触れさせず、ただ独占したい、

そんな願望、いや、切望を抱いた。


 信長の心中で既に仙千代は信長のものだった。

この地で信長に逆らう者は居ない。

仙千代を一刻でも早く手元に置いて朝に夕に姿を愛で、

声を聴き、ひたすら盲愛したいという欲望、

参道で逃げ出した様や今のこの畏まりぶりなどからして、

少々引っ込み思案の性格だと見えることから、

急いては逆に嫌悪の情を抱かれるかもしれぬという不安、

相反する二つの思いの間で信長は迷った。

そして、仙千代という存在に惑い、

たったひとつの判断に迷う今のこの状態は甘い蜜の味がした。





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