第7話 犬は嫌いだ。その飼主はもっと。

「…犬臭い。」

 リビングに戻るとイオンは顔をしかめて明らかに不機嫌そうに言った。

「鞍馬さんはワンちゃん飼ってるから仕方ないよ。」

 私の住むアパートはペット可なので、何かしら動物を飼っている人がほとんどだ。私は白猫のイオンを、そして隣の鞍馬さんはミニチュア・シュナウザーのきなこちゃんを飼っていた。

「僕あの人嫌い。」

 イオンは手渡された物を汚いものを見るような目つきで見た。

「イオンは犬嫌いだもんねぇ。」

「…それだけじゃない。」

 呟くようにイオンが何か言ったが、私にはよく聞こえなかった。

「ん?なにか言った?」

「なんでも。それよりお腹空いちゃった。もうお昼だよ?」

 彼の言葉で慌てて時計を見ると、確かに針は11時半を過ぎた辺りを指していた。

「せっかくの休日が1/4終わってしまった〜!!!」

 慌てて料理の続きをする私。イオンは口を尖らせながら鞍馬さんから渡されたホウ酸団子の材料を見つめていた。

(…鞍馬明人あきひと。初めて会ったときからあいつだけは気に入らない。だって、あいつ…。)


***


「はぁっ、はぁっ。」

 大雨の降る中、梨子ちゃんは幼い僕を庇うように走っていた。少しでも濡れないように、少しでも凍えないようにと。


ピンポーン


 彼女は夜中なのにも関わらず呼び鈴を押して、隣の部屋の主に助けを求めた。

「夜分遅くにすみませんっ。でも、私生き物について知識がなくて…。このままだとこの子死んでしまいそうで…!!」

 ろくに話したことも無いであろう大柄な隣人は慌てた様子で梨子ちゃんに乾いたタオルを被せ、彼女の腕から僕を引き取った。

「…とりあえず部屋に戻ってシャワーしてきなよ。その間は俺がこいつを見てるから。」

「ありがとうございます…。すぐ戻るので!!」

 梨子ちゃんはお礼もそこそこに自分の部屋にかけていった。隣人は彼女を見送ると、僕に向き直ってワシャワシャと乱暴にタオルで水分を拭き取った。

「何するんだよ!!」

 シャーッと威嚇すると、大男はフッと笑って自分の飼い犬に僕を渡した。

「何だよ!?飼い犬の夕飯にでもするつもりか!?ぼ、僕なんか食べたって美味しくないんだからな!!」

『ちっちゃいのに元気な子だねぇ。』

「う、煩い!おジジ犬なんかに食われてたまるか!」

『あら、私こんな見た目だけどまだ2才よ?それに雌。失礼しちゃうわ。』

 長いひげを生やしたような見た目の雌犬はそう言うと、僕の首根っこを軽く咥えて自分の胸元へ引き寄せた。

『兎に角温まりなさいな。私の主人もそれを望んでる。』

 雌犬は僕を抱きしめ、逃げないように上に顎を乗せた。

(くそっ、重くて逃げられない…っ)

 藻掻いているうちに梨子ちゃんが戻ってきてくれた。

「おまたせしました…っ。あの、子猫はどうですか!?」

「今うちのきなこが温めてる。一日くらい食べなくても平気だと思うけど、朝一で何か食べさせた方が良い。まだ消化器官仕上がってなさそうだから、ふやかしたキャットフードが良いと思う。あともうトイレは自分で出来る月齢だろうから、早急にトイレ用意してやって。猫は教えなくても砂があれば勝手にしてくれるから。間違っても人間が飲む牛乳は与えないように。あげるなら砂糖を溶かしたぬるま湯にして。」

 淡々と答える大男。なんだ、こいつ猫に詳しいのか。

「ありがとうございます…!鞍馬さんがお隣さんで良かった…。」

 涙目になりながら梨子ちゃんは何度も大男にお礼を言った。

「…昔実家で猫飼ってたから。これからも何か困ったことがあったらなんでも言って。」 

 淡々と言っている割に大男の顔は赤く、梨子ちゃんを見つめる目は必要以上に優しかった。


***


(…犬は嫌いだ。その飼主はもっと。)

 大男の気持ちなど知る由もない我が主は、呑気に「優しい人がお隣さんで良かった〜」なんて言っている。

 はぁ、とため息を吐いて窓の外を見つめた。

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