第24話 夜が更ける

 帰り道は雨になった。

 雨だから仕方ないな、と理人が送ってくれた。

「こんな雨の中、いくらこの俺でもほっぽり出せないからな」

 そう言って理人が肩をすくめて見せたが、雨なんて降ってなくても送ってくれただろうと僕は思う。そういう人だ。

 本当に素直じゃない人だ。

「花岡さんのことも早く帰そうとしてあんな嘘を言ったんでしょ?」

 僕はふふふと笑いながら指摘する。すると、理人は思い切り顔をしかめて僕を見た。

「はぁ? お前あれが嘘だと思ってんの? あれに気づいてないの?」

「え? 汗くさいとか……そんなこと全然」

 なかったと思うけど、と言い淀む。まったく感じなかったが、近くでくんくん嗅いでみたわけではないから、絶対に無臭だったとは言い切れないとは思う。いや、しかしと反駁はんばくする自分の思考に混乱する。

「え? 理人くん、そんな近くで嗅いでたっけ?」

「あの汗ばんだ首筋!」

 僕の問いかけを無視して、腹から発声しているに違いない張りのある美声が響く。

「その汗ばんだその首筋に、乱れて落ちた後れ毛が張り付いていたの見たか? 足元から立ち昇る虫除け剤のほのかなメンソールの香り……」

 揚々ようようと歌い上げるように力説する。肩にも力が入り、ブルブルと戦慄わなないている。

「足先から足首くらいだったらあそこまで匂いは残ってないだろう。……その奥の、一体どこまで塗りたくったんだって……思わないか?」

 そう言って僕に同意を求める理人くんの目はギラギラと充血している様に見える。

「まったく、花のような汗と想像かき立てるメンソールとで、とんでもない色っぽいニオイをぷんぷんさせやがって……」

 僕はなんだか理人が遠いところにいるような気持ちがして仕方がなかった。

「理人くんて……」

 だから思わず口にしてしまった。

「変態なんだね」

 僕は理人の長い足に半ば蹴り出されるようにして、車から降ろされた。

「ガキはさっさと家帰って風呂入れ!」

 そう悪態ついて見せるが、本気で怒ったわけではないだろう。降ろされたのは僕の家まで100メートルもない一本道だし、いつの間にか雨も上がっていた。

「へへへ。ありがとう、理人くん」

 僕は理人が隠そうとしている優しさに気づいた優越感にニヤニヤ笑いが止められない。

 そんな僕をじっと見つめ、理人は低く告げた。

「一刻も早く風呂入れ。お前は本当に汗臭いからな」


 一目散に家へと走り、その勢いのまま風呂へと直行した。いつもより念入りに全身を洗ったせいで、湯上りはホカホカでいつまでも熱が引かない。

 僕は自分の部屋の窓を全部開けて、窓から入る夜風を浴びた。短時間とはいえ雨が降ったせいで今夜はいつもより涼しい。

 ふと、スマホに着信があることに気づく。見ると、花岡さんからだった。

 僕が掛け直すと、わずかな呼び出し音ののちに、

「はい! も、もしもし!」と勢いよく花岡さんの声がした。

「あ、電話気づかなくてごめんね。ちょっと前に帰って来たんだけど、お待たせしてごめん」

「そ、そうでしたか。いえ、ぜんぜん! 待ってなかったってことはありませんが、お待たせはしてませんので、気にしないでくださいっ!」

 声だけなのに顔を何度も横に振って慌てる花岡さんの姿が見えるようで、僕は吹き出してしまう。

「理人くん、ちゃんと送ってくれたよ」

「それを聞いて安心しました」

 花岡さんがやっと落ち着いた口調になり、僕も安心する。

「花岡さん、ゆっくりしてた? 僕は帰ってすぐにおふ」

「はい、帰ってすぐお風呂に……」

 僕らは同時に同じことを言いかけ、同時に同じことに思い至り、ハッとした。


≪汗!≫

≪ニオイ!≫


「ああぁの、わたし、汗くさ……いえ、なんでも!」

「僕ってニオイ……ううん、なんでもない!」

 お互いにものすごく聞きたいことがあるはずなのに、どうしてもそれだけが聞けなかった。


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