第19話 謎の女・エリ

 話し込んでいた僕たちは、自動車がすぐ近くまで迫っていることに気づかなかった。

 静かに止まった車の助手席から、あでやかな浴衣の足元がのぞいた。両足をそっとそろえて、しとやかに降り立った浴衣の美女。

「こんばんわ。お待たせして申し訳ありません」

 そういって柔らかく微笑む。今日の花岡さんから放たれるのは、大輪の花のような華美な印象ではなく、杜若かきつばたのような流麗な美しさ。そう感じるのは、紫を基調とした古典的な花の文様の浴衣を纏っているからか。

 つややかな黒髪は首元で丸く結われ、小さなかんざしで飾られている。襟元からのぞく白いうなじと黒髪のコントラストにクラクラするほどだ。

 圧倒的な美しさに言葉を失っている僕らを尻目に、車から降りてきた理人が花岡さんの傍らに立つ。

「なんなんだ……この、美少女・美女・美男という美の三大活用は……」

 ハルが呆然と呟いた。


 理人は花岡さんを僕たちに託すと、颯爽と去っていった。

「はぁ、さすが花園ちゃんの親戚……顔面が半端じゃないね」

 ハルはうんうんと一人で納得している。

 花岡さんはじっと自分を見つめる更さんに目を止めた。

「なぁに?」

「……先輩が浴衣なんてズルイ」

 じとりと睨まれ、花岡さんは目を丸くする。

 遠くでパンパンと乾いた音が響く。

 夏の夜が始まる合図だ。


 今夜は周辺の道路は車の通行が止められているので、のんびりと歩くことができた。

 ハルと二人だけなら車両通行止めになった道路にそのまま座って見る予定だったが、女の子にそんなことはさせられない。しかも二人は浴衣である。僕らはすぐ近くの神社の境内まで歩いた。

 暗くてひっそりとした神社は普段はあまり立ち寄りたくないが、この日ばかりは絶好のスポットだった。この日のために設置してるのではないかと思えるくらいベストな角度でベンチがある。

 僕らは横並びに腰を掛け、花火の打ち上げを待った。

 不意に訪れた静寂に、小さくそよぐ風で擦れる木々の音だけが響く。

 更さんが怯えたように小さく叫んだ。

「あ、蚊がいる!」

 夜風が多少涼しいとはいえ、蚊が喜ぶ気候である。

「虫除けしてこなかった?」

「あぁ、忘れました~」

 ハルと更さんがわぁわぁ騒ぎ出す。薄暗いこの辺にはコンビニすらない。

 困った僕は身に着けていたボディバッグを探る。

「よかった! 僕、虫除けウェットティッシュなら持ってるよ」

 僕が言いざまに差し出すと、みんなの動きがピタリと止まった。

「え? 虫除けウェットティッシュ?」

「え、先輩女子力高すぎ……」

 ハルと更さんは怪訝そうにしているが、僕には理由がわからない。

「うん、バッグに入ってた。はい、どーぞ」

 浴衣を纏った無防備な二人に差し出す。そのウェットティッシュを薄暗がりでよく見ると、『ERI』の文字が油性マジックで大きく書かれていた。

「エ、リ……?」

「えぇ、『エリ』ですね。女性の名前ですね……ッ!」

 更さんと花岡さんがザワザワしている。なぜだろう。こんなに打ち解けた様子でしゃべる二人を初めて見た気がする。

「エリって誰ですか~」

「わ、わたしに聞かないでください」

「先輩が聞いてくださいよっ」

「え、更さんがさりげなく聞いてください! 努めて自然に!」

「むりですよ~」

 ウェットティッシュを押し付け合い、二人はなにやら揉めている。

 内容までは聞こえなかったが、聞こえてきた名前で合点がいく。

「あぁ、栄里えりのか。この前出かけたときに入れたのかな?」

 納得した僕は、二人が使うのを躊躇しているウェットティッシュをシュッと引き抜くと、

「はい、どうぞ」と笑顔で差し出した。

 二人は困惑気味に、

「あ、ありがとう、ございます」と受け取った。

 二人の声と動きは見事にシンクロしていた。

 


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