第15話 この感情の名前

 眼差しに射抜かれた僕は、身動みじろぎもできずにただ見つめ返すしかできない。視線を逸らした途端にひび割れてしまうのではないかと感じさせる危うさが、いまの彼女にはあった。

 しばしの静寂。

 それを打ち破ったのは更さんだった。

「は? ……はぁ??」

 更さんは大きく一歩を踏み出すと、花園ちゃんに飛び掛かるような勢いで迫る。

「ちょっと、花園先輩! 邪魔しないでください」

 花園ちゃんも負けじと迫り、二人は鬼の形相でにらみ合う。

「わたしが邪魔なのはわかります。でもわたしも高木くんと花見大会に行きたいのですから仕方ないでしょう? それに、わたしの名前は花岡です」

「人がどれほどの勇気を振り絞ったと思ってるんですか! それを軽々しく……」

「はい、更さんの勇気には感服してます。それに乗じるような形になってしまって、本来なら引き下がるべきことはわかってるのですが……」

「だったら大人しく引き下がってくださいよ! いつもいつも余裕ぶちかましてる先輩らしく!」

「わたしだって必死なのです! 余裕かまして譲ってなんていられません」

 花園ちゃんの声が一際大きく響き、余韻が強く残る。

「余裕なんて、ありません……」

 独り言のように呟くと、花園ちゃんは鞄を抱えて走り出す。

「え? ……ごめん、更さん。詳しいことは連絡するから!」

 僕は驚きつつも、更さんにスマホを指さしながら声をかける。鞄を小脇に抱えながら、僕も走り出していた。

「待って、花岡さん!」

 上履きが廊下と擦れて高い音を立てる。足音よりも強く響いて耳障りだ。

「待って……花岡さん!」

 ようやく追いついて、花園ちゃんの肩を掴む。その華奢な感触に、僕は慌てて手を離した。

「ご、ごめん! えーっと……、一緒に帰ろう?」

 うつむいて肩で息をする彼女の顔をのぞき込む。それほど長い距離を走ったというわけでもないのに、花園ちゃんの顔は真っ赤に上気していた。

「……なんでもできると思ってたけど、運動はあまり得意じゃないんだね」

 僕がにんまりと笑う。

 僕だってそれほど運動が得意なわけではない。その僕に言われて余程腹が立ったのか、花園ちゃんがキッと睨んでくる。

 その様すら笑えてしまう。可愛くて仕方がない。

「笑ってないで! 帰るんでしょう?」

 花園ちゃんは勢いよく踵を返すと、ドスドスと荒々しく歩き出す。いつも蝶のように軽やかに歩く彼女からは想像ができない。

 遠くから見かけるだけの花園ちゃんは、一片の隙すらなく、上品で美しく、感情など感じさせないほどに冷ややかな美貌で覆い隠されていた。

 それは彼女のよろいだったのだ。

 本当の花園ちゃんは、こんなにも感情が豊かだ。

 怒ったり、笑ったり、喜んだり。

 何かに怯えたり―――。

 まだまだ花園ちゃんの知らない部分は多い。わからないことだらけだ。

 だからこそ、これからが楽しみだ。楽しみで仕方がない。

 こんな感情は初めてだった。

 気分が高揚する。

 意味もなく走り出したいような、意味もない奇声を張り上げたいような、僕の内側から沸き起こる衝動。

 この感情は何だろう。

 自然と笑みがこぼれる。

 感情があふれ出す。

「僕、花岡さんが好きだよ。花岡さんと友達になれてうれしいよ」

 心の底からそう思うのに、言ったそばから胸の奥がむず痒い。

 満面の笑顔で見れば、花園ちゃんは複雑な表情で立ち尽くしていた。呆れたようながっかりしたような、眩しがるような。

「……友達?」

「うん、だからできることは何でも協力したい。困っていることがあれば、力になりたいんだ」

 花岡さんの力になりたい、心からそう思った。

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