第13話 音のある静寂

「おーい、営業の邪魔だぞ~」

 ぼぅっと立ち尽くす僕に、店の窓から父が声をかけた。

「あ、父さん」

「でっかいのがそんなとこに立ってられたら営業妨害だ」

 父はそう言って、店に入れとあごをしゃくった。

「お邪魔しまーす……って、誰もいないのか~」

 あまり広くはない店内だが、お客が誰もないとガランとしている。だが、オレンジを基調とした明かりが灯った空間は、寂しげではない。

「そ。さっきのお客様で今日は最後かなぁ」

 理人が使ったであろうカップを片付けながら、父が雨の様子を気にしている。

 コーヒーの残り香に誘われて、僕は窓に一番近いカウンター席に腰を下ろした。

「すみません、コーヒーください」

「おごらないぞ。夏は売り上げが厳しいんだ」

「はい。一番お安いのを……」

 父は楽し気にコーヒーにお湯を注ぐ。もくもくと湯気が立ち上り、コーヒーのかぐわしい香りが漂ってきた。

「はい、本日のコーヒー」

 カチャリ、と心地よい音を立てて置かれたソーサーの上にはチョコレートがひとつ。

「お子様にはチョコもサービス」

 僕は素直ににっこりと笑顔を向ける。

「いただきまーす」

 熱いコーヒーを一口飲む。苦いけれど、飲んでしまえば余韻は優しい。

「ふ~、うまい」

「ふん、生意気~」

 客席に背を向けていた父が鼻を鳴らして笑う。店の曲が変わった。

「あれ? ずいぶんラウドな……」

「お客様いないからね」

 父は一言だけでそれ以上何も言わなかった。

 父の店では古い洋楽ばかりかけられていて、今流れている曲とは雰囲気がかけ離れていた。

 バラードではあるけれど、英語の歌詞はひどく重い。

 そうか、と僕は思い至る。

 僕が思いつめた様子でたたずんでいたから、父なりの気遣いの選曲なのか。父の優しさに触れ、僕の胸にあたたかなものがゆっくりと広がる。

「父さん……」

「このバンド、母さんが好きでね」

 ん? と僕は首を傾げる。そんな僕に気づかない父は、虚空を見つめながら続ける。

「こういう激しい雨の降る日はね、何かを思っているみたいでね。決まって遠い目をしているんだ」

 なるほど、僕を思ってのことではなかったのかと脱力する。

 その微妙な空気をぶち破る勢いで店の奥のドアが開き、緊張感のない母の声が響いた。

「あぁ~疲れたぁ。かずくん、コーヒー一杯!」

「ちょっと、そんなドタドタ来ないでよ。お客がいたらどうするの」

「あ、キキちゃんも来てたの~」

 父の話に全く耳を貸さない様子の母は、そう言って僕の隣に腰かける。

「あ、やっぱりココアで! 夕方はやっぱりココアよね!」

「……おごらないよ。夏は売り上げ厳しいんだから」

「マスター、生クリーム多めで!」

 僕は先程の父の言葉を思い出して、目の前に展開されている母ワールドとの落差に愕然がくぜんとする。

 僕は父に抗議してやろうと口を開く。

「はぁ?? これのどこが……」

「あ、ZEROSpace!」

 初めて気づいたというように、母が甲高い声で反応した。

「懐かしいなぁ」

 そう言って微笑む母の横顔は、10歳は若く見えるほど艶めいていた。


 誰もしゃべらない。

 そのことがまるで自然であるかのように。

 店内に響くのは、静かなバラードとどこか悲しい歌声。

 ヤカンで沸騰するお湯の音、器のカチャカチャと鳴る音。

 遠くなった雷鳴と、窓に当たる雨粒の音。

 それを静寂と呼んでいいのなら、今がきっとそれだ。


 




 

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