第12話 嵐が来る

 僕らがそこに着いたとき、幸いなことに雨はまだ降っていなかった。

「ごめん。自転車で送っていこうと思ってたんだけど、このままだと絶対に降られるよね」

 僕は自宅前で力なく謝った。あぁ、なんて馬鹿なのだろうとうなだれてしまう。夕立の気配に気づいたとき、すぐに駅に引き返しておけばよかったのに。

 申し訳なさで、花園ちゃんの顔が見られない。

「本当にごめん。……父さんに車出してもらえないか頼んでくるよ」

 僕が店のドアに手をかけようとすると、内側からドアを開ける人がいて驚いた。

「よう。また会ったな」

 その人は僕の顔を見て驚いた風もなく、ニヤリと笑った。

「理人くん!」

「だからその呼び方やめろ。さて、園子帰ろう」

 理人が僕の肩越しに声をかける。僕も振り返って見ると、花園ちゃんが顔をうつむかせてたたずんでいた。見れば、拳を握りしめてかすかに震えている。

「……そういうとこが嫌なのよ」

 低く押し殺した声から次第に、甲高い金切り声に変わる。まるで悲鳴みたいだ。

「理人のそういう澄ましてなんでもお見通しってとこが嫌なのよ!」

「園子に関してだと俺は超人になれるらしいんだ。お陰で雨に濡れずに帰れるぞ」

 理人は花園ちゃんの訴えには耳を貸さず、飄々ひょうひょうと車のキーボタンを押す。ピピッと機械音が鳴り、理人は助手席のドアを開けた。

「園子、早く乗れ」

 言われても、花園ちゃんは悔しさを隠しもしない表情で理人をにらみ続ける。

「夕立が来そうなんだ。俺がいて助かっただろ?」

「そうよ! 理人に助かってる自分に一番腹が立つの!」

 花園ちゃんは噛みつくように怒鳴ると、ドスドスと荒々しい足音を立てて車に近づく。

 その瞬間、短い着信音が鳴った。

 花園ちゃんはピタリと動きを止めると、カバンからスマホをゆっくりと取り出した。僕は彼女が画面を操作している背中をぼんやりと見ていた。

 瞬間、花園ちゃんの肩がびくりと揺れる。

「どうした? またか?」

 なにかを察知した理人が花園ちゃんに駆け寄る。僕も花園ちゃんに近づいて顔をのぞき込んだ。

 色白の肌は蒼白そうはくに見え、画面を見つめて見開いた瞳はなにかにおののく様に震えている。

「花岡さん、どうし……」

「貸せ!」

 僕をさえぎるようにして、理人は彼女の手からスマホを奪う。そして鋭く視線を走らせると、忌々いまいまし気に舌打ちをした。

 スマホを手放した花園ちゃんは、両手を口元に当ててガタガタと震えている。

「花岡さん、大丈夫?」

 そっと花園ちゃんの肩に置いた僕の手に、大粒の雨が当たった。

「園子、降って来たぞ! 早く乗れ!」

 理人が助手席のドアを開けて叫ぶ。花園ちゃんは僕を見ることもなく、声の方へ力なく駆けていく。

 そして車に乗る前に僕の方を向き、にこりと笑った。

「高木くん、送ってくれてありがとう。また、明日」

 ひどく明るい声で言うと、僕の返事を待たずに車へと乗り込んだ。

 車はあっという間に見えなくなり、雨は本格的な夕立となった。

 僕はなんとなく家に入る気力もなく、店先で雨宿りしながら考えた。

 理人はなぜここに現れたのか、とか。

 そもそも僕が護衛なんてしなくても、今みたいに理人が迎えに来ればいいのではないか、とか。

 さっきの花園ちゃんの笑顔を、思った。

 悲しむような、泣いているような痛々しい笑顔。

 笑顔を浮かべる彼女の頬が濡れているように見えたのは、雨粒のせいだろうか。

 それを思うと、やりきれない気持ちになる。

 わからないことだらけだ。混乱する。僕は背を店の壁に預け、空を仰ぐ。

 閃光と轟音。雷が近くで鳴っている。

 嵐だ。

 僕はそう思った。

 


 


 

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