第11話 夕暮れが来る
呆然とする僕を尻目に、折よく電車がやって来た。
思考が止まってしまった僕は、旧式のロボットのようにぎこちなく歩き、彼女に促されるままに空いている席に腰を下ろす。
花園ちゃんは蝶が花に止まるような軽やかさで僕の左側に座った。遅れてふわりと漂う香りにくらくらする。
西日が柔らかな赤みを帯び、窓に映った花園ちゃんの黒髪がそれに染まっていた。
ぼんやりと僕が見ていたのは窓の外の景色ではなく、花園ちゃん。
「仲良くなったと思っている人でも、わたしが理人にする態度を見ると離れていくの」
花園ちゃんの絞り出すような声音が僕の脳内に沁みていく。混乱していた思考がほどけていくのを、冷静に感じている僕がいた。
姿勢を伸ばし真っ直ぐ前を見て、でも悲しい目をして彼女が言った。
「『あなたを心配してくれてる人にひどい』とか、『こんな怖い人だと思わなかった』とか…」
記憶を辿っているであろう彼女の表情は険しい。僕は頬杖をつく形で彼女の顔を覗き込む。スカートのプリーツの上できつく握られた左手に、僕は右の人差し指でツンツンと触れた。
花園ちゃんが弾けるように僕の方を見た。
「花岡さん、時間大丈夫?」
息をのむような表情で固まる彼女に僕は続ける。
「ちょっと、寄り道しない?」
夕刻になり日差しは落ち着いていた。
「うーん、風が気持ちいいね」
僕は大きく体を伸ばし、湿り気を帯びた空気を胸いっぱいに吸い込む。蒸し暑さは残っているものの、風が出てきた分過ごしやすい。
「花岡さんの降りる駅じゃないのにごめんね」
ちゃんと送るから、と付け加えて僕は歩き出した。
降りたのは僕の自宅の最寄り駅。花園ちゃんの降りるのは、ここから2駅も先だ。
梅雨が空けて間もないが、季節は瞬く間に真夏の様相を呈してきた。空はどこまでも高く、白い雲は弾力を感じさせる入道雲。
「どこに行くってわけでもなかったんだけど、ちょっと歩いてみたくなって」
そう言ってはみたが、本当は違った。うまく説明できないが、彼女の気持ちを逸らせたかった。花園ちゃんが苦しんでいる顔は見ていたくなった。
うまく説明できないから、そんなこと言わないけれど。
「風が気持ちいいですね」
そう言った彼女をそっと盗み見ると、穏やかそうな表情を浮かべているので安心する。
「花岡さんは毎日部活に出るの?」
僕は歩きながら話しかけた。歩幅が違うため、歩くスピードには苦心した。ゆっくりゆっくり、あくまで自然にゆっくりと。
「いえ、とりあえず週1回で様子を見ようと思います。集中するとそのことだけしかできなくなっちゃうから、適度に」
「集中力がすごいんだね」
心底感心する僕に、花園ちゃんが困ったように笑う。
「タイピングが上手になりたくて、必死で練習してた時期があるんですけど、その時は先生の話や黒板の文字すらすべて脳内のキーボードでローマ字打ちするイメージになっちゃって……ちょっと今ではその感覚がないのでうまく説明できませんが」
「えぇー! それはすごい……さぞかし速くなったんだろうね」
「はい。タイピング日本一になりました」
中学1年のときですが、と事もなさげにさらりと言う。
「日常生活に支障をきたしそうだったので、しばらくはデジタルを遠ざけて本ばかり読んでました」
絶句する僕より先に、花園ちゃんが遠くで響く雷鳴に気が付いた。
「夕立が来そうですね。走りましょう!」
そう言った花園ちゃんに手を引かれる。手に伝わる彼女の小さな手の感触に驚く余裕もなく、僕はよろけるように走り出す。
「急いで!」
そう叫んで楽しそうに笑う彼女がひどく眩しい。
花園ちゃんは笑顔が一番かわいい、僕は改めてそう思った。
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