第6話 わが家へようこそ

 日曜日、書道部の面々が本当に僕の家にやって来ることになった。

 まぁすっぽかされてもいいや、と半信半疑で最寄り駅で待っていたら、

「早いんですね」

 可憐な顔をのぞかせて声をかけられた。

「わっ……本当に来た!」

 突然の輝くばかりの美貌に、僕は目を細めた。

 眩しい、花園ちゃんがかわいくって眩しい。

「実はもうかれこれ5分ほど隣に立ってたんですけど、高木くん全然気づいてませんでした?」

「え、ごめん。ちょっと心を無にしてて……」

「いたずらに気づいてもらえなくて止め時もわからないし、結構恥ずかしかったです」

 ぷぅっと小さく頬を膨らませて拗ねている彼女から、僕は身悶えするような心地で目を逸らす。

 苦しい、花園ちゃんがかわいくって苦しい。

 助けを求めるように泳がせた視線の先に更さんを見つけた時は、思わずそっと手を合わせて拝んでいた。

「おはよう、更さん」

「キキ先輩って動き面白いですよね」

 更さんは開口一番にそう言って、ちょっとだけ顔をしかめていた。


 部屋に入ると墨のにおいがした。生徒さんが帰ったばかりなのだろう。彼らが使った筆を洗っているであろう母が、奥から「いらっしゃい、入って~」と言った。

 書道教室と言っても、母は一度に数人しか教えないのでごく普通の自宅の和室である。

「散らかっててごめんね~。適当に座っててね」

 広げられた新聞紙の上に、元気な作品が並んでいた。今日は小学生が二人来ていたようだ。

「お母様が筆を洗っているの?」

 待っている間に、花園さんが心底驚いたような表情で僕に聞いた。

「うちは小さな教室だからね。道具も一切置いてもらってて、手ぶらでオッケーなんだ」

「はいはい、おまたせ~。よくぞいらっしゃいました」

 人懐っこい笑顔の母が濡れた手を拭きながらやってきた。

「おもてなしはあとでするから、先に道具の説明だけするね」

 そう言うと、半ば駆け足ぎみに説明を始めた。

 真剣に聞いている花園ちゃんと更さんとを尻目に、僕は大きくあくびをした。昨夜見た映画は面白かったなぁと思い返しながら、うとうとする。

 僕は映画が好きだ。文字を読むことが苦手な僕にとって、映画は昔から最大のエンターテインメントだった。

 物語を2時間に収めて描き切るというところが、テレビドラマにはない面白さだと思うから、僕は映画が好きなのだ。

 それでも、文字を読むことが苦手な僕にとって字幕は厄介だった。そのうちに、僕は字幕を無視するようになり、いつの間にか意味を理解できるようになっていた。

 英語であれば、それなりに聞き取れるし、しゃべることもできる。だが、英語の授業は何故あんなにも難解なのだろうか。もうすぐやってくる期末テストのことを考えると頭が痛くなってくる。

「こら、寝るな」

 言うより早く、母が僕の足ツボをピンポイントで攻撃してきた。

「いてー!」

「眼精疲労。大事にしなさい」

 アイスピックで刺されたような痛みに、飛び起きるようにして足裏をさする。そんな僕に一言投げ掛けると、母はもう僕を無視して二人に向き直った。

 一通り説明を聞いたあと、更さんは当初の予定通り条幅用の筆と画仙紙を、花園さんは基本的なセットをそれぞれ購入した。

「さーて、小難しい話はここまで。かずくんのとこでお茶にしよ!」

 母はまるで子供のように、うきうきと弾んでいる。こういう仕草や無邪気な笑顔が、この人が年より若く見える理由だろうか。

 母は愛嬌のある人だ。美人ではないが、柔和な顔立ちと笑ったときの無邪気さが人から好かれる所以ゆえんだろう。

 一度玄関を出て隣の喫茶店のドアを開ける。

 途端に、コーヒーの芳しい香りと軽妙なギターサウンドが目立つ、古いアメリカン・ロックが僕らを包み込んだ。





 

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