第3話 続・天使の気まぐれ

 月初の木曜日だけ、僕は所属している書道部に顔を出すことになっていた。

 僕は書道には全く興味はなかったのだが、筆を持てばそれなりに書くことができた。書道教室を開いている母の影響で、なんとなく見よう見まねで書けるというだけなのだが、入学してすぐに顧問の先生に声をかけられ、あれよあれよと言う間に入部してしまっていた。

「キキくんがいてくれてホント助かるわ~」

 教師にまでキキ呼びが定着していて脱力するが、それは仕方のないこと。彼女は母の同級生なのだ。

「毎日は無理でも週一ならどお? え、月一? うーん…」

 入部の条件として、多少の自由を主張した。授業が終わってから毎日墨まみれになるなんてまっぴらごめんだ。

 顧問が妥協してくれて、僕は月一で部活への顔出しと作品提出を条件に入部を承諾した。

 登校中は堪えてくれた雨だが、始業時間には静かに降り出し、それは今も続いている。雨のおかげで気温はそれほど高くないが、じっとりと暑い。僕はワイシャツのボタンを一つ開けてから椅子に腰かけた。

 この学校は元々女子の生徒数が多いが、書道部で男子は僕一人だけ。肩身の狭い思いをするかと身構えたのは最初だけで、僕はすぐに慣れてしまった。

 書道とは個人活動なので、あまり他人と関わることはない。特に僕の場合は誰かに助言を求めたりしないので、自分で納得のいく出来栄えになればそれを提出するだけ。実に淡々としたものである。

 ただ2年生になり後輩ができると状況は変わってきた。普段は部活に顔を出さない幽霊部員の僕でも、助言を求められたり手本を求められたり、製作中の写真や動画を撮られたり。

 僕は唯一の男子部員であるし、とりわけ背だけは高いので力仕事や高所作業では頼られることが多かった。

 僕の家族は女性が多いので、力仕事に駆り出されたり、少々理不尽に思えるくらいこき使われるのには慣れていたのだ。

「あ、キキ先輩~」

 筆を持って集中しかけたところだったのに、後輩に声をかけられた。

 僕は授業以外で書道を習ったことはなく、母の見よう見まねで書いているだけと何度も説明しているのに、なぜかいつも添削や教えを求められる。

 困り果てた僕は助けを求めて顧問へ視線を送るが、決まっていつもニッコリと笑い返されるだけ。仕方なく、僕は控えめなアドバイスをするのだった。

「そうだ、キキくん。今日は新入部員がいるのよ」

 後輩に筆の持ち方からレクチャーしていたところへ、顧問が近づいてきて告げた。

「知ってるかしら? 同じ2年生の……」

 彼女の指し示す先にいたその人は、僕の視線に気づくと可憐に会釈して見せた。

 そして、笑顔。それは花がほころぶように華やいで見えた。

「2年の花岡園子です。書道は初心者ですが、よろしくお願いします」

 僕はあんぐりと開いた口がふさがらない。

 僕は一体どれだけこの人に驚かされるのだろう。


 一度きりだと思われた天使の気まぐれは、だがしかしまだ続いているようだ。

 


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