第2話 天使の気まぐれ

「おいキキ、さっきのはなんだよ! わかるように説明しろ!」

 教室に入るや否や、数人の男たちに取り囲まれる。至近距離で問い詰められて面食らうが、僕は彼らより幾分背が高いため、軽く見下ろすような形で応じた。

「えーと、ハルおはよう」

「のんびりあいさつしてる場合じゃないだろ! おはよ!」

 じれったそうに僕の腕をつかんで揺するのは黒川晴哉くろかわはるや。晴哉はそれでも律儀にあいさつを返す。僕らは幼稚園児の頃からの付き合いで、親友だ。

「俺たち親友だよな! なのになんでなんにも言ってくれなかったんだよ!」

 遠くから僕らを取り巻く男子からも、そこかしこから「そうだそうだ!」と声が上がった。

 僕は、友人→クラスメイト→他クラスの知らない人と実に多くの男子に取り囲まれていた。

「なんでキキが花園ちゃんと登校してくるんだよー!」

 晴哉を皮切りに、他の面々も口々に「なんでキキが!」と叫び出す。

 あまりの騒動に、僕は呆然と、

「なんでみんなして僕をキキと呼ぶのかな……」と言うしかなかった。


 なんでなんでと一向に収まる気配のない喧噪の中、担任の大きな声が響く。

「おーい、散れ! クラスに戻れ! 席につけー」

 言いながら、名簿で机をバンバンと叩く。

 今朝の騒動は職員室にも聞こえていたようで、深田先生がいつもより早く教室に現れてくれたおかげで収拾を見た。



 昼休みのチャイムが鳴ると同時に、僕らはこの階段下の空間に身を潜めた。また朝のように集団に取り囲まれ、質問責めにされるであろうことが容易に予測できたからだ。

「だから、僕にもよくわからないんだって!」

 僕は何度目かの同じ回答をした。

「そんなわけないだろ。だいたいキキが花園ちゃんとどうやって知り合ったわけ?」

「それがさっぱり……」

 大きく首を傾げて見せるが、晴哉にジロリと睨まれたので僕は肩をすくめた。

「ほんとうに、今朝、突然、いたんだよ」

「説明下手か!」

 ぴしゃりと一蹴いっしゅうされる。僕は渋々、訳が分からないながらも脳みそをフル稼働させて記憶を辿ってみる。

 そう、僕も今朝の事件は訳が分からないままなのだ。



「あの、押しかけてしまってごめんなさい。その後体調はいかがですか?」

 その小さくて白くて清楚で可憐な人は気遣わし気に僕の顔をのぞき込んで言った。

「えっと……」

 僕が言い淀んでいると、玄関のドアが開いて母が顔をのぞかせた。

「キキちゃんまだいた! お弁当……」

 僕の忘れ物を差し出しながら固まった母がじっとこちらを見ていた。

「あ、突然失礼します。わたくし花岡園子と申します。いつきくんにはお世話になっております」

 花園ちゃんが緊張した様子であいさつをする。

「あら、ご丁寧にありがとう。でももう遅刻したら困るでしょ。樹さんもぼんやりしてないで。いってらっしゃーい」

 母はホホホと笑いながら僕らを慌ただしく追い立てる。

「またゆっくりいらしてね~」

 「樹さんだと? いらしてね、なんて丁寧な言葉も聞いたことないぞ」と僕は思いながら、足早に歩き出した。ちらりと視線をやると、彼女は母にぺこりとお辞儀をしてから慌てた様子でついてくる。

 空はどんよりした曇り空でいかにも梅雨らしい。遅刻も困るが、急がないと雨が降りそうだ。

 僕は歩きながらもう一度彼女を見た。

 すると彼女も視線に気づき、僕へにこりと笑顔を向けた。

 ドキッとした。本当にかわいいのだ、花園ちゃんは。

「あ、あの~」

 僕は視線を泳がせながら声をかけてしまっていた。

「はい」

 彼女が歯切れよく返事をする。

「なぜ、僕? 誰かと間違ってない?」

 僕は思い切って言葉を続けた。だが混乱する頭ではうまく質問できない。

 あまりにつたない質問に自分でも赤面するが、気まずくなったらこのまま逃げようとばかりに僕は歩みを止めない。

高木樹たかぎいつきさんですよね? 間違ってないですよ」

 白くて小さな手をそっと口元に添え、心底おかしそうに笑っている。かわいい。

「体調が悪くなってたらどうしようと思って、そうしたらいてもたってもいられなくなって、来ちゃったんです」

 ご迷惑でしたらごめんなさい、と彼女は続け、僕を上目遣いで見てくるから困る。

「い、いや、迷惑とかじゃなくて……」

 そうこうしているうちに電車の時間が近づいていることに気づき、僕たちはおしゃべりもそこそこに駆け出した。この電車を逃すと遅刻してしまうのだ。

 電車に乗ってからは車内が混んでいることもあり、あまり会話らしい会話もなく、最寄り駅についてからもそのままなんとなく学校に着いてしまった。

 そして大勢の観衆に見守られている中、僕たちはそれぞれの校舎へと向かったのである。


「だーかーらぁ! どうしてキキはそんなにのんびりちゃんなんだぁ!」

 しびれを切らした晴哉に怒鳴られても、僕は笑い返すしかできない。

「ヘラヘラするな!」

「ごめんごめん。でも、もうこんなことないと思うよ。意味わかんなかったけどさ、いい思い出にするよ」

 僕はそう言って一層笑った。

 そう、あれは天使の気まぐれなのだ。僕はそう解釈することにした。

 今朝の頭痛もなぞの清々しい違和感も、きっと気のせいなのだ。

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