第104話 逆鱗
嫌な物や嫌な気持ちに蓋をして目の前の逆犬神家状態のモンスターに手を突っ込む。こんだけデカけりゃ血の量も期待できるなと上機嫌で血を吸いこんでいた匠。
「......は?」
だが、その上機嫌な状態は長続きしなかった。
今まで難なく吸いこめていた血がビタっと止まる。
一度手を抜きもう一度刺し込んで吸おうとするも全く以て吸い出す気配が無かった。
「嘘ぉ......」
なにか異常が......? と心配になった匠は慌ててステータスチェックを行い確認すると、血液残高がある数値で止まっていた。
「カンストなんてあるのかよ......」
一般的な成人男性の血液量は、身体の大きさ等で変動するが大体5ℓ程。その200倍の量の血液がスキルでなんやかんや圧縮され、匠のその普通の成人男性と同等の身体に詰め込まれている。重さに換算しても驚異的な量が入っている筈なのだが、そこら辺の事に全く詳しくない匠である。医療従事者が血涙を流しそうな案件であるがエリクサーを持てるだけ持っているとしか思っていない。
頭を吹き飛ばされようが身体が吹き飛ぼうが、血液残高がある限り何度でも蘇られると思っていた匠は、自身の命綱に制限があった事に衝撃を受けた。
「スキルにレベルが無いからこれ以上成長しないんだろうなぁ......はぁ、これ以上増やせないなんて......」
安心安全のエリクサーがカンストしてしまった事だけでなく、貯めて残高が増えていく事にも少し快感を覚えていた匠は、その場で崩れ落ち硬い地面に膝をついて項垂れた。
「あっ......減った......はは、戻ったわ」
虚ろな瞳で
「............」
暫く打ちひしがれていたが徐に立ち上がり、垂れ下がる逆犬神家を殴り始めた。それはもう一心不乱に。
先程までの修行と違い、ただただ無心でフォーム等を気にする事なく殴り続けていく。力任せに殴り続けた拳は裂け、血液が減り、戻る。拳が砕け、血液が減り、戻る。指が変な方向に折れ曲がり骨は飛び出し拳はぐちゃぐちゃになるが、ただ血が減って戻る。
出しっぱなしのステータスで血液の増減を知覚出来るのは楽しかった。ひたすら狂ったような高笑いをしながら死体を殴るだけの時間が続いた。長い事続いている娯楽の全くないダンジョンでの生活は、少しづつ匠の精神を蝕んでいたのかもしれない......
「ア゛ァァァァッ!!! ヒヒヒヒヒヒヒッ!!」
◆◆◆◆◆
いつの間にか進化していた懐拳術のレベルが3に上がっていた。やったね。
「ふぅ......」
気持ちも落ち着いたので改めてスキルの血液量に目を遣る。が、やはりカンストらしく1000.0Lの値で止まっている。
これから先、この最大貯蔵量が変わる確率はどれくらいだろう......成長して欲しいけど、成長するのは難しいと思われる。
確かこれを手に入れたのはダンジョン入場の際に死にかけて、産まれたてのヒヨコに殺されかけて、苦し紛れにヒヨコを食ってこうなった。多分この中のどれか、若しくは全てが上手い事重なってこうなったと考えれば......それこそ、このクソダンジョンの居るかわからない裏ボス討伐とかそんなレベルの何かをしないと無理だろう。
初めてシリーズのご褒美は期待出来ないし、もう進化したらいいなって心持ちでいた方がいい。
「はぁ......ボス部屋に着く前に水場とかあればいいなぁ......」
乾かしたと思っていても若干残っている不快な感触に顔が歪んでいるのがわかる。
「チッ......」
嘆いても仕方ないので、荷物を持ちそのまま歩く。
この部屋からの出口は一つしかなかったので迷いなくそちらへと歩みを進めていった。
二分程歩いた所で道が左右に別れていた。いつもはほぼ道なりに進むだけで階段へ着けたのだが、ショートカットしてきたので上階段方面か下階段方面へ行くのかの選択を迫られた。
本格的なダンジョンというか迷宮というか......なんだかちゃんと攻略をしている気がして、匠はちょっとだけだがテンションが上がった。
「......さて、どっちが正解かなー」
誰も居ないので気にする必要は無いのだが、テンションが上がった自分を恥じ冷静を演じた。
「何かで左手の法則とかどうとか言っていたのを見た気がするし、この際だから左に進んでみようかな」
間違えていたら引き返せばいい、と軽い気持ちで左を選択し進んでいった。
結果から言うと左は外れだった。今俺は最初の分岐点に戻ってきて一休みしている。
進んだ先の部屋にデカいサイのようなモンスターが一体とそれよりふた回り小さいサイが居た。ソイツらは俺が入ってきた方の入り口とは逆の方を向いて休んでいた時点で何やら嫌な予感はしていた。
それでもコレは初めての経験だし、もしその予想が正しければ次回以降迷った時に使える手段として記憶しておけばいい。
因みにデカいサイは寝ていたらしく隙だらけだったので覚えたての懐拳術を思いっきり後頭部に叩き込んでみた。余りの隙の大きさに罠を疑ったけど、どうやら本気で寝ていたようであっさりとサイの前頭部は無惨に飛び散った。
子分らしき小さいサイは開幕直後に頭部が爆散した大きいサイを見て恐慌状態に陥っていたので、後はもう一匹ずつ金砕棒していくだけの簡単な仕事だった。
あの犬神家の血が許容量を超えただけで他のモンスターの血ならリミットを越えられるかと考えたが、現実は全くそんな事は無かった。開幕の一撃で拳が割れたのを治すのに減った分だけを補充し、魔石だけを抜き取って先へと進んだ。
この懐拳術何回か使ってきたけど全部で拳壊れてるなぁ......拳を壊しながら相手を壊す拳術なんだろう。きっと。殺した相手から補充できるコスパの良さと抜群の破壊力だからこれからも使い続けよう。
その後も階段まで歩き、二部屋で撲殺劇を繰り広げ、やっぱり外れだったので引き返し今に至る。
「ふぅ......ここまで何度かやってきて気付いたけど、上限がわかっているのって結構気が楽だったなぁ。常に満タン付近をキープするのも楽しいし」
どうにもならない事象に固執しても変わらないので何とか受け入れて次を考える。
「うん、とりあえず大事故さえ起こさなきゃいいや」
導き出した結論は脳筋な結論だった。
ただの思考放棄とも云う。だが匠はそれでいい。
変に思考し続けると大抵良くない結果になると思っている匠だった。
―――此処が彼の人生の分岐点の一つだった。此処で深く思考し続けていれば......血の流出を極力抑えようと云う結論に達し消極的になっていた。それ以降はただの負のスパイラルに陥り、何れ失血死という結末を迎えたであろう。
おっかなびっくりで思い切りのない脳筋戦法が通じるのは実力に劣る格下だけ。まぐれで勝てる事もあるだろうが、ここは格下などほぼ出てこない凶悪ダンジョンである。まぐれなどそう何度も起こる訳ないのだから。
一つの最悪な道へと続く分岐点を思考放棄で破棄した匠は下の階層へと続く階段へ向けて歩いた。新しく増えた攻撃の選択肢、リミットに達した血液、階層をぶち抜いて罠を張るモンスターなど、濃い時間を過ごした階層はそろそろ終わる。
次の戦闘ではどうやって戦おうか、それを考えているだけで自然と歩く足が早まる。戦闘が楽しくて堪らない。
「............チッ、胸糞悪い」
次の部屋へ辿り着いた匠。これまでの明るい気分を台無しにしたかったかのように、匠の眼にはクソみたいな光景が飛び込んできた。
「......グチャッ......クチャッ」
部屋の壁一面にビッシリと産み付けられた卵。
異様な雰囲気の大部屋の中央には下半身は黒く太い蛇、上半身は女をモチーフにした彫像を乗っけたようなモンスターが食事をしている。
ソイツが太い蛇の尾でナニカを締め付けていた。ぐったりしたソレを見た俺はモンスターがナニを食っているのか、理解してしまい漏らした一言だった。ただでさえ胸糞悪かったのに今は余計に胸糞悪い。
「......ヒヒヒッ」
嗚呼、殺そう。
殺そう。
コイツは俺の敵だ。地上に出る前にこんなのに会えるとは思っていなかった。予行練習には持ってこいの相手だ。
さぁ、殺そう。
自分で産んだガキを食料にしてるようなヤツは生かしておく意味は無い。俺の元両親と同類は一刻も早く死ぬべきだ。
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