(弐)

「さあ、お背中流しますよ」


「えっ、駄目だよ。朱鈴シュレイさんは」


「え〜、私だけ仲間外れですか〜?」


「あらっ、御一緒に入りたかったですか? 女性用のお風呂も用意してしまいましたが……」


「それで、大丈夫です」


「かしこまりました」


 ふ〜〜焦った。



 僕と、龍清リュウセイ凱鬼ガイキは、男性用に用意された風呂に入る。


 沸かしたお湯を浴槽よくそうに貯めたものだった。浴槽は四角い木製で、栓を抜けば地中に通した陶製のパイプを伝って外に排水される仕組みだった。


 更に浴室内は暖炉だんろつきで、暖かくなっていた。僕達は、軽く汗を流すと浴槽へと入る。


「ふ〜、こんな贅沢ぜいたく久しぶりだぜ」


「だね」


「ああ」


 確かに、旅の間は、お風呂なんて入れなかった。なにせ風呂に入るのは贅沢な事なのだ。


 お湯に浸かると、一旦、浴槽から出て生薬や香料を調合した「澡豆そうず」という水に溶かすタイプの粉末洗剤で身体と髪を洗う。そして、洗った髪に鶏卵白けいらんぱくを塗ると、再び浴槽へと戻る。しばらくゆっくりと浸かる。


 そして、再び浴槽から出ると、まずアブラガヤという草で編んだむしろを踏み、一度お湯で洗い流した後、今度はガマで編んだ蓆を踏む。これで足のあかも落ちて綺麗になるという事だった。


 最後に浴衣よくいまとい、外に出ると、外に頭を出して横になる。髪の毛を乾かす為だった。


「お風呂気持ち良かったですね~」


「そうだね~」


「出来れば、耀秀様と一緒にお入りしたかったのですが……」


「えっ」


 本当に冗談でも、びっくりさせられるよ朱鈴さんには。



 僕は、ちらっと横を見る。朱鈴さんは僕のすぐ横で横になり、その長い髪を外に垂らしていた。


 その〜、身長が高く大柄の為に、女性用の浴衣から色々はみ出して、かなり見てはいけない光景だった。


 その〜お胸だったり、お御足みあしだったり。


「耀秀様。そんなにチラチラ見ずに。ちゃんと見ていただいて構わないのですが」


「えっ」


「ガハハハ、耀秀は、ムッツリスケベか〜」


「えっ」


「ムッツリではない。俺の妹だから、遠慮しているだけで……」


「龍清、違うから」


「ガハハハ」


 もう、2人ともからかわないでよ~。


「耀秀様。さあ、遠慮なさらずに」


「朱鈴さん、大丈夫だから」


「そうです?」


 もう〜。



 髪がある程度乾くと、浴衣から用意してもらった服に着替える。まあ、商人が着る良い服という感じだったが。珍しく、朱鈴さんも女性らしい服を着ていた。


 そして、兄上や、お店の人から歓待されて色々振る舞わられたのだった。



 まずは、かんだった。羹は、肉や野菜を煮出したスープのことだ。


 代表的なのが羊を煮込んだ「羊羹ようかん」だ。熱々でとても美味しい。


 ただ、如親王国から海をへだてて東の島国に伝わった時、禅宗の僧が伝えたので、小豆を煮込んでスープを冷まし、ゼリー状の煮こごりにしたものが伝わったそうだ。甘い羊羹? ちょっと信じられない食べ物が出来るね。



 で、次は一転して、かいだった。


あつものに懲りてなますを吹く」ということわざがある。熱い羹でやけどをしたのにこりて、冷たい膾を吹いてさまそうとする無意味な行動を指すのだが、その膾だった。


 膾は生肉や生魚の料理である。今回は、龍会の海の幸だった。それが山盛り。


「うまいな~、これ」


「あまり、がっつくなよ」


「がっついてないぜ、龍清」


「だったら良いんだが」


「耀秀様、お口のまわりに食べ物が、お拭きしますね」


「えっ、大丈夫だよ。自分で拭けるから」


「まあ」


 僕は慌てて自分の口を拭くと、膾を口に放り込む。うん、美味しい。


 僕達は凄い勢いで食べていた。



 さらに、「しゃ」。鴨を丸焼きしたものだったが、皮がパリパリ、そして肉の濃厚な味とこれも絶品だった。


 僕達はさらに、お粥に、食後のお菓子まで堪能たんのうする。



 そして、お腹がいっぱいで睡魔すいまが襲い始めた時、兄上がこう問いかけてきた。


「それで、これからどうするんだ?」


「それなのですが、まだ、結論が出ていないのですよ」


「そうか……」


 そして、ちょっと何やら考えると。


「龍会の軍官学校に通ってみないか?」


「えっ?」


 僕は驚きの声を上げる。



 こうして、僕達は龍会の軍官学校に通う事になった。


 しかし……。


 僕にとって、とても退屈だった。


 そう、臥良ガリョウ先生はなんだかんだでとても優秀だったのだ。教え方も教える知識も最高だったの。実戦経験に基づく、自らの知識も加味かみし、さらに遠くの戦いの情報も調達し、最新の知識をくれた。



 それに比べて、ここで教わる事は、古典だった。


 いやっ、古典が悪いというのではない。過去の戦い。特に、趙武チョウブ耀勝ヨウショウの戦いは、斬新ざんしんだし勉強にもなる。さらに、趙武が尊敬していたという、宋恩ソウオン高仙コウセンといった過去の天才達の戦術戦略を勉強するのは本当に為になる。


 しかし、古典の戦術戦略をそのまま教えても意味がないのだ。なぜ、その時にそういう戦術戦略を考えたかが問題なのであって、別の戦場でそのまま使えるわけではない。



 というわけで、耀秀は授業に退屈していた。そして、龍清は、武将科で勉強していた。そこも強いライバルがいるわけでなく、同じく退屈しているようだった。


「耀秀、授業は出ないのか?」


「そんな事言って、龍清だって」


「まあね。でも、手合わせは、凱鬼としているから」


「ん?」


 僕は、自分の身体を見る。まさに、脾肉ひにくたんだった。


「ダルンダルンだね」


「そうだね〜」


 といったって、龍清と手合わせしたら死んでしまう。


「明日からちょっと剣を振るうよ」


「その方が良いね」


 まあ、武芸科に入った。凱鬼と強いライバルが出来た、朱鈴さんは楽しそうだったけれど。


「いや~! 凱鬼様行きますよ!」


「おう、こいや!」


 猛獣の突進のように凄まじいスピードで凱鬼が打ち込むが、クルクルと鮮やかに回転しつつ朱鈴さんは、その打撃を受け流し、逆に打ち込む。それを凱鬼は、圧倒的パワーで弾く。


 う〜ん、凄い。まあ、こんな凄い2人曰く、龍清はさらに上手なのだそうだ。まあ、武の化身、鞨項さんが戦いたい相手として指名したのも頷ける。



 まあ、こんな龍会の生活が一年近く続いたある日だった。兄上が突然こんなことを言った。


「そう言えば、耀秀。この国の王に会って見るか?」


「えっ、この国の王?」


「ああ」


 龍会ろんえは、一応王都だった。国の名は、廷国ていこく。趙武時代の廷黒テイコクを祖としている家系だった。


「是非、お会いしたいです」


「そうか、少し待っててくれ」


「はい」


 そう言ったものの正直期待はしていなかった。


 しかし。


「良く来た。耀慶ヨウケイの弟だとか。しかも、優秀だとか。是非、我が国に仕えて欲しいものだ。のう」


「はあ」


 言われてから数日後だった、兄上に連れられて王宮に参内さんだいする。ちょっと古めかしい王宮の王は。


「余が廷山テイザンである」


「よろしくお願い致します、耀慶が弟、耀秀です」


「うむ」


 僕は、じっくり玉座ぎょくざの王を観察する。裕福な国の王らしく、豪華で華奢きゃしゃな服装だった。そして、でっぷりという程ではないが、ふくよかだった。年齢は壮年そうねんという感じで好々爺こうこうやといった感じだろうか? しかし、僕に向けられた、その目は無気力、要するに興味が無さそうであった。


 しかし、それは僕に対してだけ興味が無いというわけでなく、全てに対して興味が無いのだろう。


 商人達が支配する経済都市、龍会を支配下にして、安定して収入が入ってくる。戦乱の足音は遠く、少なくとも龍会に関しては治安も良い。まあ、その治安も商人達によって保たれているのだろうが。



 僕と兄上は、形式的な挨拶を済ませると、玉座の間を退室する。



「どうだった?」


「え〜と……」


「ハハハハハ、正直頼りない王だろ。家系だけで王となり、のうのうとその地位に鎮座ちんざする」


「兄上!」


「大丈夫だ。みんながそう思っているし、本人も自覚しているさ。それでも、政治はちゃんと動いている。何でだと思う?」


「え〜と、優秀な家臣がいるから?」


「違うな。過去に政治構造が構築され、それを漫然まんぜんとやっているからだよ」


「えっ。漫然とやって?」


「そうだ。下手に変革へんかくしない、やり方も変えなければ、予算がある限り国は動く」


「下手に変革すれば、予期せぬ事態が起きてしまい、制御せいぎょが困難になる」


「まあ、そういう事だよ」


「なるほど」


 僕はちょっと考えてしまう、そんな国に希望はあるのだろうか? 他の国の王はどうなのだろうか?


 その瞬間だった。天啓てんけいが舞い降りたように、僕の中である考えが湧き上がる。


 そうだ。色々な国を見てみよう。そして、その国の王がどんな人物なのか知りたい。ふと、そう思ったのだった。


「兄上」


「ん、なんだ?」


「カナン平原を旅しようと思います」


「そうか」


「そして、色々な国を巡り、色々な王を知り、もし、仕えるべき王がいれば……」


「仕えるべき王がいれば?」


「僕の力を試してみたいです」


「そうか。気を付けて行けよ」


「えっ」


 あまりにもあっさりとした兄上の言葉にびっくりする。


「ハハハハハ、いつか出ていくと思ってたからな。だけど、退屈そうにしているのに一年近くダラダラ過ごしてたんでな。ハハハハハ」


「えっ」


 どうやら兄上は、僕に発破はっぱをかけたかったようだった。だから、僕を商人の支配する街に君臨する挺国の王、挺山に引き合わせたのだろう。


「ありがとう、兄上」


「まあ、頑張れよ」


「うん」



 そして、僕は帰ると、龍清、凱鬼、朱鈴さんを集める。


「あのさ、旅に出ようと思うんだ」


「おう、良いな」


 僕が、提案した瞬間、凱鬼が応諾おうだくする。


「え〜と、いろんな国を巡って、いろんな王に会ってみたいんだ」


「良いですね~。最初は、どちらに向かわれるのですか?」


 朱鈴さんも、旅に出るのが、さも当たり前のように言ってくる。


「え〜と、どこに行くかは、決めてないけど」


「まあ、ここでの生活は退屈だったしな。耀秀が行くなら、どこへでも行くさ」


「ありがとう、龍清」


「あ〜、お兄様ずるいです。私も、耀秀様に感謝されたい!」


「ガハハハ、大人気だな、耀秀は」


「えっ、みんな、ありがとう」



 というわけで、僕達は龍会を旅立つ事になったのだった。



 あっ、今度はちゃんと軍官学校を卒業したよ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る