第2話 トウコ

 目覚めた時、女は自分がどこにいるのか一瞬分からなかった。

男の腕の中にいることに気付き、未だ夢の中にいるのかと思った。

思わず腕を払い除けて起き上がろうとした女を、褐色の腕が逃がさないとばかりに女を抱き締める力を強めた。


「何?寝ぼけてんのか?」

少しかすれた低い声が女の頭の上に落ちる。

見上げると、そこには少し白みがかった金髪と、夏の空のような明るい青色の瞳の男がいた。年のころは25、6。

全体的に軽薄な印象を与える顔立ちだが、切れ長の目はどこか酷薄だ。

しかし、十分に美形と言われる範疇だろう。


「トウコ?」

女―トウコと呼ばれた女が2度ゆっくりと瞬きをした後、息を一つ吐いてつぶやく。

「なんだリョウか」

リョウと呼ばれた男が面白くなさそうな顔で、体を少し起こして煙草を咥えた。

「俺以外の誰がお前の横で寝れんだよ。」

「夢を見てた。」

「夢?トウコが夢見るなんて珍しいな。すげえ幸せそうな顔して寝てたぞ。俺じゃない男と寝る夢か?そんなによかったのか?」

リョウが少し探るような、それでいて面白がるような口調で聞いた。

「死ぬ夢。」

「…は?」

「殺される夢。」

「何で殺される夢であんなに幸せそうな顔できんだよ…。誰に殺されたんだ?もしかして俺か?」

今度こそ本当に面白そうに聞いたリョウに、顔をしかめながらトウコはリョウの指から煙草を奪い口にくわえた。

紫煙を吐き出し、トウコは今しがた見ていた夢の内容を語った。


語り終わったトウコがリョウを横目に見ると、リョウは口をへの字に結び何とも言えない顔をしていた。

これは笑いをこらえている顔だな。いや、もうすぐ爆笑される。とトウコが思った次の瞬間、リョウは腹を抱えて笑っていた。

「トウコが逃げ回って切られて、挙句ヤられて…いやヤられてないけど…でも殺される…!トウコが無抵抗で!殺される!何その楽しそうな夢!俺も見たい!」

ヒーヒー笑い転げながら物騒なことを言うリョウを尻目に、2本目の煙草に火をつけたトウコは、リョウが笑い終わるのを待った。

やっと笑いが収まり、笑い過ぎて涙がにじんだ目元を指で拭いながら、リョウはトウコに聞いた。


「で?トウコをヤろうとした男ってどんな男なんだよ?」

口元はにやけているが、目が笑っていない。

趣味の悪いことを聞くリョウに、トウコは顔を少し顰めて答える。

「さあ?どこにでもいるその辺の兵士だろ。よくある話さ。」

「じゃあ、トウコを救ったヒーローの男は?」

今度こそリョウの目が笑っていない。それどころか、トウコを見る細められた目元は明らかにリョウの苛立ちを表しているが、そんなことは気にするそぶりも見せずに、トウコは口を開いた。


「あれは救ったって言うのか…?」

「でも、トウコがヤられる前に助けてくれたんだろ?で、どんな男?どうせ俺じゃないんだろ?」

「さあ?覚えていない。」

「…何?ごまかそうとしてんの?」

「本当に覚えていないんだ。」

「でもそいつが泣いてたのは覚えてんだろ?」

「…ああ、言われてみれば。でも、本当に分からない。髪の色も目の色も。どんな男だったか、お前よりいい男だったのかすらさっぱり覚えていない。夢ってそんなもんだろう?」


リョウは面白くなさそうに鼻を鳴らすと、体を起こしていたトウコに覆いかぶさり、掛布の中に引きずり込んだ。

「面白くねーな。夢の中でもトウコが他の男に殺されるとか。殺されるなら俺に殺されろよ。」

自分の胸に顔をうずめ物騒なことを言いながら、太ももに手を這わせる男の頭頂部を冷たく見やり、トウコはリョウの手首を捻りあげ、右膝をリョウの左腹部に叩き込んだ。

「おっっまえ…!」

悶えるリョウを足で押しのけトウコは起き上がると、そのまま窓際まで歩いて行き、テーブルに置いてあった水差しからそのまま水を飲んだ。

トウコの裸体に、カーテンの隙間から差し込む光が当たる。背中まで流れるまっすぐな漆黒の髪の隙間から、何かに引っかかれたかのような大きな爪痕が見える。

長い手足に無駄な贅肉のない、しなやかな筋肉がついた均整のとれた肢体。

意志の強そうな眉に、少し吊り上がったアーモンド形の瞳。

全体的に気の強そうな顔立ちは、好みが分かれるところだが美人といっていいだろう。

「お前少しは加減しろよ!」

リョウが、トウコに蹴られた腹部を抑えながら叫ぶ。

「加減してやっただろう?それに、蹴られるって分かってて障壁張ったじゃないか。少しも効いてないくせに下手な演技するんじゃないよ。」

「その!障壁を!破っただろ!マジで効いたぞ今の蹴り…。」

トウコが楽しそうに笑う。

「そんなザマで私を殺すとか百年早い。リョウのことは私が殺してやるよ。」


朝日に煌めくトウコの紫の瞳を見つめて、リョウが言った。


「なあトウコ。結婚しよう。」

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