息抜き

ちくわノート

桜の樹の下には

 その時の私は酷く厭世的えんせいてきな考えを持っていた。

 以前、あれ程までに熱中したゲームも、今ではコントローラーを手に取ってものの五分で飽きてしまう。では新たな趣味でもと思い立って、料理を始めたが、たった十分の食事のためになんという手間をとることか!

 酒に溺れてみようとも思ったが、私には酒の味が分からなかったし、そもそもアルコールを摂取して自身の頭の働きが鈍くなることをよしとは思わなかった。

 映画を観た。しかし、これも失敗だった。映画を観る時間もじっとしていられない程に私の集中力は散漫だった。

 いっそ命を絶ってしまおうかとも考えた。友人に裏切られたり、恋人が死んだり、株に大失敗でもしていればすんなりと死ねただろうが、不幸なことに私は傍から見れば幸せな人間だった。その頃の私は大学の四回生であったが、既に就職は決まっていたし、成績も良いとは言えないものの、十分な成績であった。恋人はいなかったが、特段寂しいとも思わなかった。両親は優しく、良き友人にも恵まれていた。死ぬ理由は人それぞれとは言うが、遺書に人生が退屈だから死にましたと書いてるところを想像して、馬鹿馬鹿しくなって自殺をするのは取りやめてしまった。

 そして、退屈を紛らわすために本を読んでいた時だった(といっても、文章は脳に入っていくことはなく、ただ目を滑らすだけであったが)。梶井基次郎の『桜の樹の下には』に興味をそそられた。なんでも桜の樹の下には屍体が埋まっているらしい。ははあ、そうなのか、と私は妙に得心した。そして、私は屍体が本当に埋まっているのかどうか確かめたくなった。その時は既に深夜であったが、私は急いで物置からシャベルを取り出すと、桜の樹が植えてある近所の公園へ向かった。

 季節としてはじめじめした暑さが続く梅雨のことで、桜はとうの昔に散ってしまっていたが、私は気にせず樹の根元を掘り始めた。昼間に比べれば暑さはかなり落ち着いていたが、それでも額から汗が滝のように噴出し、掘った土を湿らせた。しかし、掘れども掘れども木の根ばかりで屍体は出てこない。私は屍体が出てこないことに違和感を覚えた。

 そのとき、すいません、という声と共に私に近づいてくる人影に気づいた。振り返ると見覚えのある青い制服。警察官である。

 私はもしかしたらこの人物がここに屍体が埋まっていない理由を知っているかもしれない、いや、もしかするとこの警察官が埋まっていた屍体を撤去してしまったのかもしれないと思い立ち、屍体のことを尋ねてみた。

 すると最初は戸惑っていた警官が、どうやら私が屍体を埋めている最中だと勘違いをしたらしい。私がここに埋まっている屍体を探しに来ただけだと言っても聞く耳を持たない。どうやら近頃は日本語を知らなくても日本の警察官になれるらしい。

 私がこの日本語が通じない警察官に憤っていると急に妙案が浮かんだ。

 そうか、屍体が無いのなら埋めれば良いのか。

 私はこの案を考えるきっかけをくれた警察官に感謝しつつ、持っていたシャベルを警察官の頭に振り下ろした。


 私が仕事をやり終える頃には既に空が白んでいた。私は汗を拭いながらあらためて桜の樹を眺めた。

 きっと来年には一段と美しい花を咲かせるだろう。もう何年も花見には行っていなかったが、この桜の樹が花を咲かせたらビールを片手に花見をするのもいいかもしれない。体の疲労とは裏腹に、私の心は非常に充実していた。そうして私は小躍りをしながら私の住処へと帰って行った。

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息抜き ちくわノート @doradora91

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