恋愛マスター(笑)「フユネ ヒョウカ」
霜平が言うには、俺はこれから服に盗聴器を仕掛けられる可能性があるらしい。
……いやなんだそれめちゃくちゃ怖いんですが。
俺はただ毎日を寂しめに暮らしているだけなのに。
そんなことしたって、傍受するスピーカーから聞こえてくるのはきっと「あ、袋いいです」とか「何階ですか?」とかそんなくらいしかないよ?
しかも久々に声出したもんで掠れてたりするよ? 何ならむせて咳き込んだりとか。
そんなん盗聴して何が楽しいねん。
というか音楽準備室にかなり前から盗聴器ついてるとかも言ってたな。マジかよ。
ってことは俺と凛堂の会話も誰かさんに盗み聞きされていたってことかよ。
キャー、恥ずかしー! ……ってほぼ会話してないけど。お互い沈黙九割九分だったし。
あのアンポンタンが敵と称する人物が、いかに周到で危険な行為をしているかが垣間見えたところで、俺の高校生活は終わりを告げるのだった。呆気ないね。
そして俺はいずれにせよ霜平の下であの冷酷な陽太に勝るべく動かなければいけないらしい。
いや、勝てるわけが無くない? あの人世界的ピアニストすら即日連れてくるような人間ですよ? 本当に何をしているか全く見当がつかない。
更に陽太にはあの恐ろしき古川彩乃が付いているんだろ?
もしもこの先俺が霜平の厄介事を背負い込ませられる中で、妨害か対立かで彩乃が立ちはだかるのだとしたら、俺に何とかできるとは思えないんですけども。秒でサレンダーする自信がある。スターチップはくれてやるぜ!
まあ、でもとにかく。
猫の縄張り争いでももう少しまともに見える霜平と陽太の大人げないプライドの小競り合いとか、厄介な面倒事を今後処理させられるであろう悲しい将来とか、その辺の雑多な憂鬱は今はどうでもいいか。
大切なのは、今!
そう今この瞬間。あ、なんか青春っぽくない?
その今、俺が何をしているかと言えば、拓嶺高校からの下校である。
ただの下校ではない。この一年ず足繁く通ってきた音楽準備室で、ずっと一緒の時間を過ごしてきた凛堂との、数えればなんとたった二回目の一緒の下校である。
◆ ◆ ◆
徐々に温もりを取り戻しつつある午後の空気に金色のおさげを揺らして、凛堂が俺の横を歩いている。
一緒の下校……これつまり下校デートってことになるんですかね? 何でもかんでもデートにこじつけてるあたり、いかに寂しい人種かがバレそうだけど。
小さめの鞄の他に固そうなバイオリンケースも持っている制服姿の凛堂も、変な趣味に付き合わせない限り恐らくもう見納めである。じっくりと目に焼き付けとこ。
「何?」
早速見ているのがばれた。
訝しげな青い瞳に、俺は慌てて言葉を濁す。
「い、いやあ、俺も凛堂も、もうすぐ大学生かぁって思ってさ」
「そう」
「いやぁ、俺よく聖応大学受かったよな。これから付いていけるかかなり心配だ」
「マスターなら大丈夫」
凛堂はビー玉のような澄んだ瞳を向けてくる。
――恋人になる予定の人がいる、から。
ついさっき、音楽準備室で俺を一瞥しながら凛堂が言った言葉を思い出す。
予定……ね。
「大丈夫かなぁ。いざ留年とかしても幻滅するなよ」
「大丈夫。マスターなら大丈夫」
そんな無垢な目で無条件に信頼されても困るのだけど。
ところどころに辛うじて生き残る雪の塊を眺めながら、これが高校生としての最後の日と考えると俺の中には中途半端な勇気が湧いてきた。
この際なので、上下運動少なめにススッと歩く凛堂にいろいろと言っておくことにした。
「この一年、いろいろあったな」
「うん」
「いきなり俺が恋愛マスターになったり、凛堂が助手になったり」
「そう」
「でもさ……今までマスター宛の恋愛相談って、全部仕込みだったんだろ?」
「……」
呼吸のように繰り出した俺の問いに凛堂は押し黙った。
沈黙が肯定を意味しているのは明らかで、霜平の説明が嘘でないことを証明していた。
「まあ、別にそれはもういいんだけどね」
「怒ってない?」
バツの悪そうな顔をする凛堂に俺は精一杯顔を歪ませてみせた。
「正直最初はムッとしたよ。でも今考えたらさ。結構楽しかったなって」
するりと言葉が出て自分でも驚いた。
そうか。俺は楽しかったんだな。
凛堂が助手で、俺がマスターで。
妬ましい存在を崩壊に導こうと奮起していたこの一年間。
振り返れば楽しかったと思える。もしかしたらこれが俗にいう青春というものだろうか。
「マスターが、マスターだったことを思い出して欲しかった。マスターでいて欲しかった」
「うん、知ってるよ」
人にとって、何が大きな救いになるか分からない。
どんな些事が崩壊の因子になるか分からない。
「ごめんなさい」
「……まあ、自分で言ったことだしな」
――今日からお前は助手だ。マスターについて来い! そうすれば大丈夫。全てが上手くいくのだ! はははは!
……うえ、マジで何言ってんのって感じだ。恥ずかしすぎて穴があったらヘッドスライディングしたい。
でも、後悔はしていない。
「ありがとう」
「こちらこそ、かな」
心細そうな顔をする凛堂に、俺は精一杯の笑顔を見せた。
もしも凛堂が俺のことを忘れていたら。
俺もまた、凛堂のことを思い出せなかったかもしれない。
嫌なことを忘却してしまう防衛本能というのも、時には厄介である。
「まあ、でも……そうだな」
「?」
俺は凛堂との音楽準備室でのやり取りを思い出しながら両手を頭の後ろに組んだ。
「嘘まで吐くのはどうかと思うぞ?」
「嘘?」
ゆったりとしたペースで歩きながら言った俺の言葉に、凛堂は小首を傾げて言葉を返してきた。
「ほら、最初の頃に凛堂が言ったアレだ。『言葉には力がある――』ってやつ」
俺がどんなに崩壊狙いの酷いアドバイスをしても悉く成功していくものだから、最初の頃はちょっぴり信じかけた。
でも冷静に考えるまでもなく、そんなわけがなかった。
俺のもとに来る恋愛相談がすべて成功するのには、しっかりとしたカラクリがあったからである。
まあ結局その時初めて見た凛堂の綺麗な目に魅入られて、俺は有耶無耶にその言葉を飲み込んだんだけども。魔性、ねぇ。
「それは本当」
「ん?」
自嘲的表情を作る俺に、凛堂は真剣な表情を向けてきた。
「マスターの発言には、マスターが深く意図してなくても、人の恋愛を動かす力がある。それが、マスターが恋愛マスターたる所以」
「いやいや、人の恋愛って……だから、それらは全部出来レースだったんだろ?」
俺がそこまで言うと、凛堂は何故か顔を赤らめていった。
いやなんでこのタイミングで赤くなるん。
「マスターの言葉は、確実に人の恋愛を動かしている。それは事実」
「いやだからそんなことなかったと思うけど」
「ある」
凛堂は赤い顔のまま急に立ち止まった。
仕方なく俺も止まって凛堂に向き直ると、碧眼を右顧左眄気味に動かしてから、
「ずっと昔。一番初めに、マスターの言葉は人の恋愛を動かしている。これは事実」
昔? 一番初め?
「いつのこと?」
「……」
――イデッ!!
凛堂が唐突に鞄を俺にぶつけてきた。なにするの。
「……バカ」
頬に朱を差したまま暴言を吐き、戸惑う俺を置いて先に歩いていく凛堂。
何、どういうこと? なんでそういうこと言うの? もっと言って? (?)
おさげを優しく揺らして歩く凛堂の後ろ姿は、今の俺にはどこか何か言葉を欲しているように見えた。
それは気のせいかもしれないが、きっと気のせいでもよかった。
あと少し、一分足らずで
その前に……そうだな。ここまでずっと俺は散々寂しくてダサかったんだ。少しくらいカッコつけても罰当たらないよな。
「なあ凛堂!」
駆け足で追いつき、俺は凛堂の腕を掴んだ。
控えめに振動した凛堂が振り返る。
「何?」
「俺のこと、好きか?」
凛堂が目を見張るのも無理はない。
きっと今の俺は、どうにかしているからな。
グラデュエーションズ・ハイとでもいえばいいだろうか。ラストの魔力と謳ってもいいかな。
なんて言い訳はもういい。
マスターとしてしか見ていない? フラれた? 予定?
もうこれ以上俺の純心を揺さぶらないでくれ。悪魔だろうが魅了だろうが、そんなものはもうたくさんだ。
もっと簡単なことでいい。
腕を掴んだままの俺と凛堂の静かな隙間を少しフライング気味の春一番が通る。
凛堂は頬に朱を差して、確かに極小の頷きをした、気がする。
「なあ凛堂」
「何」
周りには人もいない。車も通っていない。
動物も虫も、地球でさえも、誰も見ていない。そんなわけがないのに、そんな気がした。
「抱きしめてもいいか?」
凛堂は赤い無表情のまま、いつものようなトーンでこう言った。
「マスターが望むなら」
「マスター……ねぇ」
俺は力ない苦笑をしてしまいながら、優しく凛堂の身体を引き寄せた。
この脆弱で折れそうな細さも確かな温かさも、以前から俺は知っている。
ただあの
真っ赤だった凛堂の耳が綺麗な白さに戻るくらいにはそのままの時間を過ごした。
凛堂は優秀な助手だから、恐らく自分から離れたりしない。この半永久を手放すのは名残惜しいが、俺は凛堂の両肩を掴んで離れた。
潤んだ瞳で上目遣いに俺を見つめる凛堂が、それはもうたまらなく愛しい。
最後の高校生活。
このまま……俺と凛堂、もう少し先に進んでみてもいいのかもしれない。
――もしもフラれてなかったらな!!
いやマジでなんで振ったの? そこは俺の決死の告白を受諾して一緒に花々とした大学生活に意気揚々と臨むんじゃないの?
そんなに俺と付き合うの嫌か? 何が不満だ? 何が怖い? 多分宇宙一
「ありがとう、マスター」
凛堂は震えて掠れた声でそう言った。
マスター……。
もしも。
凛堂が俺のことをマスターとしてしか見ていないから、冬根氷花の告白を断ったのだとしたら。
マスターとしての俺、のことを好いているのだとしたら。
もしかして――マスターとして告白すれば、OKしてくれるってことか?
もしくは命令としての俺の言葉を待っているってことか?
「なあ、凛堂」
「何」
鳴り始める雑音、現れる通る人や車。
不意に俺の世界にいつもの風景が戻ってきた。
――はっ! やなこった!
誰がそんな大切なことを悲しい職業を利用してまでしなきゃならないんだよ!
お前の言うその
「覚えてろよ?」
悪役みたいな言葉を吐いた俺に、凛堂は怪訝な顔をくれた。
◆ ◆ ◆
最寄駅に着いた。
これで本当に高校生活も終わり、あとは大学生としてのモラトリアムが待っている。
凛堂と同じ大学――俺としては非常に嬉しいこの事実も、もしかすると大学生活を脅かす因子になりかねない。
最後に、要因排除の為に凛堂に約束をさせようか。
改札をくぐり、ホームの分岐点で足を止める。
「なあ凛堂」
「何」
「これから、俺のことを呼ぶときなんだけどさ」
エコーのかかるアナウンスが鳴り散る中、俺は声を張った。
「名前で呼んでほしいんだ」
「名前……」
お前は覚えていないかもしれない。
でも、お前は俺のことを何度か苗字で呼んだんだぜ。
「名前ってか、まあ苗字でいい。まあ名前でもいいけど……いやまあ、無難に『冬根』でいい。そう呼んでくれないか」
「嫌」
無表情で即答だった。ひどい……。
危うく号泣するところをなんとか耐えて、俺は言葉を継ぐ。
「いやいやなんで嫌なんだよ」
「マスターはマスター、私にとってはずっとマスター。それは変わらないから」
「は、はは……」
おい凛堂さん。大学でマスターなんて呼んでみろ?
一発で俺が変人扱いを受けてしまうでしょ?
特段大学デビューとかそういうのを望んでいるわけではないが、せめて普通に穏便に過ごしたい。その気持ちを汲んでくれよ、助手くん。
「じゃせめて大学構内だけでも、名前で呼んでくれない?」
「ダメ」
「なんでだよ」
「マスターはマスターだから」
なんだよその駄々っ子みたいな理由は。
膨れっ面で見てきても折れんぞ! 超可愛いけど。
……仕方ない、これだけは使いたくはなかった。
だが、俺の穏やかなモラトリアムが
「それじゃ凛堂。マスターとしての命令だ!」
「何」
「これから俺のことを『冬根』と呼べ! 命令だ!」
「嫌」
「おい!!」
こら助手!! この野郎!!
お前のマスターの命令だぞ! しれっと謀反すな!
「なんでだよ! 嫌な理由を言えよ!」
「だって」
信じられないことに凛堂は俺を嘲笑するような顔をして、こう言った。
「――冬根くんは、恋愛マスターだから」
「ふゆ……ッ」
自分の名前が呼ばれた嬉しさよりも、別の熾烈な叫びが肚の中を渦巻いた。
いや、だからさ。
――恋愛マスターってなんだよ!!!!!!
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