会心の扶翼「アヤノコウジ ユタカ」

 廊下で霜平と別れ、俺は音楽準備室を目指す。

 無意識に俺は小走りになっていた。


 頭の中でちらつくネッチョリとした男の姿があるからである。

 何もされてなければいいけども。


「おっす!」


 ノックをせずにぶっきらぼうにドアを開けて音楽準備室に戻ると、そこには饒舌に話す凛堂と苦笑いを携えるネチョ男がいた。

 耳に部分的に飛び込んでくる単語からするに、どうやら凛堂の音楽的スイッチが入っているらしい。マシンガンのように止まらない凛堂の語り。ドンマイ、ネチョ男。


「や、やあキミ! もどったんだね~。それじゃ僕ァこの辺で――」

「待って。まだアルトサックスの説得力のある音の出し方について話してない。感情さえも表現できるサクソフォンに大切なのは、奏者の息のスピード。息の緩急と指先で音に――」


 こうなったら止まらない凛堂に、ネチョ男も冷や汗をかいていることだろう。ご臨終です。

 俺の定位置に座っているのは気に食わないが、ちょっと気の毒なので許してやろう。


 などと心の中で呟きながら腕を組んで見ていると、突然ネチョ男は両手を合わせて大きい破裂音を鳴らした。

 あまりの音の大きさに俺は声が出そうになった。凛堂も目を見開いて喋るのを止めてしまった。


「あ~。金髪のキミ。キミの音楽を愛する気持ち、僕には十分すぎる程伝わったさっ」


 突然立ち上がってしゃべり始め、その場でくるっと回ってから凛堂に跪きだす男。


「僕。僕ァ、綾小路。綾小路 豊」


 いきなり名乗り始めた。

 って、綾小路!? 今、綾小路って言った!?

 

「金髪のキミ。僕に名を教えてくれるかなァ?」


 綾小路を名乗った男は跪いたまま凛堂を見上げてそう言った。

 凛堂は青い目を数回パチクリさせてから、


「凛堂」


 自分の名を名乗った。名乗っちゃったよ。いやまあいいんだけどさ。

 何となく、ムカつくよね。こういうの。


「凛堂さん! あ~、なんて美しいなまへ! 凛として、それでいて堂々ともしていて、美しいキミにピッタリのなまへじゃないかっ!」


 激しめに頭を揺らしながら両腕を広げている綾小路。

 なまへって……。なんか、くさそう。


「あ~! キミはなんて罪な人なんだ! 僕ァ、君のその美しい瞳を見る為に生まれてきたのかもしれないっ!」


 お、おお。

 イタリア人顔負けの軟派文句始めだしたよ、この柳沢慎吾。


「もしもキミに恋人がいないのなら、僕をキミの恋の奴隷にしてはくれないだろうかっ」

「「えっ」」


 俺と凛堂の「えっ」が重なった。

 って、何この状況、すごく嫌な予感がする。


 思い出した、あれはこの前見た夢だ。

 夢で凛堂は綾小路なる背の高い男に告白をして……。


 待て待て待て。俺に予知夢見れる能力あるとか聞いてない。

 そしてマジで誰だよ綾小路!


「どうだい~? キミの恋人に、この僕めをっ」


 そう言って、綾小路は右手を凛堂に差し出して俯いた。


 立ち尽くすことしかできない俺は、目の前で凛堂に跪く綾小路を見て気が遠くなっていく。


 そうなのである。

 こいつは俺にないものを持っている。


 感情をストレートに伝える勇気。

 回りくどくなく、全力でぶつかれる心。


 もしも俺に最初からこのくらいの勇気があったなら、今頃俺は凛堂と付き合うことができていただろうか。

 俺があまりにも優柔不断で迂遠な立ち回りしかできないから、凛堂は俺を振ったのだろうか。


 振ってもなお俺のこと『マスター』と呼んでくる凛堂は、いつか俺のことを男として見てくれるのだろうか。


「ごめんなさい」


 凛堂は定位置に座ったまま、一昨日俺を石化させた言葉を綾小路にも宣告した。

 思い出すだけで俺は半分くらい死にかけたが、綾小路は違った。


「どうしてだ~い? もしかして、キミは既に恋人がいるのかい?」


 両腕を大袈裟に広げて食い下がる綾小路。


 ……って、その発想はなかった。

 もしかして? もしかしてそういうことなの!?

 既に特定の誰かがいるってこと!? だから俺のことを振らざるを得なかったってこと!?


 綾小路、気持ち悪いながら (ひどい)いい質問をしてくれる。俺としてもいろいろと聞いておきたいことだった。あとで良いもん奢ってやるよ。洋梨ココアっていうんだけど。


 凛堂はしばしの沈黙ののち、困ったような顔で口を開いた。


「いない」


 いや、いないんかい!!

 なんだそれ……………………超良かったけど。 (包泣)


「だったらどうしてだいっ? 理由をおしえてくれたまへっ」


 まだまだ食い下がる綾小路。

 俺もフラれてもこのくらい食い下がったほうが良かったのか?


 どちらにせよマジで正夢にならなくて良かった。こんな奴と凛堂が恋人になってたら、俺大学自主退学して出家コースまっしぐらだった。

 いや、こんな奴とか言ってどんな奴か知らんけど。ごめんね出っ歯君。


「理由……」


 凛堂はぽそっとそう言ってから、チラッと一瞬俺を見た。ん?

 そのままゆっくりと俯いて顔が赤くなっていく。耳まで真っ赤である。


「…………の人がいる、から」

「ん~? なんだって~? 聞こえなかったよ、もういちどいってくれたまへっ」


 極小の呟きに綾小路が突っ込む。ホント、今日のMVPはお前だよ、綾小路。


 真っ赤な凛堂は、再びしばらく沈黙してから、


「恋人になる予定の人がいる、から」


 と言って、もう一度俺をチラッと見た。ん。


 ん。


「……そ、そうかいっ! キミに想い人がいるなら、僕は哀れなピエロにしかなれない! それもまた僕にはふさわしい人生なのかもしれないね~。僕はもう少し、この『ゼピュロス』くんと共に真の恋愛を探す旅をすることにするよっ!」


 ん……。


 綾小路はどこかの貧乳ポニテみたいな単語を吐いたのち、銀色のケースを抱えながらその場でターンをして、俺の横を通って音楽準備室の扉に手を掛けた。

 いつもより激しいドアの軋音と同時に俺を見ながら「頑張りたまへっ」と呟いた綾小路は、そのまま出て行った。


 嵐のようなネチョ男がいなくなり静まり返った音楽準備室に取り残された俺と凛堂。


 未だ真っ赤な凛堂を見ると一瞬目が合い、すぐに逸らされた。

 ん。


「な、なあ凛堂?」

「……」

「今のって……?」


 返事はなかった。

 が、俺が言葉を掛けるたびに凛堂は身をかがめて小さくなっていく。両手もギュッと結ばれている。


 俺が固まっていると、凛堂は頬を染めたままトントンと優しく俺の定位置を叩いた。


 とにかく座れと?


 ちんぷんかんぷんを装いながら定位置に座り、両手を両脚の付け根に配置する。

 視線を正面に向けたまま凛堂の言葉を待った。


 そのまま、無音で数十分が経った。


 いやだから何この時間、相変わらずの放置プレイ? ちょっと懐かしくて涙出そう。

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