近づく不透明と遠ざかる輝き

 俺がゾ○マやミルドラ○スと同じ『凍てつく波動』を習得した後 (一緒にすな)、四ノ宮は生徒会、棗はテニス部に顔を出すとのことで、二人は音楽準備室を後にした。


 二人とは行く大学も違うので最後の別れであった。最後にしてはあっさりとしたものだったのは、多分俺の激寒ギャグのせいだ。色んな意味で泣きそうである。


 音楽準備室に残っている人のうち、


「じゃ、凛ちゃんはちょっと先生ときてぇ? 氷花ちゃんとピノコちゃんはここで待っててねぇ」


 霜平と凛堂が出て行った。

 って、え! 待って! 琴美と二人きりとか、超怖いんですけど!


 脳裏に琴美の悍ましい表情が蘇る。あの表情は確かに『化け物』足る恐ろしさである。


「ふーくん」

「ひゃい!?」


 凛堂の定位置に座っていた琴美から声を掛けられて何とも情けない声を漏らしてしまった。

 肩まで伸びた髪を揺らして顔を傾けている琴美は、いつもの素朴そうな表情だったので少し安堵する。


「凛堂月にフラれたんだってな」

「うっ……」


 琴美は俺を見つめながらほくそ笑んでいる。俺は今にも身体がジェンガのごとく崩れ去りそうな気分だ。


「ということでふーくん。私と結婚してくれ」

「どういうことだよ」


 琴美は俺のツッコミも気にせずに立ち上がり、硬直している俺に歩み寄ってきた。


「ん、失恋系男子につけこむ作戦なのだが、どうだろう」

「俺に訊くなよ……」


 マジで凹んだというのに。というか今でもショックだし意味が分からない。

 俺なんで凛堂にフラれたんだろう。


「私なら、ふーくんの望む女になれるぞ?」


 琴美はそう言うと、俺に身体を近づけてきた。

 背が小さいとはいえ顔は至近距離で、琴美の整った顔立ちが目に入り心臓が跳ねる。


「どんな女がいい? 寡黙に寄り添う女か? 元気で明るい子か? それともちょっとおませな感じがいいか?」


 それじゃ……おませな感じで。じゃなくてよ!


「そういうのもういいって。やめろよ! 俺に好かれるためか取り繕う為か知らないけれど、もうそういうこと言わなくていい。そりゃ言われたら嬉しいけど、俺なんかの為に嘘なんて吐かないでくれ」


 ――その人がどんなことをしたら喜ぶか、どんな性格を演じれば好いてもらえるかを察知することに長けている。


 琴美が身につけた処世術は、世を渡る上では役に立つことも多いのだろう。

 ただ、俺のように少しでも深く関わると、それは逆効果になることが多い。


「俺には、そのまま本心で接してくれよっ」


 俺は少し声を荒げてしまった。

 こっちが本気でぶつかっているのにいつまでも暖簾に腕押しなことに苛ついてしまっていたからだ。


「ふーくん……」


 俺の言葉に琴美はいつもより三割増しで目を見開き、一歩後退した。

 そのまま俯き、若干肩を揺らし始める。え、泣かせた?


「い、いや、ごめん、そんなつも――」

「わかった」


 俺の言葉を遮った琴美は勢いよく顔を上げた。

 そこには八重歯を剥きだす悪そうな表情の琴美がいた。ひえっ。


「ふーくんがそこまで言うなら仕方がない。ひとつ言わせてもらうぞ」

「お、おう」

「私と結婚してくれ」


 ……ん。


「いやいや、だから! そういうのやめてくれよ」

「そういうのとはなんだ?」


 薄い嘲笑のような表情の琴美が腕を組む。


「だから、そういう嘘で俺のことを」

「嘘ではないぞ。本心だ。ふーくんと結婚したいと思っている」

「え」


 頭皮にジョワッと汗が湧いた。同時に俺は顔の皮が突っ張っていく感覚が発生している。


「そうだな。ふーくんは顔もまあ……どちらかと言えば悪いほうではないし、性格も無難の塊みたいなところがあるしな。そして唯一の取り柄としての料理のうまさも捨てがたい。女慣れしていない扱いやすいところも高ポイントだな」


 ……全体的に中途半端に傷つく言葉連発するのやめてください。

 何、『チクチク言葉』と『まほうみだれうち』の支援マテリアでも組にしてるの?


「あとは、そうだな。私のことを助けてくれた。それが決め手だ」


 最後のセリフの時だけ、琴美は目尻を下げた。初めて見る優しい表情に脈拍が乱れる。なんだその顔、見たことないぞ。


「というわけで、ふーくん。結婚しよう」

「するかよ!! 扱いやすいとかそういうこと言われてする奴があるか!」

「ふーくんが本心でと言ったではないか」


 あー、それ本心なんすね…………凹。

 まあ扱いやすいキャラは自覚しつつありますけどね。主にアンポンタンのせいで。


「なんなら、そうだな。こうすればいいか?」


 琴美がそう言った瞬間、俺の視界はグラッと宙を回った。

 次に背中に強い衝撃。一瞬呼吸ができなくなった。


 気づけば狭い音楽準備室の床で俺は仰向けだった。どうやら投げ技を決められたようだ。

 痛みを堪える俺の腰の上に、琴美が跨ってきた。え。


「どうだ? ふーくんも男だろう。こうすれば、気も変わるかなと」


 琴美は悪魔を連想させる表情で俺の腹に手を当てて腰の上でうねうねと動く。

 ひー、お助けー! ボボボボパーラダイス! (?)


 下から見上げる琴美は髪が色っぽく垂れていて、何かがはじけ飛びそうな気持ちになった時、


「あー! 何やってるのぉ!!」


 音楽準備室に戻ってきた霜平と凛堂とバッチリと目が合った。ひえっ。


「ああ。ふーくんの今後の為に予行演習を」

「お、おい琴美! なんだよそれ!」

「えぇ! 先生もまーぜて! とーぅ!!」

「うべっ!!」


 今度は霜平が俺の腹の上にジャンピング着地を決めてきた。やけにしっかりとしたお尻の感触が俺の腹に圧し掛かる。


 さすがに二人に乗られていてはビクともしない。いくら退けて欲しくても俺としてはどうしようもないのだ。でへ、でへへ。

 俺、今ならバナナボートの気持ちが痛いほど分かる。


 決めた。

 俺、生まれ変わったらバナナボートになる! (死ね)


 苦しさと幸せって紙一重だよね。などという哲学が浮かんでいると、


「やめて!」


 驚いたことに凛堂が大きな声で近寄り、俺の上にロデオする琴美と霜平の身体を必死に押し始めた。

 いつにない凛堂の必死さに気圧された霜平と琴美は大人しく俺から離れる。何とも言えない解放感が俺を襲った。亀仙人の甲羅外した時の悟空とクリリンってこんな感じかな。


「マスター、大丈夫?」


 言いながら凛堂は寝ている俺に手を差し伸べてくれた。

 何も考えずに掴んだ凛堂の手は小さくてちょっと冷たかった。末端冷え症かしら。


 凛堂は小柄な女性とは思えない力強さで俺を起こし、立ち上がった俺の背中に付いた埃を掃ってくれた。

 粗方掃い終えると、凛堂は俺と霜平琴美ペアの間に立ち、


「マスターは私が守る」


 勇ましくそう言った背中は大きく見えた。


 そんな凛堂を見て霜平は舌を出して片目を不器用に瞑り、琴美は仏頂面をしてぷいと顔を背けた。


 慕ってくれてありがとう。身を挺して(尊厳を)守ってくれてありがとう。

 最高の助手を持てて俺は幸せだ。


 そこまで俺のことを想ってくれる凛堂に一つ問いたい。


 ……なんで俺のこと振ったん?


 ◆ ◆ ◆


 そして気まずい時間は引き続き流れる。


 霜平は「次はピノコちゃん、きてぇ?」と言い、琴美を引き連れて音楽準備室を去って行った。

 次は凛堂と二人きり、である。


 無言のまま俺と凛堂は定位置に座った。


 数えきれないほど繰り返して慣れ、最早居心地の良さすら感じていたはずの凛堂との二人きりの時間。

 しかし今の俺は無意識に背筋が伸び、両手をどこに配置したらいいのか分からず呼吸も整然としない。


 すぐ右隣にいる年下の女の子に、つい数日前フラれているからだ。


 何かを話すべきか、それとも小説でも取り出して読むべきか。

 葛藤に弄ばれながらチラと凛堂を横目で見て、俺はハッとした。


 凛堂は少し俯き加減で、それでいて両拳をギュッと握りしめていた。


 そうだ、きっと凛堂も気まずさに耐えているに違いない。そんなことも汲み取れないようじゃマスター失格である。マスターって何って感じだけど。


「なあ凛堂」


 俺が声をかけると凛堂は風が発生するくらい勢いよく顔をこちらに向けた。

 困ったような驚いたような綺麗な青い瞳を俺に一生懸命向けている。


「この前の、その、アレなんだけどさ」

「……アレ?」

「ほら、一昨日の」


 そこまで言って俺が言葉に詰まっていると、凛堂は表情を変えぬまま徐々に頬を赤く染めていった。


「告白の件、なんだけどさ」


 後頭部を掻きながらそう言うと、凛堂は一層紅潮し、両手で金色のおさげを掴んで顔の前で交差させた。なにそれ可愛いなおい。


 俺が気まずさと恥ずかしさを必死に蹴散らしながら言葉を続けようとした瞬間のことだ。


 軽快な跳ねリズムのノックが鳴った。さらにそのままここ音楽準備室の扉が聞きなれた軋音と共に開かれた。


「失礼するよ~、ってなんだい? キミたちは」


 ネチョッとした喋り方の背の高い男が入ってきた。ネクタイの色はえんじ、胸には桃色の造花、つまり本日の卒業生だ。こんな奴同学年に居たかな。

 何故か既視感のある若干出っ歯気味のその男は視線を俺から凛堂に移すと、激しめにサムズアップをしてウィンクを決めた。なにそれ、柳沢慎吾?


 それを見た凛堂はぴくっと肩を揺らしてから、眉を寄せて「あの人誰?」的な表情を俺に向けてくる。

 俺も口を曲げて「さぁ」と表情で返しておいた。


「僕ァ、ここにある僕の相棒『ゼピュロス』くんを取りに来ただけさ~。そこのキミ、ちょっとどいてもらえるかな?」


 男は俺の目の前まで来てそう言った。

 俺が無言で席を立つと、すぐ横の楽器の並ぶ棚から銀色のケースを引き抜いた。


 まるで大量の紙幣でも入っていそうな厳かなケース、この一年中身が気になっていたが終ぞ開けることはなかったそれを、ネチョッとした喋り方の男はそれを俺の座っていた椅子の上で開けだした。さぁ、おいくらまんえん入ってるの?


「ああ! ゼピュロスくんおかえり! お勤めご苦労様だよ~」


 ネチョ男は中から取り出したサックスと思わしき楽器に頬擦りを始めている。

 すぐ横の凛堂が若干身体を反ってしまうくらいには気持ち悪い光景だった。


「……ああ、失礼。この子は僕の相棒でね~。この学校がどうしてもというので、僕の在学中という条件で学校に貸与していたのさァ」


 金色に輝くサックスを構えて、訊いてもいないことを突然話し出すネチョ男。こんな奴でも持って立つとさまになるのだから、楽器というのは凄い。俺も何か持ってみようかな。チャルメラとかどう?


「ん~? ゼピュロスくんの名前の意味が知りたいのか~い?」

「いや、何も言ってねえよ」


 用が済んだならさっさと出て行ってくれよ。すっかり隣の凛堂が怯えてるじゃないか。ってあれ、凛堂さんガッツリ目を光らせてサックス見つめていらっしゃる。


「ゼピュロスというのはねぇ、ギリシャ神話の西風の神様の名前でね~。まさに! 僕とこの子が出会ったその日! そう! あの日は風が強くて――」


 だから訊いてねえっつうのに。って凛堂さん何気に興味津々な顔で聞いてるし。なにこの状況。


「やぁ~!」


 直後ドアとは思えない爆音を鳴らして、霜平教諭が両手の手刀を格闘家のように突き出しながら戻ってきた。やぁ~、って……何倶楽部だよ。


「氷花ちゃんおまたせぇ! って、その人だぁれ?」


 霜平は未だに西風の神だかの説明を延々としているネチョ男を遠慮なく指差している。


「さ、さあ?」


 ってかお前仮にも教師だろ! 生徒に「だぁれ?」はおかしいだろ。

 ちなみに戻ってきたのは霜平一人だった。


「琴美は?」

「ピノコちゃんは帰ったわよぉ。お母様の再就職が決まって、そのお祝いをするんだってぇ」


 霜平はそう言いながら人差し指を咥えるように口元に当ててネチョ男を凝視していた。

 男は腕を伸ばしたり抱きしめるような仕草をしたり等、忙しなく動いてる。いやほんとアイツ誰だよ。


「んじゃ氷花ちゃん、いくわよぉ」

「いくってどこに?」

「いいからほらぁ」


 霜平は俺の腕を掴み、強引に引っ張りながら歩き始めた。

 ネチョ男の演劇のような説明とそれを食い入るように聞く凛堂を後目に、俺は音楽準備室を後にせざるを得なかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る