最後の部活「チョコレート部」

 この世に恋愛マスターなんてきっと存在しない。


 そんな粗末な称号を腰に引っ提げている奴がいるとするなら、そいつはとんでもないぶっ飛びバイアス勘違い野郎か、無知で無能で無様なバカかのどっちかである。


 ……ん、自分で言っていてちょっと泣きそう。


 寂しいなりにここ一年間様々な人の『何か』を見てきて俺にもちょっとした存意くらいはできた。


 誰かが誰かを好きになることは、すべからく尊く素敵なものである。


 小っ恥ずかしいから絶対に口にはできないが、恋愛マスター (笑)として携わったどれもこれも全てに俺はこう感じずにはいられなかった。


 それならば――。


 何かを与えられないと道筋を立てられない粗末な人間にも。

 最初から危険を顧みない自発的な行動ができない人間にも。

 嫉妬に興じて暴論をかますお門違い甚だしい残念人間にも。

 嫉妬に甘え本質から目を背けていた寂しさ満点な人間にも。


 つまり、俺にも。

 平等に持ち合わせていいものということだよな?


 未だに、恋愛感情なんてものは意味が分からない。

 というかそんなものはきっと定理も公式もなければ電算化もプログラム化もできない。


 ということは、俺の中にいつの間にか巣食い根を伸ばしているこの感情も正しいものではないのかもしれない。


 それでも、俺は俺の感性を信じてみたい。

 ここ最近ずっと頭に浮かぶものがあるじゃないか。


 吸い込まれそうに綺麗な青い瞳。

 長くてきめ細かい金色の髪。

 細くて折れそうなのに俺を支えてくれて、確かな熱が伝わった柔らかくて温かい身体。


 ……って気持ち悪いな俺。

 まるで思春期じゃねえか。ええ、思春期ですとも。


 御託に逃げるのもそろそろ終わりにして、男ならスパッと、一発で決めてやろうぜ?


 今まで散々女々しくて陰湿で仄暗くて寂しい人間だったんだ。

 決めるときくらいはカッコよく、だな。


 ◆ ◆ ◆


「…………」

「…………」


 って、いつまで無言で本読んでるんだよ、俺!!

 音楽準備室に来てから、もうかれこれ二時間である。俺の馬鹿! ボケ! おたんこなす! 秋鮭!(?)


 全く読み進むことができないライトノベルに目線だけを固定しながら、俺はどうしてこうなったかを振り返ることにした。


 まずはこうである。


 深呼吸を何度も繰り返して微量の緊張感を逃がしてから、俺はよそよそしくノックをして音楽準備室に入った。


「おっす」


 いつもと変わらない挨拶を吐くと、やはりいつもと変わらない位置で既に本を読んでいた凛堂は、いつもと変わらないくらいの小さな相槌を一つしてくれた。

 この安定感ももう最後かと思うとちょっぴり鼻の奥がムズッとした。


 定位置まで歩いてコートと鞄を脇に置いて、息を吐きながら椅子に座る。


 ここまでは良かった。


 いつもならここで鞄から小説を取りだして活字とのにらめっこを始めるところだが、今日の俺は一味違う。

 無駄に座高を主張しながら一つ深呼吸をして、男は勢いだ! と活を入れてから俺は口を開いた。


「凛堂」

「何」


 一貫して目線を本から変えない凛堂にもめげずに、俺は心を奮い立たせて言葉を継いだ。


「あのさ」


 のだが。


「……今日、寒くない?」

「? ……そう?」


 違うだろぉ!? 違うだろー! このハゲー!!


「いやぁ、俺寒いの苦手でさ」

「……カイロ、いる?」


 あら凛堂さん優しい。気が利くのね。


「ありがたく頂戴するかな。サンキュ――」


 ――じゃないのよ!

 どこの誰だ? 一発で男らしく決めるって言ってたのは。ここの俺だよな?


 のんきにカイロの包装を開けてシャカシャカしてないで、さっさと言えよ俺!


 どう切り出すか、どんな言葉から始めるかを自習時間中に散々シミュレートしたくせに、いざとなると緊張からか、プレイ中の某スパデラに衝撃が加わりフリーズしてリセットした時のようにすっかり頭の中は『0% 0% 0%』になっていた。カムバック格闘王への道。


 そんなこんなで必死に記憶と単語をサルベージすること数十分、次第に暖かくなってきたカイロの温もりに癒されては我に返り、切り出し方を脳内構築しては横目で見る凛堂に緊張感が倍増し、マジで一人で何やってんの状態だった。


 気が付けば何もできずに時間だけが過ぎ、格好だけの読書を始めて……そして今に至る。しょうもないね。


 眼だけを腕時計に遣ると時刻は十七時過ぎ。あと一時間もしないうちに完全下校時刻である。


 このまま何もできなかったとしたら、俺は一人称を『チキン』にでもして生きていかなければならない気がする。

「Beef or chicken?」の問いに「I'm chicken!」と答えてCAさんの笑いを誘えそうではあるけども。いや、普通に『は?』って顔されて終わりか。冷たい世の中だなぁ。(?)


 そんな感じの (どんな感じだよ)焦りを抱き始めている時のことだ。


「マスター」


 不意に凛堂がぽつりと話し始めてくれた。


「ん」

「今日で、この部の活動は最後」

「あ、ああ。そうだね」

 

 チョコレート部……実質活動内容なんてなかったけどね。

 ただここで凛堂と肩を並べて読書をしていただけだ。


「マスターが居てくれて本当に良かった。ありがとう」


 凛堂は読書の体勢のまま、顔だけをわずかにこちらに向けてそう言った。

 窓からの夕日が三日月のヘアピンに反射して俺の目を突き刺してくるのも、今となっては感慨深い。


 凛堂よ、お前は本当に優秀な助手だ。

 きっかけをありがとう。おかげでようやく俺も男になれる。


「凛堂」

「何」


 俺は本を閉じ鞄にしまってから身体を少し右に向けた。

 凛堂も本を閉じて、膝の上に置いてくれた。


 美しい碧眼が俺を見つめている。


「俺は凛堂のマスターだ」

「……知ってる」

「凛堂がそれを望む限り、辞めるつもりはない」

「そう」


 微妙な笑みで小首を傾げる凛堂から目線を外さずに、俺は続ける。


「ただ、俺はずっと訊きたいことがあった」

「何?」

「それは、マスターとして訊きたいこと、じゃないんだ」

「?」


 凛堂は今度は反対側に首を傾けた。表情も心なしか先程より曇って見える。

  

「凛堂は……俺のことをどう思ってる?」

「……」


 凛堂はパチクリ大きく数回瞬きをしてから、


「マスターは、私にとって全て。マスターと居ると本当に全部が大丈夫になる。ずっと、ついていく」


 無表情チックにそう言った。

 しかし俺は見逃さない。これだけ長い時間一緒に過ごしてきたのだ。


 凛堂の表情に小さな動揺の色が差していることくらいは分かった。

 ……まあこんな雰囲気で話し始めたら、これからどんな話になるか誰だってなんとなく推察できちゃうよね。


「うん。ありがとう。でもね」


 記憶が曖昧な幼稚園の頃から知り合っていて、高校になって再会する。

 月並みな言い方をするならば運命チックだ。

 それをずっと覚えていてくれた凛堂の献身。心が動かないはずがない。


「俺が訊きたいのはそういうことじゃなくてさ」


 開けられなくなってしまっていた目を開けていられるのも、黒く染めなければならなかった綺麗な金色の髪を見せてくれるのも、俺というマスターがそばにいて『大丈夫』と言ったから。

 こんな悲しい人間でも誰かの役に立てるのなら、それが凛堂の為なら、俺は一生恋愛マスターでも変態マスターでもなんでもやってやるよ。


 だけどな。


 俺の中に生まれてしまった想いは、もう少し違う答えを欲している。

 あらゆる手段で知ろうとしたが、全て失敗に終わった。


 それならば、もう直接訊くしかない。


「凛堂は、俺自身のことをどう思ってる?」


 凛堂の唇は僅かに小さく動いた。

 驚くべきことに、俺は緊張感が全く無くなっていた。汗も引いている。


「恋愛マスターとしての俺じゃなくてさ。冬根氷花という男として俺を……いや」


 待てよ。

 違う。


 ――ちゃーんと本心で、男の子なら一発で決めてね?


 そうじゃない。こうじゃないな。

 全く、ここまで来て俺は全然成長できていない。自分がどんどん嫌になる。


 ――ピノコちゃんや彩乃ちゃんを利用して、それを知ろうとしたのよねぇ。


 きっと今の俺の問いでは正解にならない。

 問題はどうしてということだ。


 そして俺はその答えを既に痛いくらいに実感している。


 ――逃げんな。


 分かったよ。分かった。やってやるよ。

 今まで俺が散々他の連中にさせてきたことだ。


 勇気がいる? エネルギーがいる? ああ知っている。

 浸ることでえなくなっているだけ? 魔性に魅入られただけ? そんなことは知らん。


「凛堂、――」


 誰かが誰かを好きになることは、すべからく尊く素敵なものである。

 なあ、そうだろ?


 多分ここ一番の男らしい真剣な表情ができていたと思う。

 続く言葉を絞り出すまでの数秒間、しっかと俺を見返してくれている凛堂は、徐々に頬を赤くしていった。


「俺はお前が好きだ。俺と付き合って、ください?」


 ……あがぁああ! なんで大事なところで疑問形なんだよ、三十回くらい地面にめり込め、俺。

 といった慚死ざんし寸前の肚の中とは裏腹に、凛堂は大きく顔の全パーツを広げた。


 まるで綺麗なアニメーションを観ているような光景だった。


 凛堂は潤む青い瞳を真ん丸と見開き、絵にかいたような驚嘆顔になっている。

 そのまま言葉を失い、静止している。


 まるで音楽準備室だけ……いや、俺と凛堂だけ時が止まったような感じだった。


 キラリと舞う空気中の埃が俺と凛堂の間を流れているのを見ながら、俺の頭の中では走馬灯のように映像が浮かぶ。


 強引に「助手にして」と迫ってきた閉眼おさげ女子。

 初めて見た青く綺麗な瞳。

 地獄のようなトラウマを植え付けられた初デート。

 時折見せる照れ隠しの表情と弓による殴打。


 そして、真夜中の砂浜で話した時の、あの涙。


 全てが霜平に仕組まれたことでもいい。

 俺だけがみんなの背中を押して見ているだけの立場なのは、もうやめにしたいんだ。



 凛堂はゆっくりと表情をいつものものに戻していった。

 見慣れた無表情になった凛堂は俺を見つめたまま、しなやかに立ち上がった。


 そのまま座る俺の正面に来る。痛みを覚えるくらい突然心臓が暴れだした。


 カラカラの喉を潤すように唾をのんだ俺を、凛堂はしばらく見下ろす。

 あまりにも時間が長く感じるのは、本当に時が進むスピードが緩やかになっているからかもしれない。



 そして。


 凛堂は大きく肩をひとつ上下させてから、こう言った。



「ごめんなさい」













 …………。


 え。

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