捨てられた赤本「オンユアマークス」
「うーんとねぇ、別に教師が儲かるって訳じゃなくて、単純にここは私のパパが買ってくれた場所なのぉ。ちなみに車もそうよぉ」
ちゅるちゅると一本ずつ純白の麺を啜りながら人差し指を立てて、霜平は俺の不躾な問いに答えた。
んだよ。そういうことかよ。やっぱり教師になんて絶対ならねえ。
というか、パパって……霜平、アンタもしかして。
「あはは、何その顔、氷花ちゃん面白ーい。パパは、ちゃんと私の実の父親だよぉ。パパはちょっと、私のこと溺愛しちゃってるところあるからねぇ」
「溺愛してても普通こんなマンションとか車とか買ってくれませんよ」
「あはは。まあ、それはちょっと、私がねだるのが上手いからかなぁ?」
いいなあ。俺も溺愛されていろいろ買ってもらってみたいな。
俺の父親は息子を溺愛どころか、未だ母親にべったりで旅行ばっかり行ってそもそもほぼ家に居ないしな。
そんなラブコメに都合のいい設定みたいなの要らないから。
みたいなしょうもなくも妬ましい雑談を交わしながら、綺麗になったリビングで俺と霜平とゴミ捨てから戻ってきた琴美の三人でうどんを啜っていた。
大の大人が優に二人は寝そべれそうなテーブルに、恐ろしいことに大量のうどんのどんぶりが並べられている。その大半が琴美のものである。どこのフードファイターだよ。
まるでアスリートのようにうどんを流し込んでいく琴美を見ながらうどんを啜っていると、
「ふぅ。おいしかったぁ。先生ちょっとお花を摘みに行ってくるねぇ」
全身ピンクの霜平はリビングから消えて行った。
高級マンションの最上階の一室で、ひたすらうどんを啜る音が鳴り響いている。
こめかみから輝く汁を垂らして麺を頬張る琴美を見ているだけで俺はお腹がいっぱいになってきた。
「そういや琴美、お母さんとはその後どうだ?」
「――んっ、……ズズズッ!! ん、ふんほうは、ほえおおえも、……ズズ!!」
「うんごめん食べてからでいいぞ」
五分程して、汁まで完全に飲みつくした琴美は、割箸についてきた爪楊枝を拾い上げてから先程の俺の問いに答えてくれた。
「何とも、シー……順調だ。それもこれも、ウプッ……ふーくんのおかげだな。感シー……謝してる」
感謝してるなら、せめて遠慮もないゲップだのシーシーだのやめてくれよ。
「それは良かった。バイトは相変わらず続けているのか?」
「いや、『パステルズ・ヘブン』以外のバイトは辞めた。しかし『パステルズ・ヘブン』も、お母様が働けるようになるまでだ。元々、お母様は頭が切れる。資格は多種多様持っているし、どんな仕事もできるはずだからな」
「そうか」
自慢するような笑顔で、琴美は爪楊枝を咥えている。
まあ何にせよ、関係が良好で良かった。
「そうだ。えり姐さんがまたふーくんに会いたがっていたぞ」
「えり姐さん? って誰だっけ」
「『パステルズ・ヘブン』の古株だ。またふーくんの顔が見たいとここ最近うるさくてな」
「ああ」
メイドの『えり』さんね。
営業妨害紛いなことしてしまったし、てっきり俺はあの店のブラックリスト入りでもしているかと思ったけど。
「って、俺二回しかあのメイド喫茶行ってないんだけど。顔見たいって、親戚じゃあるまいし」
「ふーくんの顔を見ると『胸がキュンキュン』するらしい」
「えっ」
表現が古いのはともかく、俺の顔ってそんなイケてる?
いや、まあ、年上は嫌いじゃないですけど、その。
「なんでも、昔飼っていたペットのパグにそっくりらしい」
「……」
パグって……顔しわしわじゃねえか! そんな皺だらけか? 俺の顔。
それとも何? パグ系男子名乗るべき? もしかして流行る?
「まあ、そのうち暇になったら行くよ」
「ああ。待ってる。私が居る時なら、少しくらいサービスしてもいいぞ」
「どんなサービス?」
「それは来てからのお楽シー……みだ」
……いい加減爪楊枝使うのやめろよ。
◆ ◆ ◆
お腹を摩りながら霜平宅をでていく琴美は、どう見ても無垢で裏表のない後輩といった感じで、彩乃の言う『化け物』感は全くなかった。
人心掌握だの心象操作だの、そんなことをしそうな感じは微塵もない。一緒に居れば何となく安心できる、素直で実直ないい子じゃないか。
そんな子に「結婚してくれ」と言われて悪い気はしない。
というか寧ろ少なからず気にしちゃうというか、胸もなかなか大きいし、一緒に寝てもいいとか言ってたし、むふ、むふふ。
ん、あれ、もしかして俺、青春の選択肢間違った? こっちのルートが正規?
「はぁ。ただいまー」
玄関から戻ってソファに座っていると、霜平がぺたぺたと裸足で歩きながらリビングに戻ってきた。
「先生、随分でっかいお花摘みでしたね」
「あー! ひどーい、先生はトイレなんてしないぞぉ」
アイドルかよ。
「琴美、母親と何か約束があるみたいで先に帰りましたよ」
「そっか。でもでも、ピノコちゃん本当に良かったよねぇ。ぜーんぶ、氷花ちゃんのおかげだけど!」
俺が動くよう仕向けてきた本人に言われても、全く実感が湧かない。
まあでも、良かったなとは思うかな。
「そろそろ、勉強教えてくれませんか?」
「おっ、氷花ちゃんやる気満々だねぇ。それじゃやりますか。赤本だしてぇ?」
「あ、はい」
先程までうどんを食べていたテーブルにカバンから取り出した大量の付箋付きの赤本を置く。
霜平は俺のすぐ隣に座ってきた。ふわっとした甘い香りが鼻孔に届く。
「えいっ」
霜平はブリッとした声で置かれた赤本を真っ二つに破った。
って、何するのこの人!
「ちょっと! なんで破るんですか!」
「氷花ちゃんには必要ないと思ってぇ」
「いやいやいやいや、過去問たくさん載ってるのに! 一番使える教材でしょう!」
「でも、こんなにたくさん貼りつけて、全部ちゃんと覚えられる?」
霜平は泉から出てきた女神のように両手に真っ二つの赤本を持ち、交互にそれらを見つめている。
「そ、それは……」
確かにそうだ。認めよう。
覚えられる気がしないし、何なら半分もちゃんと覚えていない気がする。
「勉強が苦手な子は、何が分からないかが分からない子が多いのよぉ。要するに、要点が分かってないってこと!」
霜平は偉そうな口調でしたり顔を向けてくる。
「だから現に要点と思われる部分に付箋を」
「覚えられてないなら、いくら付箋を貼っても意味ないのよぉ?」
「それは試験までのあと二ヶ月弱でなんとか……」
「間に合わないでしょ。どう考えても。他の人たちが入学から三年間、みっちりと準備して勉強してきている中、氷花ちゃんみたいな付け焼刃が太刀打ちできないでしょ」
冷徹な正論だった。
そんな事は自分が一番分かっている。だからこそ、恥を忍んでお前に勉強を教えてくれと頼んでいるんじゃないか。
「だから」
霜平は真っ二つの赤本を手にソファから立ち上がり、ぺたぺたと歩いてペダル式のゴミ箱にそれを捨てた。俺の赤本……。
「ここからは、極限まで要点を絞って教えていくわよぉ」
「だからって捨てることないじゃないですか」
「えぇ? だって、あれ要らないもーん」
「勧めたのも買ったのも先生でしょう」
「えー? うーん、まぁ、
おいそれはどういう意味の
俺の学力を
どの意味のはかるでも、完全に性悪女だ。
俺が霜平を睨んでいると、それに気付いたか、耳付きのフードを被って「怒っちゃだめよ、ぷぅ」などと言いだした。
……やっぱり、ここいらで一発殴っていい?
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